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05



 毒の出どころはすぐに見つかった。


「――何?もう一度言ってみろ」


 毒を口にしたその三日後の早朝、ユリウスは自室にてナサニエルからの報告を受け、自分の耳を疑った。窓からは秋の朝のひんやりとした空気が部屋に流れ込んでいる。


「ですから……ユリウス様の口にしたもう一種類の毒は、グーテンアース国、フレオール山脈の山頂に群生しているチコリという木の実の、その種から採取されたものだと判明いたしました――と」


 ナサニエルの真剣な表情――その嘘のない瞳に、ユリウスは隠すことも無く顔をしかめた。


 グーテンアース国とは、エターニアの北の国境に接している国だ。マーガレットの母国でもある。それにフレオール山脈と言えば、マーガレットの伯父であるリッキーゼン太閤が納めている領地だった筈。


 ユリウスはその太閤と何度か顔を合わせているが、穏やかな笑顔を浮かべている裏で一体何を考えているのかわからない、腹の底の見えない男だった。――まさか毒の出どころが、その太閤の領地とは……。


「だが――どうしてこんなにもすぐにわかったんだ。あれからまだ三日。国境を超えるだけでもそれ以上はかかるだろう。それにそのチコリの木というのも……まさかフレオール山脈にのみ群生しているというわけではあるまい」


 ユリウスはそう言ってナサニエルをじっと見つめた。それに応えるように、ナサニエルもユリウスを見つめ返す。


「グーテンアースには私の部下を常に数名潜ませておりますから。そうでなくてもあの国はマーガレット様の母国でございましょう。友好を結んでいる国ですから比較的動きやすいのですよ。それにフクロウなら夜目もききますから、国境を超えることなど容易いことです。それとチコリの木についてですが――あれは本来なら薬として使われる実で非常に高価なもの。太閤はそれを囲い込み、貴族相手に高値で取引しているのです。つまりその産地は、フレオール山脈と決まっています」

「……薬?毒ではなく?」

「ええ。毒と薬は紙一重と言いますでしょう。それにユリウス王子が口にされたのは実ではなく種。そしてそれが、スズランと合わさってより強力な毒となったのです」

「……成程な」

「……それから、その毒入りの菓子を陛下に渡した者が誰であるかも、判明いたしました」


 その言葉に、ユリウスの瞳が細められる。続けろ――と、彼の表情が物語っていた。


「陛下に直接菓子を渡したのは街のシーラという娘でした。ですが、そのシーラはさらに別の娘よりその菓子を受け取ったそうです。珍しい菓子が手に入ったから是非陛下に渡して欲しい……と頼まれたそうで」

「娘だと?」

「ええ、歳は丁度成人を迎えた程だそうで、薬師のアルマと名乗っていたそうです。数週間前にこの辺りにやって来て、街の病人数名がそのアルマの世話になったとのこと。人柄もよく親切で、腕も確かだった――と」

「それで、その娘は今どこに」

「それが、最後に目撃されたのがちょうど三日前でして……。つまりシーラが最後の目撃者ということに。その後は誰もアルマの姿を見ていないそうです。捜索は続けておりますが、未だ行方は知れません」

「…………」


 ユリウスはその期待薄の発言に、不愉快そうに眉をひそめ小さく息を吐いた。――もしも裏に太閤がいるというのなら、そのアルマという娘は既に生きてはいまい。


「お前は……太閤が裏で手を引いていると思うか」


 ユリウスは眉に深い皺を刻んだままナサニエルをじっと見つめ、尋ねる。けれどナサニエルは否定も肯定もしなかった。「そのような恐ろしいこと、とても口には出来ません」と冷静な様子で呟くのみ。


「まぁそうだろうな。まだ相手が太閤だと決まったわけではないし、何より証拠がない。それに……太閤の仕業に見せかけたい別の誰かがやったこと――と考えるほうが、話としては自然だからな」


