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【初稿版】愛しのあの方と死に別れて千年~今日も私は悪役令嬢を演じます~《第3幕》  作者: 夕凪ゆな
第4章 箱庭の鳥

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04


*


「殿下、――ユリウス殿下。私の声が聞こえますか」

「…………う」


 ユリウスがその聞き慣れた声にゆっくりと瞼を上げれば、そこは寝室のベッドの上のようだった。部屋は薄暗く、壁のろうそくとテーブルの上の燭台の灯りだけが部屋の中をぼんやりと照らし出している。どうやら既に日は落ちてしまっているらしい。


「あぁ、殿下……本当に良かった。気が付かれたのですね」


 その声音に、彼は眼球だけを横に動かした。すると、自分を見下ろし安堵した笑みを浮かべるナサニエルと目があう。その表情はいつもと比べ、どこか心配そうに曇っていた。


 ユリウスはその様子から、自分の状態はあまり良くなかったのであろうと悟る。そうでなければ、ナサニエルがこのように顔色を変えることなどないのだから。


「…………今、……何時だ。…………ローレンスは――」

 どうしている?と続けようとして、ユリウスは顔を歪めた。


 酷く頭痛がするのだ。それに身体中が痺れていて、指を動かすこともままならない。


「22時を回ったところです。ローレンス様はお部屋に戻られていますよ。心配なさらずとも大丈夫です、私が上手く言っておきましたから」

「……そうか」


 ナサニエルがそう言うのならそうなのだろう。ユリウスは小さく息をはいて、じっと天蓋(てんがい)を見つめた。その瞳は、どこか腑に落ちないというように曇っている。何故なら彼は今まで一度だって、これほどまでに毒に苦しめられたことがなかったからだ。


 彼は今まで国中のありとあらゆる毒を口にしてきた。それは王族の慣習を超える域まで――。


 ユリウスは王子だ。いつ命を狙われてもおかしくはない立場である以上、身体に毒を慣れさせておくことは重要な事である。それは勿論、ソフィアの血を受け継いだユリウスとて例外ではなかった。だから彼は十歳を迎えた頃から、ありとあらゆる毒を口にしてきたのだ。それは普通ならば避けられる筈の、劇薬さえも。スズランとて例外ではない。


 けれど彼は今まで一度だって、今のような状態にはならなかった。いくら酷くても意識を失うようなことは無かったし、一、二時間もすればあらゆる症状は治まったのだ。そしてそれこそが、ソフィアの血を受け継いでいる証拠だった。今回もそうだと思ったのだ。以前野に咲くスズランの実を毒と知りながら自ら口にしたときも、これほど酷い症状は出なかった。だから彼はすぐに人を呼ぶことをしなかったのだ。

 ローレンスに対して彼が告げた、少し休めば収まる……という言葉。それはまさしく、ユリウスの心からの真実だった。それがまさか六時間以上も眠り続けることになろうとは……。それだけでは飽き足らず、身体を動かすことの出来ない状態になるなどと、一体誰が予想できただろう。


 ナサニエルはベッドの傍の椅子に腰かけたまま、愚痴るように呟く。


「あの菓子に入っていたのは確かにスズランを干したもの。けれど干したことによって、毒素が凝縮されてしまったのでしょう。貴方でなければたちまち死に至っていたでしょうね。……それにどうやら何かもう一種類混ぜてあるようで、今部下に詳しく調べさせております」

「……母上には」

「お知らせしておりませんよ。今回のことを知っているのは私たちとローレンス様だけ。部下にさえ貴方が毒を口にしたことは伝えておりません。

 ……けれど、あと少し遅ければ本当に危ないところだったのです。何故もっと早く私を呼んで下さらなかったのか。毒を口にしてから半刻も過ぎてからとは。……流石の私も肝が冷えました」


 ローレンスからユリウスの状態を聞かされて部屋に駆け付けたナサニエルが見たものは、今にも呼吸を止めてしまうのではないかというほどに顔を青白くさせ、ソファに力なく項垂れるユリウスの姿だった。実際にユリウスは呼吸困難を起こしており、そのまま放置すればいつ息が止まってもおかしくない状況だったのだ。


「……お前を呼んだところで……どうにもできないと思ったんだ。この国にスズランの毒を解毒する方法はない、お前だって知っている筈だ」

「ええ、知っていますとも。けれど、それがお約束だった筈でしょう。それにそうでないならば、何故私を呼んだのです。私ならどうにか出来ると思ったから、ローレンス様を寄こしたのではないのですか」

