海王の槍 (ポセイドンズ・スピア)
【章のあらすじ】
皇帝は、最初に粛清する息子を決定する。
——ギィィィ。
漆黒の地下牢の静寂を、重厚な鉄の扉が軋む音が引き裂いた。
骨の髄まで凍りつくような、天王星 (ウラヌス) の宮殿の最下層。
鎖に繋がれたミライ・アルタイルが、そこに座り込んでいた。
——ゴホッ、ゴホッ!
吐血を伴う、激しい咳き込み。
その身体は、無数の傷跡に覆われていた。
焼け焦げた痕、化膿した傷、そして人体の限界を超えた極度の疲労。
だが、それにもかかわらず……彼は微笑んでいた。
壊れかけの歪な笑み。しかしそこには、静かなる勝利の確信が宿っている。
——カツッ……カツッ……。
闇の中、優雅な足音が近づいてくる。
足音は彼の目の前で止まった。
アルタイルがゆっくりと顔を上げると、そこにはイザベラが立っていた。
瞳の中に星を輝かせ、地下牢の暗闇には似つかわしくないほど、熱狂的な笑みをその唇に浮かべている。
「陛下が真実に気づかれたわ……」
抑えきれない興奮と期待を込めて、イザベラは告げた。
「ついに作戦開始よ。立ちなさい、坊や……アタシの旦那様がお呼びだわ」
血に染まったアルタイルの笑みが、さらに深くなる。
(ついに……歴史が変わった)
——ジャラッ……ジャラッ……。
謁見の間に、鎖を引きずる重々しい音が響き渡る。
ミライ・アルタイルが、大円卓会議室へと引きずり出された。
だが今回、室内の空気はこれまでと全く異なっていた。
九人の妻たちの眼差しが……明確に変わっている。
もはや「未来から来たと妄言を吐く狂人」へ向けるような、軽蔑や嘲笑、非難の視線ではない。
それは、衝撃と罪悪感、そして深い同情に満ちた眼差しだった。
今や彼女たちの目に映る彼は、「未曾有の大厄災を生き延びた唯一の生存者」なのだ。
自分たちの息子が創り出した地獄を、生き抜いてきた犠牲者。
部屋の片隅では、この時代の彼の母親であるオリアが、血まみれの我が子の姿に下唇を噛み締め、その瞳に涙をいっぱいに溜めていた。
——ゴゴゴゴゴ。
皇帝 (こうてい) の圧倒的な覇気が、空間そのものを圧迫する。
漆黒の玉座に座る皇帝は、その視線を真っ直ぐにアルタイルへと向けていた。
「余は、全てを見た」
皇帝の言葉が、鉄槌のように重く響き渡る。
「もはや奴らは後継者などではない……ただの狂暴な暴君に成り下がった」
アルタイルは沈黙し、次の言葉を待った。
「貴様は、奴らが破壊し、焼き尽くした未来を生きた」
皇帝は僅かに首を傾げ、その眼光に底知れぬ憎悪と殺意を宿らせる。
「故に……貴様が奴らを狩るための『案内人』となれ」
アルタイルは笑みを浮かべ、漆黒の瞳を大胆にも玉座へ向けた。
「教えよ」
皇帝は続ける。
「ダンテの弱点を」
一方、青き星――地球 (ちきゅう)。
ニューヨーク、タイムズスクエアの中心。
否、今やそこは「罪悪の劇場」と成り果てていた。
ダンテの黄金の宮殿が、都市の真ん中に傲然とそびえ立っている。
その最上階。ダンテは自身の玉座に深く腰を掛けていた。
手には最高級のワイングラス。その瞳は、比類なき強欲さで絶えず上昇し続ける株価や数値のスクリーンを追っている。
それこそが信仰の力 (ドグマ)……愚かな人類を洗脳して搾取したエネルギー。
「ハハハハッ!」
ダンテは至高の優越感に浸りながら高笑いした。
彼は本気で、自分は無敵なのだと信じ切っていた。
メディアを支配する影響力と莫大な富。それさえあれば、他の兄弟たちを凌駕できる。
いや……皇帝すらも超えたのだと。
場面は戻り、地球の衛星軌道上。
皇帝の絶望的な大艦隊が停泊している。
指揮所の巨大モニターには、炭のように漆黒で、凄まじい電磁エネルギーを脈打たせる巨大な金属製カプセルが映し出されていた。
「あれは……なんだ?」
画面を見上げながら、アルタイルが問う。
イヴ (イヴィー) が眼鏡の位置をクイッと直した。
「あれが『海王の槍 (ポセイドンズ・スピア) 』です」
「単純な大量破壊兵器ではありません。ダンテの力は信仰 (ドグマ) に依存しています。ですから……」
地球を見下ろす巨大なガラス窓の前に立つ皇帝が、その言葉を引き継いだ。
「あの槍はミサイルのような巨大なカプセルだ……大気圏を突破した瞬間、圧倒的な電磁パルスを放つ」
「すべての放送ネットワークとメディアを麻痺させるパルス……!」
イザベラが、背筋が凍るような熱狂を帯びて囁く。
「全世界の情報インフラを破壊するわ。アタシの息子の金融ネットワークを、ほんの一瞬で完全に凍結させてやるのよ」
皇帝が右手を高く掲げた。
その眼差しは、地球上のちっぽけな一点……ニューヨークへとロックオンされている。
「これより作戦を開始する」
皇帝が、絶対的な指令を下した。
——ズドォォォォン!!!
