第三話:『狂気の発明、あるいは効率的な武装解除』
第三話:『狂気の発明、あるいは効率的な武装解除』
「控えよ、不届き者め! 国王陛下の御前であるぞ!」
大理石の床を乱暴に踏み鳴らす音が、豪奢な謁見の間に響き渡った。
金属鎧に身を包んだ近衛兵の一人が、顔を真っ赤にしてマッドへと歩み寄る。その手には、鋭く研ぎ澄まされた十文字槍が握られており、刃先は真っ直ぐにマッドの喉元を捉えていた。
それを合図に、壁際に控えていた他の近衛兵たちも一斉に動き出す。
じゃらじゃらと甲冑を鳴らしながら、異世界の生んだ「失格勇者」を完全に包囲するように、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていった。
「おい、聞いているのか! 神聖なる召喚の儀を冒涜し、その場に座り込むなど――」
「騒ぐな、無能ども。今、文字を読んでいる」
マッドは視線を画面に固定したまま、冷淡に言い放った。
彼の指先は、払い戻したばかりの大量の経験値プールを、システムの手順に則って冷徹に再配分しているところだった。
――ピコン。
脳内に電子音が響く。
マッドが選択し、確定させたのは二つの基本技能だった。
【汎用アクティブスキル:分解を取得しました】
【汎用アクティブスキル:調合を取得しました】
「よし、インストール完了だ。デフォルトの戦闘スキルなどより、よほど実用性が高い」
マッドは満足げに頷くと、懐から手慣れた動作で「それ」を取り出した。
前世の組織で愛用していた、黒いゴム製のガスマスクだ。衣服のポケットという、この世界における初期ストレージに残されていた、現代テクノロジーの遺物。
周囲の兵士たちが「なんだそれは」と不審そうに眉をひそめるのを他所に、マッドは平然とそれを顔面に装着し、背後のバンドをきつく締め上げた。
「おい、何を――」
近衛兵が槍を突き出そうとした瞬間、マッドの右手が動いた。
狙ったのは兵士たちではない。謁見の間の随所に飾られていた、見事な大輪の盛花。そして、歓迎の宴のために用意されていたであろう、豪奢な大皿に盛られた新鮮な果物の山だった。
「『分解』」
ボウ、とマッドの掌から淡い光が放たれ、花と果物の山に触れる。
次の瞬間、それらは瑞々しい色彩を失い、一瞬にして乾いたチリへと姿を変えた。
生命の組織を構成するあらゆる元素が、システムによって純粋な成分データへと還元され、マッドの個人ストレージへと吸い込まれていく。
果物に含まれる水分、塩分、そして植物特有の酸性成分。
マッドの脳内で、前世の化学式が高速でパズルのように組み合わさる。
「続いて、『調合』。……塩素酸、および強酸の合成。気体への相転移を実行」
シュウウウウウウ――ッ!!
マッドの足元から、突如として禍々しい黄緑色のガスが噴き出した。
密閉された謁見の間の床を這うように、その気体は凄まじい速度で拡散していく。
「な、なんだこれは!? 煙……? うっ、目が、目がぁぁぁっ!?」
最初に悲鳴を上げたのは、マッドに最も近づいていた近衛兵だった。
槍を取り落とし、両手で顔を覆って床に転がる。
ガスマスクのフィルター越しにマッドが見つめる中、充満した塩素ガスは容赦なく人間の粘膜を侵蝕していった。
「カハッ、ゲホッ! 息が……息ができない……!」
「国王陛下をお守り……う、あああ!」
大広間は一瞬にして地獄絵図と化した。
近衛兵たちは涙と鼻水を流しながら激しく咳き込み、一人、また一人と大理石の床へ崩れ落ちていく。
玉座の上で偉そうに踏ん反り返っていた国王も、喉を掻きむしりながら座席から転げ落ち、宮廷魔導士にいたっては呪文を唱えようとした口から泡を吹いて気絶していた。
数分と経たずに、室内のすべての生物が完全に無力化され、ぴくりとも動かなくなる。
ただ一人、黒いマスクを装着したマッドだけが、静寂の戻った謁見の間を悠然と歩き回っていた。
「やれやれ。魔法だの神の加護だのと大層な口を叩く割には、単純な化学兵器への耐性すら整えていないのか。呆れたセキュリティだな」
マッドは床に転がる兵士たちを一瞥もせず、城の資産価値の査定に入った。
「お、これなどは良いベースになる。……『分解』」
柱に施されていた純金製のきらびやかな装飾、壁に埋め込まれていた巨大な魔宝石、さらには国王の足元に転がっていた国宝級の錫杖。
マッドが触れるたびに、それらは輝く物質データへと分解され、彼のストレージへと面白いように回収されていく。
今後の研究開発における、貴重な「資金源」であり「素材」だ。
一通りの略奪を終えたマッドは、満足したようにストレージの容量を確認した。
「さて、と。あまり長居する理由もないな」
床で白目を剥いている国王を見下ろし、マッドはガスマスクの排気弁からこもった声を出した。
「勘違いするなよ、老人。好きにやらせてもらうと言ったはずだ。……安心しろ、死ぬほどの濃度じゃない。数分以内に窓を開けて換気しておけば、後遺症も残らず元通りだ」
もっとも、それを実行できる人間が今この場にいるかは知ったことではないが。
マッドは親切心からではなく、ただの事実の陳列としてそう告げると、近くの大きなステンドグラスの窓をいくつか叩き割り、外の空気を引き込んだ。
そして、己の足元――前世の衣服に組み込まれていた、小型の『ジェットブーツ』のスイッチを親指で押す。
キィィィィィン……ッ!
鼓膜を震わせる高周波の駆動音とともに、マッドの身体がふわりと宙に浮いた。
「失格勇者」として呼び出された男は、爆発的な推進炎を足元から吹き放ち、粉々に割れた窓から、広大な異世界の青空へと一直線に飛び去っていった。