 ユリウスは深い溜め息をついて、視線を窓の外へと向けた。


 まだ日の登ったばかりのこの時間帯は、城内と言えど外の警備は比較的手薄だ。正直言ってこんな平和ぼけしたような状態では、不逞の輩の一人や二人に侵入されても文句は言えまい。


 ユリウスはしばらく口を閉ざした。これからどうすべきか、考えているようだった。


 けれどその沈黙を破ろうとするかのように、ナサニエルは左手を腰の剣に添える。カチャリ――と、長剣と短剣の鞘のぶつかる音がした。そして彼は顔色一つ変えず、「貴方様のご命令とあらば、私はいつでもあの者の首を落として見せる覚悟でございます」――などと恐ろしいことを口にする。


 その言葉に、大きく見開かれるユリウスの黒い瞳。


「――馬鹿な。お前、……気が触れたのか?」

 先ほど太閤の仕業だと思うか、と尋ねたときは――肯定しなかったのに?


「いいえ、私はいつでも正気でございます。あくまで、もしもそうであったなら――というお話ですよ。太閤殿下が黒幕であるかどうかは私にはわかりません。ですが、ソフィア様を狙う者は誰であっても容赦はしない。例えそれが、ローレンス様の大伯父であろうとも」

「――っ」


 ナサニエルの低い声。そしてその暗く淀んだ瞳の色に、ユリウスは絶句した。――この男は、本気だ。ユリウスは言葉を絞り出す。


「――いい。しばらくは様子を見る。二月後(ふたつきご)には各国の使者を呼んで僕の成人を祝う宴が開かれるだろう。もちろん太閤も来るはずだ。本当に彼の仕業だとするなら、何か仕掛けてくるに違いないからな」

「……そうですか。承知しました。ではそれまでは、様子を見ることに致しましょう」


 ナサニエルはそれだけ言うと、どこか残念そうに瞼を伏せて部屋を出ていく。その背中を、ユリウスは何とも言えない表情で見送った。


 これがまだ全ての始まりに過ぎないことなど、知る由もなく――。



 その後も、まるで些細な嫌がらせでもされているかのような頻度で、ユリウスは何度も危機に晒された。


 独りで森に出れば矢が飛んできて肩を掠め、街に出ればどういうわけか火災に巻き込まれた。図書館で人気のない場所にいたときは、頭上から脳天目掛けて短刀が降ってくることもあった。


 食事に盛られた毒は銀食器で避けられたが、夜会で(さかずき)に注がれた酒がメタノールにすり替えられたときは流石に気が付くことが出来ず、中毒で失明寸前のところまでいった。毎朝顔を洗うときに使う器に並々と湛えられたそれが水ではなく強酸だと気付いたときには、忍耐強いユリウスも悲鳴を上げざるを得なかった。


 そんなことが毎日のように続き、ユリウスは日に日に疲弊していった。その頃には彼も気がついていた。狙いはソフィアではなく、自分なのだろうと。そして黒幕が誰かは兎も角、この城の中に自分を狙う者がいるのだと――。


 勿論、これを知っているナサニエルが黙っている筈がなかった。こう度々事件が起こっては自分が駆け付けることが出来ないからと、彼はユリウスが決して独りにはならぬよう、ユリウスの希望など無視して部下を護衛につけ警護させた。だがそれでも、命を狙われ続ける状況は変わらない。実行犯を見付けて捕らえても、彼らは皆悪気なく何も知らないか、もしくは自ら命を絶ってしまうのだ。どうやっても、背後にいる人間が誰なのかを知ることは出来なかった。