宇宙空間が激しく震動し、軌道上から地球へ向けて、恐るべき蒼き光の槍が解き放たれる。
タイムズスクエア。ダンテの黄金宮殿。
——チャリン。
クリスタルグラスが触れ合う軽快な音。
「僕の、そして新たな最高記録の更新に……乾杯!」
ダンテが高らかにグラスを掲げた。
玉座でリラックスしながら深く息を吸い込み、恍惚の表情で半目を開く。
だが……まさにその瞬間。
——ビーッ! ビーッ! ビーッ!
優雅なクラシック音楽を切り裂き、けたたましい警報音 (アラーム) が宮殿内に鳴り響いた。
ダンテが驚愕に目を見開く。
「なんだ? 何が起きている!?」
彼を囲むすべての巨大スクリーンが、不吉な真紅へと染まり上がった。
上昇し続けていた数値が……ピタリと止まる。
そして次の瞬間、狂ったような速度で大暴落を始めたのだ!
十億……百万……千……。
ゼロ。
全ての価値が、ただのゼロへと変わっていく!
「あり得ない! 放送ネットワークが遮断された!? 僕の資産が!!」
パニックに陥り、ダンテは叫び声を上げた。
ニューヨークの空を見渡す、巨大なガラス窓へと駆け寄る。
そして彼がそこで目にした光景は……その身体を完全に硬直させた。
空が、ひび割れている。
蒼き炎の尾を引きながら、大気圏が物理的に引き裂かれていたのだ。
——ドゴォォォォォォン!!!
難攻不落を誇る宮殿の防壁が、まるで安いガラスのように粉砕される絶望的な轟音。
『海王の槍 (ポセイドンズ・スピア) 』の巨大な質量が塔の天井をぶち破り、全てを粉砕しながらダンテの宮殿の中央へと突き刺さった。
音のない電磁パルスが空間を呑み込み、全てのスクリーンをブラックアウトさせ、防衛システムを完全に沈黙させる。
都市が、いや地球全土が、蒼き槍の明滅以外何一つ見えない深い闇へと沈んだ。
舞い上がる粉塵と煙の中……。
槍そのものから、重く、深く、全てを圧し潰すようなしゃがれた声が響き渡る。
「お遊びは終わりだ、ダンテ……」
ダンテの身体が、小刻みに震え出した。
「貴様の父親が、迎えに来てやったぞ」
槍のカプセルが、死のような静寂と共に開く。
瓦礫の中心、おぞましいまでの絶対零度の覇気の向こうに……。
皇帝 (こうてい) が姿を現した。
その隣には、実の息子に向けて致命的なサディストの笑みを浮かべるイザベラ。
そして彼らの背後には、長年の怨嗟と憎悪の炎を瞳に燃えたぎらせるミライ・アルタイルが立っていた。
一瞬の、あまりにも重苦しい沈黙。
そして……。
ダンテは、ゆっくりと自分の顔を片手で覆った。
——フハッ……アハハハハハッ!
極限の傲慢さを孕んだ狂気の高笑いが、崩壊した宮殿内に木霊する。
彼は首を傾げ、この絶望的な状況にあってもなお、底知れぬ傲慢さに満ちた瞳で皇帝を見据えた。
「ようやく来てくれたね……父上 (ちちうえ)」
【作者ノート】
ついにクライマックスの幕開けです! ダンテと、その両親である皇帝&イザベラによる直接対決が正式に始まりました。
もしこの章をお楽しみいただき、いよいよ始まる真の激突への期待が高まりましたら、ぜひページ下部から星五つ の評価と、お気に入り(ブックマーク)への追加をお願いいたします!皆様からの応援こそが、この壮大な覇道を書き続けるための『エーテル』となります!