「……それは…………自分でも、よくわからないんだ。……ただ、意識を失う間際……お前の顔が浮かんだから」


 ユリウスはそう言って、視線を天蓋からナサニエルの方へと移した。そして、薄く微笑む。


 それはユリウスが臣下に見せるいつもの作り笑いとは違っていた。ローレンスに見せる、兄の微笑みでもない。


 ナサニエルはそんなユリウスの眼差しを黙ったまま受け止め、呆れたように溜息をついた。テーブルの上の燭台の灯りが、石造りの床に伸びるナサニエルの影を、ちらちらと揺らしている。


「……そうですか。本能だったとしても、思い出して頂けて光栄ですよ。あなたのその咄嗟の判断は正しかった。結果的にあなたは奇跡的に命をとりとめ、今私の目の前で、こうやって生きていらっしゃるですから」

 ナサニエルの切れ長の瞳が、鋭く細められる。それはどこかユリウスを責め立てるように……。


 それに応えるように、ユリウスは問いかけた。「怒っているのか」と――。


「ええ、正直言って心底腹立たしいですよ。もしもあなたが王子でなければ、一発殴り飛ばしているところです。

 以前お約束致しましたよね。何かあれば即刻私を呼びつけるように、と。それをまさかこれほど早く覆されるとは……呆れてものも言えません。

 まさかお忘れになったわけではないでしょう。貴方の方から仰ったのですよ。“何かあればすぐにお前を呼ぶと約束する。だからその時は決して誰にも知られないようにしろ”――と」

「…………あぁ。……そう……だったな」


 それは今より二年程前――ユリウスが十四を迎えた時に、二人の間に交わされた約束だった。


 この国では王族やそれに近しい身分の者は十二を迎えた年に騎士を迎える。その騎士が、生涯にわたって主を守るのだ。けれどユリウスには騎士がいない。彼自身がどうしても嫌だと拒否した為だ。


 ユリウスには耐えられなかった。もし騎士など付こうものなら、城を抜け出して自由な時間を過ごすこともままならなくなる。ただでさえ人目を気にして過ごしているのに、騎士が付きっ切りで傍にいるとなっては息つく暇も無くなってしまう。だから彼は父親である国王カイルに進言したのだ。「自分と剣で戦って互角以上の相手でなければ、僕の騎士とは認めない」――と。


 それは一見、当たり前の言い分だった。自分より弱い者をどうして騎士と認められようか。――そして結局ユリウスは、自分の騎士候補の者たちと戦い全て打ち負かしてしまった。それを見ていた国王カイルは、ユリウスは騎士を迎えずともよいと、許してしまったのだ。


 だがユリウスの母親であるソフィアは、どうもそれをよく思っていなかったようである。それが母心なのか、王妃という立場の為かはわからなかったが……。


 ある日ソフィアはナサニエルにこう命じた。


 ユリウスを倒しなさい。そして、ユリウスが正式な騎士を迎えるまでの期限付きで良いから、ユリウスの騎士と私の騎士を兼任しなさい、と。


 ナサニエルにはソフィアの命(めい)を拒否することが出来ない。結局彼は不本意ながらもユリウスを剣で倒し、ソフィアの騎士でありながら、暫くの間ユリウスにも仕えることになったのだ。


 流石のユリウスも、ナサニエルを拒絶することは出来なかった。だが内心では、母親であるソフィアの騎士を、期限付きとは言え自分の騎士にすることなど出来ないと思っていた。

 それはまたナサニエルも同じであった。彼も心の奥底では、いくらソフィアの命令とて二人の主に仕えるなど出来ないと思っていた。自分の騎士としての尊厳が許さなかったのだ。


 だから二人は一計を案じた。ナサニエルは自分の部下をユリウスの騎士に任じ、ユリウスもそれを受け入れると公(おおやけ)に示したのである。勿論これはフェイクであり、ユリウスがナサニエルの部下との間に契約を結んだと言う事実はない。公の場でのみユリウスに仕える、見せかけの騎士である。


 だがこれによってナサニエルはユリウスに仕える必要はなくなり、そしてまたユリウスも自由になった。けれど、もしも実際にユリウスに危険が及ぶこととなれば、ナサニエルはその責任を問われることになるだろう。だから二人は一つの約束事を取り決めた。


