13 解説
「それでは、それでは、説明を、説明を、お願いする! お願いする!」
と、大石大王がいった。
男の子たち一行――一人と二匹と十二+四お菓子と一妖精と一音楽と一臘細工――は、大石大王のお城に招かれていた。三度までも、ティンバー・ブーレグ伯爵の攻撃に見舞われた松の木ホテルでは危険と判断されたためだ。時刻は、すでに五時をまわっていた。
(今日は泊まりじゃな)
と、弘左衛門は思った。
「つまり、魔女の魔法は集合論の基礎――ブール台数――に法則性を求めたものだったんです」
と、男の子はいった。
「さらに説明すれば、ブール台数は、一・〇の表現世界である計算機言語の基礎的表記でもあります」
いって、シュレーディンガーが男の子の発言を補足した。
「ではまず、ブール台数の基本的な性質を数式と図(ベンの図式)の形で表してみます」
男の子は、用意されたホワイトボードに数式と、それに対応する図式を描いた。
「なんか、頭が痛くなりそうだな」
と、ナポレオンがいうと、
「ええ、ざあますわ」
と、パスハが同意した。
「えっと、ここでa’はaの補元、つまり、aでないものの集合のことで、1は全体集合、0は空集合です」
男の子は続けた。
「ここにあげた十九個の数式のうち、普通の台数演算と明らかに違うのは十個で、それは……」
「a+(b*c)=(a+b)*(a+c)(分配法則)、a+1=1、a+a=a(和の規則)、それと <積の規則> 、 <吸収の規則> 、 <ド・モルガンの法則> の全部だな」
すかさず、シューレーディンガーがつけ加えた。
・a+b=b+a、a*b=b*a(交換法則)
・a+b+c=(a+b)+c(結合法則)
・a*b*c=(a*b)*c(結合法則)
・a*(b+c)=a*b+a*c(分配法則)
・a+(b*c)=(a+b)*(a+c) (分配法則)
・a+a'=1、a+1=1(和の規則)
・a+0=0、a+a=a(和の規則)
・a*a'=0、a*0=0、a*1=a(積の規則)
・a^2 =a*a=a(積の規則)
・a =a*a*a――・=a(積の規則)
・a+a*b=a(吸収の規則)
・a+a'*b=a+b(吸収の規則)
・(a+b)'=a'*b'(ド・モルガンの法則)
・(a*b)'=a'+b'(ド・モルガンの法則)
(a^2 =a ゆえ a^2-a= 0 =a*(a-1)=a*a' が証明される)
「ええ、そうなんです」
と、男の子。
「式で考えるとわかりにくいんですけど、でも、図を見れば一目瞭然でしょう。……つまり、この数式に使われている+とか*とかの記号は、じつは普通の計算でいう <たす> とか <かける> ではなくて、ある二つ以上の集合を一緒にとったり、あるいは、その共通部分をとったりする操作の意味なんです。集合論の言葉でいえば、+は和集合のことで、別の表記では∪(カップ)と書かれます。また、*は積集合(共通部分)を意味していて、記号∩(キャップ)で表現されます」
そこで、男の子は、ふっと、息をついだ。
「ここまでは、わかりましたか?」
シーン
あたりは、ひっそり閑としている。シュレーディンガーとヌガー、それにカロピーを除けば、その場にいた全員の表情は『ああ、聞かなければよかった』であったかもしれない。
男の子はまわりの様子を窺うと肩をすくめ、天をあおいだ。
「では、あとは、超スピードで説明することにしましょう」
いって、優しい表情で全員を見つめる。
「この一連の数式がブール台数(Boolean algebra) と呼ばれるのは、その発表者に敬意を払ったからです。発表者の名前はジョージ・ブール(Georg Boole)。 イギリスの数学者で、発表は一八四〇年代に行われました。もっとも、ブール台数が現在の形をとったのは、そのずっとあとのことで、オーガスタス・ド・モルガン、ゴットロー・フレーゲたちの改良を経て、E・V・ハンチントンがまとめあげてからです。ちなみに一八四〇年代というと、音楽の世界では、ベートーヴェンが死んでワーグナーが台頭してくるまでの、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ショパンたちロマン派作曲家の時代で、えっと、歴史的には、アヘン戦争が勃発して、日本では <外国船打ち払い令> が緩和された時代にあたります」
シーン!
