6 怪物・タコペロリン
意識が流れて稀薄になる。存在がぞんざいになる。飛んでいく。流れて、消えて、戻ってくる。足、頭、昨日のおかず。過去と未来がごっちゃになって、実存スープが湯気立てる。ボクとキミが入れ替わり、オレとオマエが反転する。
そして――
ポン!
男の子たち一行は投げ出された。
「あれ、ここは、どこだろう!」
カロピーが目覚めていぶかしんだ。
「こんなところ、おかしのくに、には、ないですよ?」
「あー、目がまわった」
と、男の子。
「まさか、ごっちゃになっていないだろうね? ボクとシュレーディンガーとか、弘左衛門とカロピーとかがさ」
「それは大丈夫みたいだが…… ホラホラ起きろよ、広じいさん!」
自分の横で、いまだ目をまわしてバッタリ倒れている弘左衛門にシュレーディンガーがいった。
「こんな調子じゃ、先が思いやられるな」
「ほんとに、ここは、どこなんだろう?」
と、あらためてカロピーが疑問を発した。もちろん、その問いに答えられるものは、彼らのなかには誰もいない。
「どうやら、森のようだね。霧が濃いんで見えにくいけど」
男の子がいった。そのうしろで、男の子たちを吐き出した無エネルギー放射通信の造った時空の裂け目が、まるで『不思議の国のアリス』のチェシャ猫のように、ニヤニヤと笑いながら、音もなく消えていく。
「ええ、もり、のようですね」
と、カロピーが首を横に振りながら答えた。
「でも、どうして、おかしのくに、に、つかなかったんでしょう?」
「わからんな。だが……」
と、シュレーディンガー。
「誰かが、オレたちの到着を嫌ったのかもしれん……」
「ティンバー・ブートレグ伯爵?」
と、男の子。
「あるいはな」
と、自在猫。
「オレたちの動きをたちまち察知するとは、うーむ、おそろしいやつだ!」
――男の子たち一行がたどり着いたのは、どうやら、お菓子の国ではなく、深い霧のたちこめる森のような何処かだった。ブナ、カツラ、ハリギリ、リョウブ、ナナカマドといった落葉樹のなかにスギ、モミ、カラマツなどの針葉樹が混ざって生えていた。地面は湿っぽく、霧のために視界は十メートルもきかず、さらには、うっそうと繁った葉のために森のその空間はかなり暗かった。
「気分の滅入りそうな場所じゃな」
と、あたりを見まわすと、やっと目を覚ました弘左衛門が呟いた。
「おかしな怪物が出てこなければよいんじゃが……」
すると――
ガサッ
音がした。
ガサッ ガサッ ガサッ……
木々の梢のこすれる音だ。近づいてくる。何物かが。怖ろしい何物かが、男の子たちに向かってやってくる。
「ひえー!」
最初に怪物の姿を発見して情けない悲鳴をあげたのは、だが、臆病犬の弘左衛門ではなかった。
「タ、タコだ!」
悲鳴をあげたのは自在猫のほうだった。
――シュレーディンガーはその頭足類が苦手だった。彼はまだほんの子猫のころ、大乗寺啓之助に連れられて日本海に潜ったとき、体長二十メートル以上の大ダコに襲われた経験があったのだ。ギョロリと不気味に光る大ダコの目玉の射竦められて気を失ってしまったこ体験が、それ以降、シュレーディンガーの精神的外傷となっている。
木々の梢を揺らして現われたのは、体長三メートルほどの怪物タコだった。全身がザクロのように赤く、ぬめぬめテラテラと光っていた。
「わたしはタコだ!」
と、その怪物はいった。
「残念ながら、大伴昌司版の『怪獣・怪物大図鑑』には記載されていないが、それは人間たちの無知の至らしめるところであって、なんら、わたしの責任ではない。わたしは、正真正銘の公害怪獣、タコペロリンなのだ」
「……? へんなのが、でてきましたね」
と、カロピーがいうと、
「うん、そうだね」
と、男の子が答えた。
二人は、持ってきた水筒の麦茶を飲みながら言葉を交わした。というのは、二人ともに、怪物、タコペロリンの自己紹介が、なんとなく長くなりそうな気がしたからだ。
「そういえば、前におじいさんと葛西の『臨海水族館』にいったときに感じたんだけど」
と、男の子がカロピーに話しかける。
「水槽に入ったサカナとかイカとかを見て『おいしそう!』なんて口にするのは、日本人だけだろうね」
「ええ、そうでしょうね。ニホンジンくらい、なんでもたべる、しゅぞくは、ほかに、いませんから……」
「ええーい! こしゃくな者どもめ、わたしの話を聞かんのか?」
と、それまでぼーっと二人の子供の会話を聞いていたタコペロリンが憤慨していった。
