第三十一話:『断熱圧縮の熱線と崩壊の笑顔』
第三十一話:『断熱圧縮の熱線と崩壊の笑顔』
「――防衛プロトコルの維持による消耗戦は、極めて不毛ですね」
アルファの機械的な音声と共に、彼女の前面に鈍い銀光を放つ肉厚のタングステンシリンダーが出現した。
シリンダーの内部で、分子の限界まで縮められていたチタンスプリングが完全に解き放たれ、重厚なピストンが狂暴な力で内部の空気分子を圧搾していく。
逃げ場を失った空気は、熱力学の絶対的な法則――断熱圧縮に従い、一瞬にして数千度のプラズマへと相転移を遂げた。
シリンダーの極小の隙間から、超高温に達した空気の光が、眩いばかりの白熱光となって漏れ出す。
死線が眼前に迫る中、ベータは前方のアルファから視線を外し、背後を飛ぶマッドの方をゆっくりと振り返った。
その機械の顔に、初めて、人間のようなへたくそな笑顔を浮かべる。
「マスター。……マスターはいつかきっと、あの理不尽なヒーローたちに、世界の仕組みに勝てます。マスターは、とっても諦めが悪い人ですから。諦めない人はきっと勝つんだと、私は思います」
「……ベータ。おい、ベータ! やめろ、負けるな! まだだ、まだ駄目だ! お前はもっと、俺の手でもっと強く育てるはずの最終兵器なんだぞ!」
マッドは左手の義手の全機能を完全開放し、それが無駄な抵抗だと脳の計算領域で理解していながらも、アルファの空間障壁に向けてタングステン徹甲弾の援護射撃を狂ったように放ち続けた。
乾いた発射音が空に虚しく響く。
「私の心のかけらは……この世界のあちこちに、まだ眠っています。だから、きっとまた会えます、マスター」
ベータはそう通信コードに刻むと、再びアルファへと向き直った。
左右のデバイスが激しく明滅し、回収したばかりのマナタイト装甲板が彼女の前面に幾重にも多重展開され、絶対的な強固な壁を形成する。
直後、アルファの空気圧縮砲【メテオ・レイ】が解き放たれた。
それは火薬の爆音ではない。
物理限界まで加速された空気の分子が、ラバール・ノズルの超音速スリットを突き抜けた瞬間。
――パシィィィィィンッ!!!
空間そのものが引き裂かれたかのような、鋭烈極まるソニックブームが全天に轟いた。
放出された物質自体は、どこにでもある『ただの空気』に過ぎない。
しかし、マッハの領域を遥かに超えた速度と数千度の熱量を帯びたそれは、目に見えない透明な『超音速の熱線』と化して、ベータが展開した幾重ものマナタイト装甲を紙切れのように一瞬で貫いた。
熱線はベータの可憐な胴体を中央から完全に破壊し、その余波のまま、後ろにいたマッドの胴体にも、大きな致命的な風穴を容赦なく穿った。
水色の髪が、焼き切れた金属の破片と共に空中に散っていく。
「最優先破壊目標、および障害オブジェクトの機能停止を確認。……目標、完了」
アルファの赤い瞳から、マッドを指し示していた『最優先殺害対象』のアラートが消灯する。
彼女はボロボロになって自由落下していく二つの肉体を一瞥することすらなく、冷酷にログを更新した。
「これより、第ニプロセス。当領域に存続する、マスターへの関与生命反応の完全掃討に入ります」
白銀の女神はそう呟くと、美味しいパンと魚の匂いが残る、眼下の平和な街へとその冷徹な視線を向けた。