「で、話を元に戻しますと、こういった一連の法則性だけでは魔法にはなりません。そこで、魔女は <かける> と <たす> に類推を与えたんです。つまり……」
「 <かける> にはぶつかる、 <たす> には参加の意味をだな。抽象の表象だ!」
と、ヌガーが口をはさんだ。
「そうです、そして魔女はそれをさらに拡大解釈して、独立思考個体(男の子やお菓子たちのこと)の感情にまで対応できるようにしたんです!」
と、シュレーディンガーが負けるものかと言葉をそえた。
「オレたちが遭遇した <現象> を列記してみると」
と、ホワイトボードに向かい、
「二つのコーヒーカップが一つになった」
いって、シュレーディンガーがホワイトボードに、その <現象> を記した。
「二個のテーブルが一個に、さらに、三脚の椅子が一脚になった」
ヌガーも出てきて、ホワイトボードに、いま発言したことを書いた。
「さらに、おれとマシュマロのいい争いだ!」
「そして、二派に分かれて、 <調停者を勘定に入れた> 討論会!」
「オレとヌガーのいさかい!」
「最後は、気絶して縦一列に並べられたおれたちの間に置かれた <まっすぐなテーブル> !」
「ええ、それで全部です!」
と、男の子が話を結んだ。
「それでは、それらの <現象> を式にあてはめてみましょう!」
すると、すぐさま、弘左衛門の手が上がった。
「最初のいくつかは簡単じゃな」
「ええ、ぼくにも、わかります」
と、カロピー。
「では、わたしがボードに書こう」
と、支配人さんがいい、マジックペンのキャップをとった。
コーヒーカップ(ぶつかる)コーヒーカップ → コーヒーカップ
コーヒーカップ*コーヒーカップ → コーヒーカップ
a*a=a
「すなわち、これは <積の規則> ですな」
「とすると、テーブルや椅子の場合もおんなじざますわ」
パスハがいって、支配人さんがそれを記した。
テーブル(ぶつかる)テーブル → テーブル
テーブル*テーブル → テーブル
a*a=a
椅子椅子椅子 → 椅子
椅子*椅子*椅子 → 椅子
a*a*a=a
「次のは、むつかしいぞ!」
と、羊羮がいえば、
「ええと、ヌガーとマシュマロの違うところは、と?」
「両方ともお菓子よ」
「そんなことは、わかっておる」
「違いといえば?」
「二お菓子とも大人だしな」
「あ、そうか!」
「え、なに?」
「ヌガーは男お菓子、マシュマロは女お菓子なんだ!」
「どういうことざあます?」
「 <和の規則> じゃよ」
「というと?」
「男の集合と女の集合は二律背反なのさ」
「つまり、男がaなら女がa’」
「そのいい方は男女平等の原則に反しますわ!」
「なんだ、あんた女性解放主義者じゃったのか?」
「では、こういいなおしましょう。女の集合がaなら、男の集合がa’です。これなら文句ないでしょう」
「ええ、よいですわ」
「激しい感情のぶつかりあいも <ぶつかる> でよかったんだっけな」
いって、支配人さんがホワイトボードに、それまでの意見をまとめて記した。
ヌガー(いい争い=激しい感情のぶつかりあい)マシュマロ → 失神
「で、失神は?」
「たぶん、0の、こと、なんです」
「意識が <なくなった> 状態じゃからか? なんか安直じゃな」
「文句は魔女にいってよ」
「ええと、すると……」
ヌガー(ぶつかる)マシュマロ→失神
男お菓子 女お菓子→失神
a * a’=0
a’* a =0
「こんなもんかな?」
書いて、支配人さんがいった。
「じゃ、つぎに行きましょう」
と、男の子。
「討論会の <現象> です。はい、わかる人?」
男の子がいうと、ヌガーとシュレーディンガーを除く全員が首をひねった。
「ヒントは <分配法則> で、大王がaです」
すると――
「あ、あたしわかった!」
と、ベルベルが叫んで、ついと前に進み出てきた。支配人さんからマジックペンを受け取ると、
「たぶん、こうじゃないかな?」
と、ホワイトボードに <現象> を記した。
大石大王(参加){徹底交戦派(対立) 降参派}
→{大石大王(加わる)徹底交戦派}
(対立){大石大王(加わる)降参派}
「うーむ?」
と、支配人さん。