「おまえたちには常識というものがないのではないかな。人が話をしているときには、私語は謹むべきなのだぞ。学校の先生に習わなかったのか?」
と、二人を見つめる。
「だって、ボク、まだ学校行ってないもん」
と、男の子が答えれば、
「おかしのくに、には、ガッコウ、なんて、ないんです」
と、カロピーが続ける。
「うーむ」
と、タコペロリンは悩んだ。
「それでは、仕方がないな」
どうやら、納得したようだ。
「では、今度からは、ちゃんと話を聞くようにするのだぞ」
「はーい」
「ハーイ」
「こらっ。返事は『はい』だけでよろしい」
――タコペロリンは現代日本の歪みが生んだ公害怪獣だった。一九六〇年から始まり七〇年代まで続いた高度経済成長の歪みは、人的公害という形で日本の各地を襲った。東京湾に生息していたタコペロリンも、はじめは普通のタコだった。しかし、人間のエゴや企業の住民無視の金儲け主義が垂れ流した汚物や有毒排水が、彼を、世にも怖ろしい公害怪獣に仕立てあげたのであった。天涯孤独なタコペロリンが、だが、なぜ非在の森に暮らしているかは、定かでない。
「わたしの心の傷は、そして、癒えることなく今日もまた疼く」
そんな言葉で、怪物は自己紹介を終えた。
「さて、では、恐怖の怪物としての行動に移ることにする」
いって、タコペロリンは急に凶暴な顔つきになった。
「こんどは、あぶなそう、ですね」
「うん、らしいね」
やっとのことで、男の子とカロピーに最初の危機が迫ってきた。頼みのシュレーディンガーは、すでに気を失っていたので、テレポーテーションで逃げることはできない。ついでにいえば、弘左衛門も目にバッテン印をつけて、気を失っている。
「くれっ、くれっ、くれっ!」
と、本性をあらわした公害怪獣は、男の子たちに迫った。どういう構造になっているのか、吸盤がモノを吸い寄せる。水筒、お弁当、帽子と、男の子たちが持ってきたありとあらゆるものが、タコペロリンに吸い寄せられていった。そして――
パクリ パク パク パクリ!
そうやって吸い寄せたあらゆるものを、大きな口のなかに放り込んでいく。さらに、恐ろしいことには――
「ねえ、弘 門 ィン よ!
左 シュ じゃ、
衛、 レ 起きて この
ーデ
ガー、 ま ま
た べ
葉 で ら
言 ま れ
も に ち
が、 ゃ
盤 う
吸 き せ よ
寄 て !」
引 ら れ ま
し っ た。
(以下、次のようなイラストが続く。イエローサブマリンのパロディーで、たとえば見開きの左側にイラストのタコペロリンが描かれ、それに文字が吸いつけられていくシーンが挿入される。頁が空白になったところで右端にタコペロリンの足が見え、それを吸いこもうとして、結局、タコペロリンは自分自身(全体)を吸い込んでしまう。あとには当然男の子たちが残る)
「なんだったんだろうね、いまのは?」
と、ちょっと呆然として男の子がいった。
「さあ、ぼくにも、わかりません」
カロピーが答えた。
「タ、タコは、どこへいった?」
と、ようやくのことで意識を回復した、シュレーディンガーがいった。
「ジャムパンが欲しいな」
それまでずっと目をまわしていた弘左衛門も、ムクリと起き上がって、そう呟いた。
「ここは森なんじゃから、探せば、スグリの実くらい見つけられるかもしれんぞ!」
だが、タコペロリンの恐怖は、いまだ去ってはいなかったのである。
「うーむ。攻撃方法を間違えてしまった」
と、湿った地面からニョッキリと顔を出すと、タコペロリンはいった。
「今度は、間違えんからな!」
いって、吸盤を伸ばすと、男の子たちに襲いかかった。
キュイーン キュイーン
すさまじい勢いでモノを吸い寄せていく。
パクリ パク パク パクリ!
ものすごい風圧、そして食欲だった。またしても、お弁当箱や水筒がタコペロリンに吸い寄せられていく。髪の毛や体毛が逆立って、吸盤の方向に痛いほど引き寄せられた。そして、男の子、シュレーディンガー、弘左衛門、カロピーの身体までもが……
「くれっ、くれっ、くれっ。今度は、お前たちの命をくれっ!」
恐怖の公害怪獣、タコペロリンが、まっ赤な身体をヌメヌメと光らせながらいった。男の子たちの持ち物を何かひとつ吸い込むたびに、その身体が、少し、いま少しと、大きくなっていく。
そして――
「わあー!」
男の子たち一行の中でもっとも体重の軽いシュレーディンガーが、
ゴックン!
