3 救援依頼
バリン!
すさまじい音をたててガラス窓が弾け飛んだ。渦を巻いてまわる文字の群れが男の子の部屋に飛び込んできた。男の子が身構える。すっと脇に避けると、パラライザー(しびれ銃)を構えて、謎の物体に面と向かった。男の子が銃の引き金に手をかける。
と、そのとき――
文字の群れの回転がゆるやかになり、意味を持った言葉の配列が、そのなかから現われた。
き・け・ん・は・あ・り・ま・せ・ん
意味を持った文字の群れが男の子にそう告げた。
ぼ・く・の・な・ま・え・は・カ・ロ・ピ・ー お・か・し・の・く・に・の・じ・ゅ・う・に・ん・で・す
「カロピー? お菓子の国? それってなに?」
目をくるくるまわすと男の子はいった。文字の群れは、もうすっかり回転を止め、しきりにひとつの形になろうとしていた。男の子はその移り変わりをじっと見つめた。奇妙な光景。文字の正体はビスケットだった。文字型のビスケットだ。それがまとまり、ひとつ
となって男の子と同じような子供の姿に収斂した。
「ぼくはカロピー」
と、子供となったビスケットはいった。
「おどろかせてしまって、ごめんなさい。それから、あの、ガラスまどを、わってしまって、ごめんなさい。とまらなく、なっちゃたんだ、かいてんが。ぼくは、そらを、とぶときには、うずまきになるんだけど、いそいで、いたもんで、ほんとうに、ごめん!」
「キミの方は怪我をしなかったの?」
男の子は尋ねた。
「ビスケットだったら、けっして固くはないよね?」
「ううん、それだったら、だいじょうぶです」
カロピーは答え、そして申し訳なさそうに割れたガラス窓を見て、
「かいてんの、しょうげき、は、で、こわしてしまって…… ええと、ほんとうに、ごめんなさい。ぼくって、ドジなんだ」
「そんなに窓のことを気にするんなら、ホラ、見てごらんよ」
いって、男の子は部屋の入口を指差した。カブトムシみたいなロボットが、ちょうどノソノソと入ってくるところだった。
「掃除ロボットさ。お隣のおじいさんが造ったものなんだ。とっても高性能で、修理も得意!」
男の子がそういうあいだにも、カブトムシ型の掃除ロボットはガラス窓の破片を拾い、ひとたびそれを体内に取り込むと、小型核融合炉で融解して、たちまち元の形に戻してしまった。
「す・ご・い・!」
カロピーが文字の配列で答えた。どうやら彼は、驚くとそんなふうにしてしゃべってしまう癖があるらしい。
「ところで、ボクにどんな用事があるのかな?」
緑茶とケーキでカロピーの気持ちを落ち着かせると、男の子はいった。
「わざわざ、ボクのところまで来たからには、理由があるんでしょ?」
「うん、そうなんです。……じつは――」
お菓子の国の住人と自ら名のる文字型ビスケットのカロピーは、語りはじめた。
「おかしのくには、いま、たいへんな、ききに、みまわれているんです。ティンバー・ブートレグ、と、なのる、はくしゃくが、ひとつきまえに、あらわれて、おかしのくにの、なかまを、さらいはじめたのです」
それは突然の出来事だったようだ。
平和なお菓子の国――どうやら、それは現代物理学でもまだ完全に謎が解かれていない、超ひも理論によって要請される隠れた次元(コンパクト時空)にあるらしい――に現われたティンバー・ブートレグ伯爵は、数々の悪行を重ねていた。最初はただ珍しそうに住人たちにちょっかいを出すだけだったが、やがて、その残忍な性格そのままに、外科用のメスでお菓子たちの表面をこそげとり、クリームやシロップをなめては閲にいっていたらしい。そして、ついに、お菓子の国の住人たちが恐れていたように誘拐(お菓子さらい)がはじまった。
「ブートレグはくしゃくは、おかしのくにの、はずれにある、ゴルゴンのやまに、すんでいます。そこは、けわしく、おそろしい、かいぶつのいる、やまで、ぼくたちの、なかまは、いままで、あしを、ふみいれたことも、ありません」
ブートレグ伯爵がいったいどのような方法を用いて、突如としてお菓子の国の中心地に現われ、仲間を浚っていくのか、カロピーたちには想像もつかないという。
そして話題はふいに男の子自身のことになった。
「たすけて、ほしいんです。たまたま、ぼくたちは、あなたたちの、かつやくを、ききおよびました。うちゅうかいじゅう、なんでもたべちゃうゴンを、たいじした、はなしをです。ぼくたちの、むエネルギーほうしゃの、ネットワークが、そのえいぞうを、とらえました。ぼくたちを、たすけられるのは、たぶん、あなたたちしか、いないんです。それに――」
お菓子の国には子供、もしくは子供の心を持ったものしか入れないのだという。
「ネフェッツの排除定理かもしれないな」
と、いつの間に現われたのか、自在猫のショレーディンガーがいった。つい先日、ゲームをしていたコンピューター・ディスプレイの上に乗っかっている。
「排除定理は、集合論の一風変わった命題なんだ。ある種の集合は、互いに混じりあえない性質を持っている。たとえば、通常の人間たちが妖精を見られないのは、次元の物理的拡張に、その定理が抵触するからだという数学者の説もある」
「ふうん」
と、男の子。
「ま、堅苦しい話は、それくらいにしとこうかな」
シュレーディンガーが悠然として呟いた。
「ところで君は」
と、男の子に向かい、
「こうまで頼まれたんじゃ、むろん、断れんよな!」
ついで、カロピーに向かい、
「おれは行くぜ。ティンバー・ブートレグ伯爵とやらと戦ってやろうじゃないか!」
「じゃ、弘左衛門を呼んでこなくっちゃ」
しばし熟考すると、男の子は答えた。
「弘じいさん? あんなオイボレが役に立つもんかね」
「そんなこと、いうもんじゃないよ」
と、男の子がシュレーディンガーを諭した。
「生きてる時間が多ければ、それだけ、いろんな経験をしているんだからさ」
「そういうもんかね? ま、いいわさ。とにかく、いっぺん啓之助翁の所に行こう」
「オーケイ!」
と、男の子は答え、子供の姿をした文字型のビスケット、カロピーに向かっていった。
「ということで、話は決まったよ。ボクたちが力になれるといいんだけどね」
「あ、ありがとう、ご・ざいます!」
カロピーが答えた。そして感動のあまり、何故か英語で続けた。
「I am very grad to see you ! (あなたたちに会えて本当によかった!)」




