二人の哲学者、そして皇帝
【本章のあらすじ】
皇帝は、これまでの戦いで最強の敵である「哲学者の評議会」の七人のうちの二名と激突する。
果たして、彼らは皇帝に対してどのような戦いを挑むのか?
「まずは、貴様らの名を名乗るがいい」
静まり返った砂漠の沈黙を打ち破る、極めて傲慢で冷酷な声。
『皇帝』は、コートのポケットからゆっくりと両手を開放しながら言い放った。
彼の眼前に立つのは、生命という概念から完全に切り離された二つの異形。
一人は、吐き気を催すほどに細長く、歪な金属の骨格を持っていた。
冷たい鋼鉄で鋳造された平らな頭蓋骨。
その下顎からは、幾千もの直線の金属ワイヤーが規則正しく無数に垂れ下がっている。
それらは、荒れ狂う砂漠の強風を浴びても、ただの一ミリたりとも微動だにしない。
彼は、地上からわずか一センチメートルの空間に、不気味なほどの静寂をもって浮遊していた。
「私は『ゼノン』。『哲学者の評議会』が第七の哲学者である」
その声は、一切の感情を排した、ひどく単調で、遅く、催眠的な響きを帯びていた。
「貴様が強力で危険な男であるというデータは受領しているぞ、皇帝……。自らを皇帝と定義づけるとは、計算上、随分と過剰な自信であるな」
対して、もう一体の異形は……純粋な恐怖そのものであった。
その外部装甲は、宇宙の暗黒から堕ちてきた隕石のように、完全に黒焦げに炭化している。
精密に設計された機械の顔面は、絶対的な悲哀と、果てしない憂鬱を表現するように歪んでいた。
両眼にレンズは存在しない。
代わりに深く抉れた眼窩の奥では、灼熱の液体金属がドロドロと煮えたぎっていた。
ジュゥゥゥゥッ……!
煮えたぎる液状金属が絶え間なく溢れ出し、鋼鉄の頬を伝って滴り落ちる。
それはまるで、溶岩の涙を流して永劫に泣き続けているかのようだった。
パキッ、ピシィッ……。
亀裂の入った胸部からは、死にゆく星の中心核のような途方もない熱線が放射されている。
「我は『ヘラクレイトス』……第五の哲学者なり」
全銀河の嘆きと哀しみを背負ったような、重く、悲痛な声が轟く。
「皇帝よ……貴様は、変転の劫火で遊ぶことを望んでおるのだな」
フッ……。
皇帝は、氷のように冷酷な笑みを漏らした。
ザァッ!!
瞬きすら許さぬ超速。
皇帝の姿が、その場から完全に消失した。
ゴオォォォッ!!
ゼノンの目前に突如として顕現し、その鋼の腹部へと必殺の蹴りを叩き込む。
――だが。
細身の哲学者は、流れるような滑らかさでその一撃を回避した。
「ほう。悪くない反応速度だ」
皇帝は酷薄に笑い、再び姿を消す。
次なる瞬間には、ゼノンの頭上遥か高空に君臨していた。
「だが、俺の方が遥かに速いぞ」
皇帝は虚空に舞う。
二人の屑鉄を完全に見下しており、未だに己の『絶対法則の強制 (アクシオム)』の力すら引き出そうとはしていなかった。
ドゴォォォォォンッ!!
黒き流星のごとく急降下し、ゼノンの防御を完璧に貫通する暴虐の拳を叩き込む!
メキィッ!
鋼鉄の腹部が粉砕され、細身の哲学者はドロドロとした真っ黒な粘液を吐き出した。
ズガァァァァンッ!!
その流麗な動作のまま、今度はヘラクレイトスへと猛突進。
灼熱に燃えるその頭蓋骨の一部を、容赦のない頭突きで粉々に打ち砕いた!
「……論理的に興味深い。貴様の物理的筋力は、私の計算式を逸脱している」
ゼノンは黒い粘液を拭いながら、感情の一切欠落した声で淡々と告げた。
「だが、遊戯の時間は終了である」
ギィィ……。
ゼノンはゆっくりと腕を上げ、自身の体躯から小型の金属デバイスを抽出する。
「『機械的模倣 (エコー)』――【無限の距離】」
ザザザザザッ!
ゼノンが、急激に後方へと後退する。
皇帝はそれをすかさず粉砕すべく猛追した。
――しかし、ここで『論理的(数学的)な不可能』が起きた。
皇帝が前進すればするほど、眼前の空間が無限に引き伸ばされていく。
距離が倍数的に増殖し、永久に到達できない空間のループに閉じ込められてしまうのだ。
ズギュゥゥゥンッ!
苛立った皇帝が『アクシオム』のエネルギー光線を放つが、その閃光すらも無限の虚空に飲み込まれ、標的へ到達することは数学的にあり得なかった。
「『機械的模倣 (エコー)』――【劫火の輪】なり!」
ゴォォォォォッ!!