タコペロリンに飲み込まれてしまった。弘左衛門の目が恐怖に見開かれる。
「よし、赤い玉を使おう!」
ゆれ動く風の動きに逆らうように、小さな男の子が大声でいった。オーバーオールのポケットから赤い玉を取り出すと、
「うむ!」
と、念じて、タコペロリンめがけて投げつけた。
ボン!
大音響とともに、赤い玉が爆発した。そして、もうもうとした白煙のなかから現われたものは――
「なんじゃい、これは?」
と、思わず叫んでしまったタコペロリンの気持もわかる、鍵盤つきのティンバーロム、すなわち、グランドピアノであった。
「え、これ、なに?」
と、小さな男の子も驚いた。
事態は誰ひとり考えてもみなかった方向にずんずんと進む。
ピロン ポロポロ ピロリン
「うーむ、よい音色だ!」
と、とりあえずピアノを弾いてみたタコペロリンはいった。
ポロポロ ペロリン タコ ペロリン
パロポロ ピロロン タコ ペロリン
「うーむ、名曲だ!」
自分の即興演奏に思わずうっとりする、タコペロリン。そして、見よ!
「味も、なかなかよいぞ!」
自分の造りだした音楽をつまんでは、おいしそうに口のなかに放り込み、
ブクッ ブクッ ブクブクブクッ……
と、ますます膨れ上がっていくタコペロリンの姿を!
小さな男の子とカロピーは、その光景に、はっと、息を飲み込むと、顔を見合わせた。
(そうか、そういうことだったのか!)
(そういう、いみ、だったんですね!)
二人の顔に、同時に了解の表情が浮かんだ。
「さて、音楽もよいのだが」
と、タコペロリンが男の子たちの方に、ジロッ、と目を向け、
「いま、わたしは、お前たちの <存在> を喰いたい!」
いって、彼は、じりっ、じりっ、と男の子たちのいる方向に近づいてきた。
「くれっ、くれっ、くれっ。お前たちの命をくれっ!」
迫りくる、タコペロリン。
まっ赤な触手を伸ばすと、男の子たちに、それを向ける。三メートル、二メートル、一メートルと、まっ赤な触手が迫ってくる。ヌルヌルとしたタコの触手が、目に前に踊る。
「お、お助けを!」
と、弘左衛門。
「…………」
カロピーは唇を真一文字に結んでいる。
「よし!」
と、小さな男の子は叫んだ。迫りくる数本の赤い触手を、ひょい、とかわすと、大乗寺啓之助の赤い玉、願望具象化球が造りだした、グランドピアノに向かった。
「コラッ、どこへいく!」
と、激怒するタコペロリン。だが、もちろん、そんな言葉にかまってはいられない。
タコペロリンの恐怖から逃れる方法は見つかったのだから……
あとは、それを、いかに実行に移すかだ!
小さな男の子の手が鍵盤に振れると、たちまち音楽が <非在の森> に溢れかえった。
はにほへといろ ハニホヘトイロ
・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・イ・ロ ・・ハ
・・ハ・ロ・イ・ト・ヘ・ホ・ニ
・ハ ロイトヘホニハ ろいとへほに は
指馴らしの音階のあとに曲がはじまった。
(シャープ四つ。6/8拍子。そして、あんまり速くならずに!)
胸の中で、男の子が呟いた。
ハ(4) ホ(8) ニ(4) ヘ(8)/ホ(8) ヘ(8)♭ト(8) ホ(符点4)//
ハ(4) ホ(8) ニ(4) ヘ(8)/ホ(8) ヘ(8) ト(8) イ(符点4)/
ハ(4) ホ(8) ニ(4) ヘ(8)/ホ(8) ハ(8) い(8) ろ(符点4)/
ハ(8) ハ(8) ホ(8) ニ(8) ニ(8) ヘ(8)/ホ(8) ヘ(8) ト(8) イ(符点4)/
・ハ(8)・ハ(8) イ(8)・ニ(8)・ニ(8)・ハ(8)/ロ(8) イ(8) ト(8) イ(符点4)/
ヘ(8) ホ(8)♭ニ(8) ホ(符点4)/ろ(8) い(8) と(8) い(符点4)//
そして、次の曲、次の曲へと、男の子はピアノを弾き続けた。
「くれっ、それもくれっ、これもくれっ!」
男の子の弾き続けるピアノ曲は、どれも名曲ぞろいだった。つまり、それだけ、おいしかったわけである。さらに、そういったピアノ曲はどれも無尽蔵だった。少なくとも、男の子の指が麻痺しないかぎり、尽きることはなかったのだ!
