17 あたしは文明がきらいだぁ!
「あら、なにこれ?」
と、涼風すずしい <風の谷> で、少し早いけれどお弁当にしようと背中のリュックサックを開けたマシュマロが叫んだ。
「いやだあ、お隣のワッフルさん家の吸水性のベビーおむつ、じゃないの! なんで、こんなもの入れてきたのかしら?」
第三の恐怖地帯 <風の谷> は、これまでのところ、安全そうに見えた。そよ風やさしく、野に緑。色とりどりの花が咲き乱れる晴天の十一時。朝から二度もの危機に見舞われた男の子たちにとって、その谷のさわやかさには、どこか、ほっとさせる雰囲気があった。
「なんだい、あわてもんだな」
と、ヌガーが自分のリュックを開くと彼の許婚にいった。
「ホレッ、おれの分をわけてやろう」
「あら、ありがとう」
パクッ!
「でも、へんねぇ? 洗濯屋さんにでも出すつもりで……」
パクッ
「……リュックのなかに入れておいたのかしら?」
おむすびを頬ばりながら、マシュマロがヌガーに答えた。
「あ、ボク、梅干きらいなんだ!」
と、男の子が、松の木ホテル支配人さんお手製のおむすびに不満を述べると、
「好ききらいしてると大きくなれんぞ! ……どれ、じゃ、わしのお結びとと変えてやろう」
と、笑いながら、弘左衛門が自分の <ジャム> おむすびを男の子のものと取りかえた。
ムシャムシャ パクリ
「げぇ! 舌バカ」
そうして、時は静かに過ぎていった。
「こうしていると、いいところなんだがなぁ!」
シュレーディゥンガーが思わず呟く。
パクパク パクパクパク パクパッ……
「あ”っ!」
「どうした?」
「水、みず、ミズ! ……うーん、ノド、のど」
ゴックン!
「ふーっ」
男の子がごはんをのどにつまらせ、ひとりで目を白黒させた。
「やっぱり変な子!」
と、マシュマロがいうと、
「はい、アーン!」
「いいってばぁ!」
ベルベルが、ムジークとなんとか二人の世界に入ろうとしていた。
優しい微笑み。
「さてと、では行くとするか?」
約二十分の休憩を終えて、シュレーディンガーが立ち上がると、
「残念ながら、みなさん、ホホホホホ、そうはいかないんですのよ!」
足の下から不気味な女の声がし聞こえてきた。
「だれ!」
男の子がすばやく呼びとがめると、
「え!」
ブクブクブクッ……
そのまま地面に沈んでいった。
「みんな、逃げるんじゃ!」
と、弘左衛門が、あわてて近くにいる仲間たちに危機を告げると、
「おい、貴様、姿を見せろ! あの子をどこへやったんだ!」
と、吼えるような声でヌガーが叫んだ。
「ホホホホホ、みなさまがたの知恵袋は、もう、あたしのもの」
不気味な声が地面の底から聞こえ、
「なんだ! やつはモグラの化けものなのか?」
いって、シュレーディンガーが地面の底にテレポートをしかけると、
「わぁ!」
ブクブクブクッ……
そのまま地面に飲み込まれた。
「さて、みなさまがたに、あたしの正体がわかるかしらね?」
挑戦的に謎の声がいった。
「地面が相手じゃ、どうしようもないな!」
と、絶望的にヌガー。
「じゃ、どうすれば、いいんで…… あ!」
ブクブクブクッ……
発言をいい終わるまえにカロピーが地面に沈んでいった。
「くそっ、正体はなんなんじゃ? 地の精か?」
と、弘左衛門が叫ぶと、
「いやね、あたしといっしょにしないでよ!」
と、身の安全のため、空中に飛び上がっていたベルベルが異義をとなえた。
「いや、決して、そんな意味じゃ……」
と、弘左衛門がいいかけた、
その瞬間――
「ひえー!」
ブクブクブクッ……
あわれな叫び声とともに、空飛ぶセントバーナード犬も地面に引きずり込まれた。
「なにか手がかりはないのか? …… わおっ!」
ブクブクブクッ……
ヌガーも地面に沈んでいく。
残ったのは、ベルベル、ムジーク、マシュマロの、一妖精と一音楽と一お菓子だけだ。
「ヌガー! あんた大丈夫!」
と、マシュマロが悲痛に叫び、ペタンと地面に座りこんだ。
「だめですよ、マシュマロさん、じっとしていては危ない!」
ベルベルが身体を持ち上げようとしたのに逆らって、ムジークがマシュマロに駆けよった。
すると――
「へっ!」
ブクブクブクッ……
生きている音楽も地面に沈んだ。
「バカッ! あんたがぼやっとしてるから、ムジークがつかまちゃったじゃないのよ!」
ムジークにほのかな恋心を抱いていたベルベルがマシュマロをののしると、
「うるさいわね! あたしのヌガーがいないのよ!」
ヌガーの許婚、マシュマロが反狂乱に叫び返した。
「あんな音楽のひとつや二つがなによ! ああ、あたしのヌガー!」
「いったわねぇ!」
「ああ、ヌガー、ヌガー、ヌガー! ……いったわよぉ!」
マシュマロがベルベルをものすごい形相で睨みつけた。
「おりてらっしゃい!」
「ホホホホホ、仲間われなんて、みにくいわよ!」
と、謎の女の声が気味悪くいったが、
「なによ! キャッ」
ぽかぽかぽか……
「やったわねぇ!」
ぽかぽかぽか……
と、愛しいものをさらわれた女たちは聞く耳を持たない。
すると――
「なんか、あきれたわね?」
と、声は呟き、
「キャッ!」
ぽかぽか…… キッ!
マシュマロに引っかかれて地面に落ちたベルベルが、
ブクブクブクッ…… ビシャ!