 ナサニエルはとうとう見るに見かねて、ユリウスに進言した。これはもう自分たちの手には負えないと。国を上げて調べるべきことだと。


 けれどユリウスは、決して首を縦に降らない。どうあっても周りには気取られるなとの意見を曲げることはなく、犯人を捕らえることは愚か、突き止めようともしないのだ。

 何故なら彼は、狙いが母親のソフィアではなく自分であるうちは、何が起ころうと耐え抜くと決めていたから。


 それに、彼にはどうしてもわからなかったのだ。何故こんなにも回りくどいやり方をするのか。本当に命を狙うなら、寝込みでも襲ってしまえばいいのではないか――と。……顔を見られる訳にはいかないということなのかもしれないが、いつまでたっても犯人を捕まえようとも、騒ぎ立てようともしない相手に、一体どんな気持ちでこのようなことを繰り返すのか。本当は、命を奪うつもりはないのではないか――と。


 そしてそれと同じ頃、ユリウスはローレンスに告げていた。しばらく僕には近づくな、部屋に来るのは勿論、話し掛けてもいけない――と。それは、ローレンスを守るためだった。


 けれど、毒入りの菓子の件以来のことを何も知らないローレンスは酷く傷付いた顔をした。理由を尋ねても何一つ答えようとしないユリウスに、とてもショックを受けていた。

 だがその頃のユリウスは常に顔色が悪く表情もどこかキツいものとなっていたので、きっと何か深い理由があるのだろうと、彼は結局言いつけを受け入れた。そして二人は食事中の会話はおろか、城内ですれ違っても目配せ一つすることも無くなっていった。


 そしてそれから更に一月(ひとつき)が過ぎ、年が明けた。それはユリウスの成人の宴が執り行われる前日の、雪の舞い散る夜のこと。――決定的な事件が起きた。


 ユリウスとナサニエルが、宴に正体されたグーテンアース国の一行と廊下ですれ違ったときだ。一行の先頭を歩いていたリッキーゼン太閤とユリウスは挨拶程度の言葉を交わした。けれど別れ際、太閤がこんなことを言い出したのだ。


「ところで殿下、どうやら顔色が優れぬご様子。もし宜しければ是非我が領地で産出される薬を届けさせましょう。――ああそうだ、薬と言えば三月(みつき)ほど前、我が領地の薬を狙った不届き者が出まして、いくつか薬の元となる材料が盗まれたのです。あれは薬と言えど使い方を間違えれば毒にもなる実。良からぬことに使われでもしたらと思うと、私も責任を感じざるをえません――」と。


 そしてこの言葉の真意に気付いたナサニエルが、太閤に対して剣を抜きかけたのである。ユリウスが咄嗟に止めに入ったから良かったものの、その場は一時騒然となり、けれど太閤はナサニエルの行動を予想していたと言わんばかりに、笑顔を少しも崩さず、眉一つ動かさなかった。


 そしてこの事件をきっかけにナサニエルの城内での信頼は大きく失墜し、ユリウスが隠し通そうとしていた数々の事件も明るみに出てしまった。


 しかしそれでも黒幕が太閤だという証拠は何一つ無く、また太閤も口を割るどころか「騎士ナサニエルは殿下を想うばかりに、私の言葉を勘違いして受け取ってしまっただけのこと。幸い怪我人もいない。だからどうかその忠誠心を思いはかって、ナサニエルには罰を与えないでやって貰いたい」などと言い出すものだから、この国の重臣たちの太閤への信頼はますます上がり、ナサニエルはいよいよ立つ瀬が無くなってしまった。

 そんなことを言われて、はいそうですか、恩情を頂き感謝します――などとは、嘘でも口に出来なかったのである。


 ナサニエルは責任を取りソフィアの騎士を辞すことに決めた。けれどソフィアはそれを決して許さなかった。ユリウスとナサニエルをここまで追い詰めた責任は自分にあると、カイルの必死の説得も聞かず、自ら城を出ることに決めたのだ。彼女は王位継承権を持ったままのユリウスと、騎士であるナサニエルの二人だけを連れて、離宮に引きこもってしまったのである。


 そしてその状況は変わらぬまま、五年もの月日が流れた。


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