「そうか! だから、大王が調停案を出したとたんに議論が激しくなったんだね!」
いって、ムジークがボードに記した。
大王(参加){交戦派(対立)降参派}
→{大王(参加)交戦派}
(対立){大王(参加)降参派}
a+(b*c)
=(a+b)*(a+c)
「うん、それでボクの考えが確かめられたんだ!」
と、男の子。
「でも、ヌガーとシュレーディンガーのいい争いまで、ボクは計算には入れてなかった」
いって、男の子はボード向かい、
「もう、わかるでしょ」
と、全員に確認を求めた。
ヌガー(いい争い)シュレーディンガー
→ 失神
お菓子の国の住人非お菓子の国の住人 → 失神
a *a’=0
a’*a =0
「問題は最後のやつじゃな」
と、しばらくしてから、弘左衛門がいった。
「それによって、わしらは魔女の魔法を打ち破れたのじゃからな」
「うむ、たしかに」
と、支配人さん。
「で、どういうことなんです」
男の子に水を向けると、
「この説明ばかりは、あなたにお任せしたいんですが……」
いって、二匹と十二+四お菓子と一妖精と一音楽と一臘細工の顔を見つめた。全員が同意の表情を示した。
「えっとね、つまり」
と、男の子が説明をはじめた。
「魔女が、このブール台数魔法を定義したのは会議室だったんです。ですから、ボクはそこに定義されない状態を作ってみようと考えました」
沈黙。
しばらくしてから――
「もっと詳しく」
と、フリーツゼリーが男の子の説明にいちゃもんをつけた。
「それだけじゃ、なんのことだかわからないからな」
「あっしも、ご同様ですな」
と、寒氷も同意した。
「そして、できれば、うんとわかりやすくお願いしますぜ」
「うんとね」
と、ベルベル。
すると、男の子が自信を持って答えた。
「ブール台数には、これまで見てきたように <たし算> と <掛け算> は定義されています。そして、 <積の規則> から <和の規則> を導くのに <引き算> も使われます(a^2 =aより、a^2-a= 0 =a*(a-1)=a*a')。 しかし、 <割り算> は定義されていません。……シュレーディンガーとヌガーがいい争いをして気を失ったとき、ボクはとっさに考えました。ブール台数には <割り算> は定義されていない。そして、ある特別な場合には、普通の算数でも <割り算> が定義されない場合があるってことをです」
いって、男の子はシュレーディンガーとヌガーを見つめた。すばやく一匹と一お菓子が視線を走らす。
「それは、1/0(不能)と、0/0(不定)の二つなんです」
男の子はいった。
「この二つがどうして定義されないのかは、割り算を掛け算になおしてみれば、すぐにわかります」
いって、男の子はホワイトボードに文字を記した。
1/0=a→0*a=1(不能)
0/0=b→0*b=0(不定)
「1/0をaと置いた場合、1/0=a から 0*a=1となるでしょう。けれども、0に何かを掛けた数は必ず0になるはずだから、この式は不可能、つまり <不能> となります。で……」
「なるほど、そして0/0=b の場合は 0*b=0となるわけだから、bはどんな数でも良くなってしまうというわけじゃな。だから成立しない <不定> じゃ、と」
ナポレオンが、にやにやしながら、そう叫んだ。すると――
「シッ、お黙りなさい」
と、スワンシューがナポレオンを叱り、
「まあ、いいじゃないですか」
と、支配人さんが彼女をなだめた。
「とにかく、そういった意味で二重に定義されない状態を作り出せば、きっと、魔女の魔法は――」
「え? だから、 <まっすぐなテーブル> だったわけなの!」
と、マシュマロがあ然として大声を張り上げた。
その言葉に大石大王の謁見室にいた全員が、はっと、息を飲んだ。
マシュマロは続ける。
「あっきれた! あんた、本当におかしな考え方をする子なのねぇ」
いって、支配人さんからマジックペンを受け取ると、
「ま、そんな方法で破られる魔法を考えた魔女も魔女なんだけど……」
笑いながら、マシュマロはホワイトボードに魔法の結論を大きく記した。
失神したヌガー(まっすぐなテーブル)失神したシュレーディンガー → 脱出
0/0→定義域外




