7 お菓子の国
「やあやあ、やあやあ、ようこそ、ようこそ、いらっしゃった! いらっしゃった!」
お菓子の国の統治者である大石大王がいった。
「はじめまして」
「お世話になるぜ」
「これは、みなさん、お菓子ですなぁ……」
男の子たち一行が大王に挨拶を返した。黒マントにすっぽり身を包んだ、風船丸顔の大石大王は、近づくと甘い香りがした。小さな男の子は、そのなんともいえない香りの種類から、大王の正体はプリンではないかと推察した。
「とにかく、とにかく、みなさん、みなさん、ご無事で何より、ご無事で何より、でした! でした!」
――お菓子の国は、ひとことでいえば、遊園地のような世界だった。大石(おいしい?)大王の住む巨大なキャッスルを中心に、大小さまざまなお城がそこかしこに建ち並び、広場には噴水、集会場には掲示板、乗り物は馬車、スギの木とイチョウ並木、石畳、そして、その構成物と住人は、当然のように、すべてお菓子であった。ざっと見まわしただけでも、マルグリッド、マドレーヌ、クリーチ、パスハ、ゼリービーンズ、キャラメル、ボンボン、キャンディ、マロングラッセ、トルテ、クグロフ、トリュフ、シュニッテン、タルト、パイ、スワンシュー、スフレ、モンブラン、クッキー、マジパン、ムース、シャーベット、ワッフル、ババロア、ブラマンジェ、ドーナツ、バームクーヘン、それに加えて、善哉、もろこし、のし梅、麦落雁、五家宝、羊羮、ういろう、カステラ、ぼうろ、最中、きんとん、福は内、かるかん、しおがま、松魚、さおじか、玉椿、ちごもち、寒氷、煎餅など、さまざまなお菓子たちがいた。そして、その多くのお菓子たちが、
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」 「ようこそ!」
「ようこそ!」
と、男の子たちを歓迎してくれたのである!
が、その中から一点、男の子は自分の背中を刺す強い視線を感じた。振り返ってみる。けれども、いまのところ、その正体は知れなかった。
「とにかく、しゅくはくしせつに、ごあんないします」
と、カロピーが男の子にいった。
「まつのきホテルは、すてきなホテル、なんですよ」
カロピーに導かれて、男の子たち一行は、大石大王のキャッスルにほど近い松の木ホテルに案内された。
松の木ホテルは、その名に違わず、直径百メートルはあろうかと思われる巨大な松の木をくり抜いて作られていた。高さ六十メートルの七階建てで、屋上にはパラボラアンテナが動いているのが見えた。
「これは、重力波検知装置なのです」
と、せりだしになっているホテルの玄関まで出迎えにきてくれた松の木ホテルの支配人さんが、アンテナについて説明した。
「わが松の木ホテルは、ホテルであると同時に科学研究所でもあるのです。お菓子の国のよって立つコンパクト時空と通常の四次元時空連続体とに共通する力は、無エネルギー放射通信を別にすれば、重力しかありませんからな」
「ふーん、そうなの?」
と、男の子が感心すれば、
「なるほど、ここと通常時空との連絡は、自然界に存在する重力以外の三つの力――強い力(核力)、弱い力、電磁力――による相互作用では適わないというわけだな」
と、わけ知り顔でシュレーディンガーがうなずいた。
「むつかしい話はよしにして、さあ、くつろいでください」
オレンジのカーペットが敷きつめられたロビーを後にすると、松の木ホテルの支配人さんは、男の子たちを最上階のロイヤルスイートルームに案内した。その部屋は松の木ホテルの特別客室で1/3円型の出窓からは、お菓子の国が一望のもとに見渡せた。
「では、ごゆっくり。……じきに昼食をお届けしましょう」
支配人さんがそういうと、弘左衛門のお腹が、
グーッ――
と鳴った。
ロイヤルスイートルームに据えつけられた縦長の <玉虫の厨子(仏像または経巻を安置する仏具)> みたいな、高さ二・二五メートルのグランドファーザークロックによれば、時刻は十一時四十五分だった。
当然、お腹がすいて不思議がない時刻である。
「それでは、ぼくは、おおいしだいおう、の、ところに、むかいます」
そう告げると、カロピーは、ペコリとお辞儀をして、男の子たちのもとを去り、急ぎ足でキャッスルに向かった。
「ふう、ボクもお腹がすいてきたよ」
カシ材の安楽椅子にどっしり腰をおろすと、弘左衛門を見ながら、男の子はいった。
すると――
「あ!」
ブクブクブク……
たちまち男の子の身体が椅子のなかに沈んでいった。
ブクブク ブック……
「あーん、ひどいよ。この椅子、柔らかすぎるんじゃないの?」
と、男の子が悲鳴をあげる。安楽椅子のなかでもがく男の子を見て、シュレーディンガーと弘左衛門が笑い声をたてた。
「キミも案外、ドジなんだな」
と、シュレーディンガー。
「脳細胞の強力神経繊維接合はおろか、遺伝子の未発現部分までもがコンピューターのごとく働く人間にあるまじきドジさ加減だ!」
部屋に飾られている抽象絵画を見ながら、シュレーディンガーがいった。
ブクブク ブック……
「ふん。キミなんか、きらいだい!」
いまだ椅子のなかでもがきながら、男の子が笑い声で叫んだ。
「キミみたいに理屈っぽい猫なんて、いやしないよ。ね、弘左衛門!」
「たしかに、そうじゃな」
古典からファンキーな現代文学まで揃えられた、ベッドサイドストーリィ用の本棚を眺めながら、弘左衛門が答えた。
「広じいさんみたいに、喰いいじのはった犬もいないさ」
「食欲ってのは、生きてる証じゃからな。わしは、それを否定せんだけじゃよ」
「ふん、聞いたふうなことをいう。……だが、オレも腹が減ったな」
すると――
ジャガラン ジャガラン
呼び鈴がなった。
ブクブク スポン!