 ユリウスが自らの身に危険を感じたら即刻ナサニエルを呼びつけること。ただし、それを誰にも知られないようにすること――と。


 これが、二年前に起きた事の顛末である。そしてその日から二人は共犯者となり、同時にお互いの理解者となったのだ。


「それよりも……お前はどうやって僕を助けたんだ」

 ユリウスが、ふと呟いた。ナサニエルはそれを受け、懐から一本の小瓶を取り出す。


「これを使わせて頂きましたよ。――何せ緊急事態でしたので」

「――それは、まさか……!」


 ナサニエルの手の中の小瓶に半分ほど残っている真っ赤な液体。ユリウスはその正体に勘づき、驚愕に顔を歪めた。


「ええ、お察しの通り。これは妃陛下の血液です。もしもの時の為に、妃陛下より常時携帯するように命ぜられているもの。それを、ユリウス様……貴方に使わせて頂きました」

「……そんなものを……持ち歩くなど」


 ソフィアの血液。それはたった一滴でも飲めば身体を健康にし、スプーン一杯で傷を治癒させ、コップ一杯で不死の身体を得られると言われている。――けれど、今まで実際にその血を口にしたものは誰一人としていない。それは、国王カイルでさえも。


 そのような逸話があるものだから、ナサニエルはソフィアを守る為に彼女の騎士となったのだ。


「その様子では本当にご存じないのですね。この血には確かに癒しの力がありますが、それだけではないのですよ。陛下はご自分の力を何者にも悪用されないようにと、そのお身体に自ら呪いをかけられたのです」

「……呪いだと?」

「――はい」


 ナサニエルは小瓶を懐にしまうと、何かを憂いているように瞼を伏せた。


「この血にはとても強い呪いがかけられています。これを使う者の心の有り様によって、毒にも薬にもなる呪いです。清らかな心でこれを使えば、ありとあらゆる傷は癒え、その者を幸福へと導く。けれど――」

「……」

「そうでない者には、死へと誘(いざな)う毒となる。その効力は絶対です。ですが……貴方にはいい方向に効き目があったようで、本当に良かった」

「冗談を言っている場合か。まさか母上がそんなことをしていただなんて……僕は少しも知らなかったぞ」

 ユリウスはナサニエルを睨みつけ、皮肉気に口角を上げた。するとナサニエルは、「子供に心配をかけまいという母心でしょう」などと、いつもならば絶対に言わないようなことを口にする。


「――もういい。わかった。それより、そろそろ身体を起こす、手伝え。いつまでもこのままではいられない」


 彼はそう言って、身体に力を入れてみた。先ほどよりも大分良くなっているようだ。痺れも殆ど取れてきている。流石はソフィアの血――と言ったところか。


 ユリウスはナサニエルの手を借りて上半身を持ち上げた。まだ頭痛は残っていたが、大したことではない。


 ユリウスはベッドの背に身体を預けると、小さく息を吐いた。そして今度はこちらの番だと言いたげに、凛とした眼(まなこ)でナサニエルを睨むように見つめる。


「お前の言い分は良くわかった。だがそもそもの事の発端はお前にあるのではないのか。その菓子は母上が城下で頂いたもの。そこにはお前もいた筈だ。それをまさか毒味もさせずに寄こしたというのか。……もしも私(・)では無くローレンスが口にしていたらどうなっていたか。取り返しのつかない事態になるところだったのだぞ。そんなこともわからないお前ではない筈だ。

 確かに母上にはどんな毒も効かない。だが、だからといって決して疎かにしていいことではない。このようなこと、万に一つも有ってはならないことだ。怠慢だぞ、――ナサニエル」


 ユリウスの迷いのない強い眼差し――。落ち着いた、けれど芯の通った低い声音。これが王になる者の威厳だ。ナサニエルは眼を細めると、椅子から立ち上がり床に跪いた。


「――殿下、お詫びの言葉もございません。どうか私めに罰をお与えくださいませ」


 頭を垂れたナサニエルを、ユリウスは厳しい表情で見下ろす。


「罰だと?笑わせるな。お前は母上の騎士、私が罰など与えられるものか。――だが、責任を取って今回の件、全て明らかにしてもらう。何故菓子に毒が入っていたのか。仕組んだ者がいるのかどうか、即刻突き止めよ。二度と同じ過ちを繰り返させないように。……そして、母上をきちんとお守りせよ」

 そこまで言うとユリウスは小さく息を吐き――「もう行け」と続けた。

 その言葉にナサニエルは顔を上げて、自分を見下ろすユリウスの漆黒の瞳をじっと見つめ返す。


「承知致しました。――寛大なお言葉、心から感謝致します、殿下」


 そして彼は再度頭を下げると、足音一つ立てずに部屋を後にした。

 

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