と、地面に飲み込まれた。
「さあて、あとはあんた一お菓子だわ。ホホホホホホ……」
ひとりになって、顔色がまっ青に変わったマシュマロに向かって、声はいった。
「では、飲み込みんであげましょうか、 <あたしのなか> に…… そして、 <おぼれさせて> あげましょうか?」
いって、謎の声の主は、最後に残った女お菓子、マシュマロを、そのリュックサックごと飲み込んだ。
とたんに――
「わ!」
ブクブクブクッ……
一瞬の沈黙。
<風の谷> が静寂に包まれた。
声を発するものは誰もいない。
動くものも、また、なにもない。
一秒が、二秒が、そして永遠ともいえる静寂の三秒がすぎていった。
すると、地の底で何かがゆれた。
身をくゆらす音が聞こえ、大地の底でかすかな唸りがあがり、不意にゆれ、
とたんに――
「ああ、あああ。吸われる。あたしが吸われる! あああああああああ!」
謎の声の断末魔の叫びがあたりにひびきわたった。
「ああ、あああああ! 吸われる、吸われる。あたしの <全体> が吸い込まれていく!」
びしょ じとっ じわわわわわわわわ……
そして、聞こえてきたのは急激な <給水> の音!
すると――
スポン!
なにかが地面から弾きだされた。
「あっぷ、あっぷ!」
小さな男の子が地面からポーンと飛び出してきた。
「あっぷ、あっぷ、ぷはーっ!」
と、目をくるくるまわしながら、男の子がいった。
急に気がついて、あたりをみまわす。
「あれ! ボク、もう、おぼれてないや!」
すると――
スポン スポン スポポン スポン……
続いて、地面から仲間たちが弾き飛ばされる音が聞こえた。
「あ!」 「まったく!」 「え!」
「なんじゃい!」 「ひどい目に!」
「あったわ!」
地面の底からその上の空間に弾き飛ばされた、カロピー、シュレーディンガー、ムジーク、弘左衛門、ヌガー、ベルベルの、二匹と二お菓子と一音楽と一妖精が、いっせいに叫んだ。
「なんだったんだ! いまのは」
と、苦み走った大人のお菓子が首をかしげると、
「ヌガー!」
と、マシュマロが一目散に彼女の許婚に駆けよった。
一瞬、遅れて、
(まあ、いいわよね)
事態を悟ったため、多少の冷静さを取り戻したベルベルが、ムジークに抱きついた。
だが――
「ねえ、よしてよ! ちょっと、離してよ……」
と、ベルベルの気持を知らないムジークは彼女につれない。
むすっ
「なによ! あたし、とっても心配したのに……」
一方、ヌガーとマシュマロの方は仲むつまじく、お互いの生還を喜んでいた。
すると――
「ウウウウウウウ……」
と、謎の声が最後に恨めしそうに泣き叫んだ。
「あたしは文明がきらいだぁ!」
そして――
じとととととととと……
謎の怪物は、最後の一滴まで <吸水性のベビーおむつ> に吸い込まれていった。あとには、あまりにもたくさんの水分を吸収して、ふくらみきったおむつだけが残された。
沈黙。
「あ、なるほど、そういうわけ、だったんですね!」
と、しばらくしてから、カロピーがいった。謎の声の正体がただの水分としておむつに吸い込まれる光景を見て、彼は、はっと気がついたのだ。
「あの、かいぶつの、しょうたいは、みずたまり、でなかったら、じめんにしみこんだ、あめか、いけ、だったんですね!」
「うん、たぶん」
と、小さな男の子が答えた。
「しかし、カッパとかカエルならともかく、水そのものが化けものだったなんて、ぞっとしないな」
さわやかに花が咲き乱れる <風の谷> に散らばる水分でふくらんだおむつを見て、シュレーディンガーが感慨深げにそう呟いた。
「あのおむつは、どうしたもんかな?」
「ほっといたらいいだろう。たぶん、もう害はない」
と、ヌガーが自在猫にいえば、
「そうじゃな、今日は天気がよいから自然にかわくじゃろう」
と、弘左衛門がその考えに同意した。
「それにしても……」
と、ヌガー。
「まったく、君のおっちょこちょいのおかげで助かったよ」
いって、許婚の頬にキスした。
「ムムムムム……」
と、感激するマシュマロ。
ついで、彼女はつかつかとお菓子妖精のもとに向かうと、
「さっきは、ごめんなさいね」
と、頭を下げた。
「あたし、きっと頭がどうかしてたのよ」
(まいったな?)
と、ベルベルは思った。
(やっぱり、マシュマロの方が大人なのね。あたしは、まだ、少し怒ってんだけど、でも、まあ、いいか…… )
「いいえ、あたしの方こそ、ごめんなさい」
と、お菓子妖精もマシュマロに頭を下げた。
「ゆるしてね」
すると、マシュマロはにっこり微笑みながらうなずき、
「でも、あんたも <あんがい> かわいいところがあんのね」
いって、ベルベルのつんとした形のよい鼻をつつくと、
「ふん! なによ」
頬をバラ色に染めたベルベルは、プイと横を向いて、空の上方に飛んでいった。
「いったい、なんの話なんだい?」
と、ヌガーがマシュマロに問えば、
「殿方には関係のないことよ!」
と、マシュマロがおすまし顔で答えた。
「うん、じゃあ、出発しようか」
頃合いを見計らって小さな男の子がいった。
「おお!」
「ええ!」
「はい!」
「いきましょう!」
「……さって、と!」
シュレーディンガーはじめ、その場にいた <男> たち全員が、男の子の呼びかけに元気よく答える。
そよ風涼しい <風の谷> に、半かわきのおむつの群れだけが、ちょっと異様に残された。