やっとのことで安楽椅子から逃れた男の子が、呼び鈴のなったドアに向かおうとした。
すると――
「いいよ。オレが出よう」
男の子を二本指で制してシュレーディンガーがいった。いくぶんロココ調の感じがしないでもない、松の木ホテル、ロイヤルスイートルームのドアに向かって、
ガチャリ
と、ノブをひねる。
ドアの外には、背の低いボーイが、料理のワゴンとともに立っていた。
「昼食をお持ちいたしました」
「やあ、ありがとう」
シュレーディンガーが答えた。時刻は十一時五十二分。
(十一時五十二分?)
と、男の子は思った。
(昼食には、少し早くないかな? こういったホテルは、案外、時間厳守なもののはずだけど?)
男の子が首を傾げているその間に、ボーイがワゴンを押して部屋に入ってきた。ワゴンには白いクロスがかけられている。そのふくらみ方からすると、飲みものの瓶も何本か入っているようだ。男の子が映話に駆けよった。松の木ホテルの支配人さんに映話をかける。
ピッ ポッ パッ
と、ボタンを押す。そのあいだに、ワゴンが部屋の中央に移動され、
ガチャリ
と音を立ててドアが閉まった。当然、背の低いボーイの姿もない。
ルルルーン ルルルーン
呼び出しが鳴る。
ルルルーン ルルルーン ルルルーン ガチャ!
「はい、支配人ですが?」
「いま、ボクたちの部屋に料理を運ばれましたか?」
一瞬の沈黙。
「いいえ、まだです。あなた方用の特別メニューは、いま、料理室を出たばかりで……」
「シュレーディンガー! その料理に触るんじゃない!」
男の子が叫んだ。が、そのときすでに、自在猫は白のクロスに手をかけていた。弘左衛門も、すぐ横で生つばを飲み込んでいる。
すると――
ボン!
シュレーディンガーがクロスを取ると、鋭い爆発音がした。まっ白な煙で、あたりがもうもうとなる。
「シュレーディンガー!」
男の子が大声で叫ぶ。
「大丈夫かい!」
ゴホッ ゴホッ ゴホッ……
自在猫と空飛ぶセントバーナード犬のむせかえる声が聞こえた。
ついで――
ワッハッハッハッハ ワッハッハッハッハ ウワッハッハッハッハ……
気味の悪い笑い声が聞こえた。
ゴホッ ゴホッ ゴホッ……
男の子が出窓を開くまで、二匹の咳は続いた。
すると――
スポン スポン
スポン
スポン
スポン!
スパークリング・ワインの弾ける音がした。どうやら、料理のワゴンに載っていたものらしい。それが、おそらく、時限装置で発泡したのだ。
「どうか、なされましたか?」
と、ロイヤルスイートルームの騒ぎを聞きつけて、松の木ホテルの従業員が、ついで支配人さんが部屋に駆けつけた。
「ずいぶんと、ひどい目にあったぞ!」
と、煙にやられた目をしょぼつかせながら、ようやくのことで弘左衛門がいった。
「くそっ、ティンバー・ブートレグ伯爵のしわざだな」
と、シュレーディンガー。
「本当ですか?」
と、驚いて、支配人さん。
「ええ、たぶん。いまさっき、部屋を出ていった背の低いボーイが……」
男の子が、そこまでいったとき、
「そう、そのとおりである」
どこからか、声が聞こえてきた。
「間違いない! ブートレグ伯爵の声だ!」
松の木ホテルの支配人さんが興奮して叫ぶ。
声は料理を載せたワゴンから聞こえていた。
「あ、こいつだ!」
すばやく支配人さんが調べると、煙を吐いた発煙筒は <牛ヒレの肉のパイ包焼き> に隠されていることがわかった。そして、ブートレグ伯爵の声の方は <キジの野菜飾り> から発せられていた。
「わたしの心よりの贈り物は、気に入ってくれたかね」
声が続る。
「わが敵対者にふさわしい、上等の料理と、上等のスパークリング・ワインをきみたちに贈ろう。もっとも……」
と、そこでブートレグ伯爵は語調を変え、
「料理の半分は、台無しになってしまったと思うがね」
はっ はっ はっ はっ うわっはっはっは!