「くれっ、それもくれっ!」
パクッ ブクブク ブクッ……
「くれっ、これもくれっ!」
パクッ ブクブク ブクッ……
見よ! 男の子の奏でる音楽を食べて、どんどん腹をふくらましていくタコペロリンの姿を!
あとは、男の子の根気とタコペロリンの許容力の勝負だった。男の子はタコペロリンのお腹のなかに、なんでもたべちゃうゴンが持っていたようなブラックホールがないことを、切に願った。
男の子の額に汗が流れる。指が痺れてくる。もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ勝負にk時決着が着く。
そして――
バーン!
ついに、恐怖の公害怪獣、タコペロリンの胃袋が裂けた。
と、あたりに、ふいに静寂が返ってくる。
「ふーっ」
演奏を止め、手首をぶらぶらと前後にゆする男の子の声だけが <非在の森> に響きわたった。
そして――
森の存在が薄れていった。
ブナ、カツラ、ハリギリ、リョウブ、ナナカマドといった落葉樹、そして、スギ、モミ、カラマツなどといった針葉樹の存在が透明になり、その背後から、まるで二重露光のように、光に満ち溢れた草原の存在が浮かび上がってきたのだ。
すると――
「 <非在の森> とは、怪物、タコペロリンの自我の投影だったのかもしれんな」
皮肉にそう呟く声が聞こえてきた。
「シュレーディンガー!」
と、男の子がくるくると目をまわして、嬉しそうに叫ぶ。
「よかった! 無事だったんだね」
「お前さんが、くたばるとは思ってなかったよ」
「おかえりなさい。ひどいめに、あいましたね」
弘左衛門とカロピーも、自在猫の奇跡の生還を心から喜んだ。
いまや、うっそうと繁った暗い <非在の森> は、その存在の最終状態にあった。はじめ、まだはっきりとしなかった草原のありようが優勢になり、そこここに、かつてタコペロリンに吸い込まれたと思われる様々な品物――宝石、杖、カブトムシ、CD、お面、ジェット旅客機、光線銃、マツボックリ、政府高官など――が浮き出してきた。
「オレたちは、はじめからタコペロリンの心のなかに囚われていたのかもしれんな。いびつに歪んでしまった、彼の心の世界に…… 」
「すべては幻影だったというわけじゃな」
と、弘左衛門もシュレーディンガーに相槌を打った。ついで、男の子に向かい、
「なにはともあれ、芸は身を助く、ということじゃったな。ごくろうさん!」
弘左衛門にそういわれて、男の子は少しはにかんで頭をペコリと下げた。
すると――
「あ、あれですよ!」
ふいにカロピーが大声で叫び、明るく陽が輝く草原の向こうに見える、色とりどりの城の群れを差し示した。
「あれが、おかしのくにです」
カロピーの表情は嬉しそうだった。
「あれが、そうなの?」
と、小さな男の子も目を凝らして、カロピーが指差した方向を見た。
「ほう!」
「おいしそうじゃな」
シュレーディンガーと弘左衛門も、その方向を向き、それぞれに感想を述べた。
「ここからだと、だいたい三キロってところかな」
男の子がいうと、
「いま、みえているのが、おおいし だいおうの キャッスル(お城)です」
カロピーが解説をはじめた。
「じゃ、行くとしようか! オレたちは、まだ目的地に着いてもいないんだからな」
いって、シュレーディンガーが先頭を切って歩きはじめた。
「よし、ボクたちも行こう!」
男の子がカロピーとともに弘左衛門の背中にまたがり、元気よく大声でいった。
「しゅっぱーつ!」
* * *
「くそっ! なんていうやつらだ!」
元気よくお菓子の国に向かう男の子たち一行の姿が移るコンピューター・ディスプレイに、すさまじい悪態をつくと、ティンバー・ブートレグ伯爵は、きっちりと七三にわけた髪の毛をかきむしった。
「あの化物タコを退治してしまうとな。…… そら怖ろしいやつらよ」
そして、狂気に憑かれたように激しく笑いはじめた。
「ふっ、ふっ、ふっ、はっ、はっ、はっ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ…… ゲホッ」
ギラリと両眼を輝かせる。
「面白い! 貴様たちの腕前、とくと拝見させてもらうぞ!」
形相すさまじく、伯爵は、小さな男の子たちを陥れる次の作戦行動に取りかかった。