そして、気味の悪い笑い声が続いた。
「くそっ、われわれの客人になんてことを……」
唇をかみしめて、支配人さんが憤慨すると、
「残念だが、これは録音だ。だが、誰かが、いま、くやしがったのは確実だろう」
伯爵の声が割って入る。
「ほう、これは <ローランペリエ・キュベ・グラン・シエクル75> じゃないか? お、こっちは <メッテルニヒ侯爵ゼクト・トロッケン> じゃ」
その場の緊張をよそに、スパークリング・ワイン(俗にいうシャンパンのこと)を賞味していた弘左衛門が叫んだ。
「たしかに、高級品じゃな!」
「しょうがない、じいさんだな。変なところが図太いんだから」
と、諦め顔でシュレーディンガー。
「とにかく、この料理とワインは、わたしからのプレゼントだ。心して、味わうがよい」
「お、これは <ホロホロ鳥のオレンジ焼き> だ。ありゃー、これは <薫製肉とザウアークラウトの煮込み> じゃないか? しかも、わしの好物の <ジャムパン> まである」
弘左衛門はとどまるところを知らず、料理の名前を上げ列ねていく。
「趣味がめちゃくちゃだな」
と、そうやって挙げられた多くの名前にシュレーディンガーが肩をすくめると、
「まったくもって……」
と、情けなさそうに首を左右に振りながら、支配人さんが答えた。
ワゴンの上には他にも料理が――珍しいところでは <うずら椀> さえ――載っていたのだ。
「では、さらばだ、諸君。君たちの健闘を期待する!」
そんな言葉で、ティンバー・ブートレグ伯爵が話を閉めくくった。
と、思い気や――
「なお、この光学ディジタル録音ディスクは自動的に消滅する。…… a serious sickness! おわかりかな?」
「みんな、はやく部屋を出るんだ!」
伯爵の声が奇妙な英語を話したその瞬間に、男の子が叫んだ。
「たぶん、十秒で爆発する!」
「え!」
「あ!」
「なんですって?」
「いいから、はやく!」
十・九・八・七・六・五……
ドタドタドタ バタバタバタ
四・三・二……
その場にいた全員がロイヤルスイートルームから飛び出した。
一・〇
ドッカーン!
再び、するどい爆発音。そして、閃光、熱波、もうもうたる白煙。
ごほっ ゴホッ ごほっ ゴホッ ごほっ ゴホッ ごほっ……
小さな男の子と弘左衛門、シュレーディンガー、支配人さん、それに従業員三人が、思いっきり咳き込んだ。
「まったく、なんてやつだ!」
と、支配人さんが青筋を立てて怒る。
しばらくして、一端は避難した通常のスイートルームを出ると、全員が、様子を見にロイヤルスイートルームに戻った。
「こりゃ、ひどいな!」
部屋の惨状に目を吊り上げると、シュレーディンガーが小さな男の子にいった。
「ところで…… 」
「ところで、ティンバー・ブートレグ伯爵の最後の奇妙な英語の意味は?」
シュレーディンガーの言葉に被さるように、松の木ホテルの支配人さんが男の子に問いかけた。
「単なる言葉遊びなんです」
と、男の子が答えた。
「奇妙な英語、a serious sickness! の意味は <重病> 。すなわち、十秒。つまり『爆発の猶予は十秒だぞ』という、ブートレグ伯爵からの謎掛けだったんです」
「なるほど!」
と、支配人さんがうなずいた。残り三人の従業員もうなずいている。
「逃げたボーイを捕まえなければいかんな」
と、憤慨しながら支配人さん。
「捕まえられるものならばだが……」
「望みは薄いんじゃないでしょうか?」
と、男の子。
「ボクたちが着いて、すぐさま爆弾を用意した相手ですからね」
だが、少し心配そうな口調とは裏腹に、男の子は闘志を燃やしていた。チラリとあたりを見まわす。ロイヤルスイートルームはひどい有様だった。ベッドも、椅子も、もちろん料理のワゴンも、さらにはグランドファーザークロックも、ブラックに似た美術品の抽象絵画も、出窓も、本棚も、ことごとくブートレグ伯爵の爆弾で粉砕されていた。
(挑戦してきたんだ!)
と、心の中で男の子は思った。
(ボクたちの知恵に、伯爵が挑戦してきた!)
「すぐにでも、対策会議を開いた方がよいでしょう」
支配人さんが小さな男の子にいった。
「さっそく、大王に連絡を入れてみます!」