突如として、皇帝の腰を締め付けるように燃え盛る炎の輪が形成される。
だが、致命的な業火が肉体を切断するその刹那、皇帝は絶死のスピードをもってその中心から姿を消した。
忌々しげにヘラクレイトスを睨みつけると、その燃え盛る手のひらにも、ゼノンと同じ機械装置が脈打っているのが見えた。
(……なるほど)
その絶対的な危機にあってすら、皇帝の獰猛な笑みはさらに深く、広く刻まれた。
未知の法則を操る強敵との殺し合いの恍惚が、暴君の冷たい血を沸騰させる。
ザァッ!!
皇帝は再びその姿を掻き消し、ヘラクレイトスへの急襲を試みる。
ボウゥッ!!
だが嘆きの哲学者は、絶望的な熱量を持つ炎の壁を天高く立ち上げ、その猛進を完全に遮断した。
――その時。
皇帝の耳元で、あの感情を排した催眠的な囁きが響いた。
「急ぎ過ぎである。……視覚的に遠方だからといって、私が数学的に遠くにいるとは限らないのだ」
ゼノンの声だと認識した瞬間にはもう遅かった。
振り返るよりも早く、氷のように冷たい鋼鉄の手が、皇帝の肩を背後からガッチリと捕らえていたのだ。
メキボキィッ!!
骨を粉砕するほどの論理的かつ絶対的な握力。
「ガァッ……!」
皇帝の喉から、極めて稀な苦痛の呻きが漏れる。
ゼノンは間髪入れず、暴君の無防備な背中へ向けて無慈悲で強烈な一撃を叩き込んだ。
そこへ、嘆きの哲学者ヘラクレイトスが悠然と歩み寄る。
ドズゴォォォォォォンッ!!!
燃え盛るその手を、皇帝の腹部に直接押し当てた。
そして――デバイスの全エネルギーを、皇帝の臓腑の奥深くへと容赦なく起爆させた。
スゥッ……。
その瞬間、ゼノンは再び『無限の距離』の彼方へと音もなく後退し、幻のように消失していた。
ゴォォォォォ……ッ。
濃密な黒煙が、爆心地を完全に覆い尽くしていた。
二人の哲学者は無言で佇み、ついに皇帝を打倒したのだと確信していた。
――だが。
皇帝は、奴らの絶望的な希望をいとも容易く打ち砕いた。
ズンッ……ズンッ……。
業火の煙を掻き分け、重々しい足音を響かせて『それ』は歩み出てきた。
ヘラクレイトスの直撃を浴びた肉体は激しく焼け焦げ、原形を留めないほどに醜悪に爛れている。
しかし――二人の異形の眼前で、皇帝の千切れた筋繊維や砕けた骨格が、異常な速度で再生を始めていたのだ。
「バ、バカナッ!? キサマァァッ、ナンダコレハァァッ!!」
ヘラクレイトスの纏っていた嘆きの威厳は、完全に崩壊した。
狂気に満ちたヒステリックな絶叫。
絶対的な死の必然性を裏切るその現象を前に、彼の計算アルゴリズムは完全に平衡を失い、バグを起こしたように狂乱する。
(……なるほど。確かに厄介な手品師どもだ)
(だが、この戦闘において一つ、実に興味深い事実に気が付いたぞ)
ダンッ!!
皇帝は大地を蹴り、天空へと飛翔した。
ヘラクレイトスも即座に空へと追従する。
その両手には、次なる一撃を放つべく小型のデバイスが隠し持たれていた。
だが、皇帝は空中で驚異的な機動を見せ――嘆きの哲学者の顔面へと、情け容赦のない粉砕の拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
弾き飛ばされるヘラクレイトスを尻目に、皇帝が大地へと着地した瞬間。
距離の概念を捻じ曲げ、ゼノンが背後から暗殺者のように忍び寄る。
しかし、その刃が届く直前――皇帝は再び雲を裂いて空へと舞い上がった。
(……やはりな。俺の仮説は確信に変わった)
皇帝は、空中で『鬼ごっこ』を始めた。
右へ、左へ。上へ、下へ。
ヘラクレイトスは空中で必死にその後を追いかける。
そして皇帝が地上に降り立つと、今度はゼノンが殺意を剥き出しにして突進してくるが、皇帝は再び空へと消え去るのだ。
その余裕の機動の最中、皇帝の視界の端に何かが映った。
戦場の周縁部を飛び回り、この激闘を記録している小型の無人ドローン群。
ニヤリ……。
暴君の口元が、歪な三日月のように吊り上がる。
(フッ……これこそ、まさに俺が求めていた舞台設備だ)
ピピピピピッ!!
突如、ヘラクレイトスの焦げた肉体から、電子アラームのような甲高い起動音が鳴り響いた。
枯渇していたデバイスのエネルギーが、ついに再充填を完了したのだ。
ヘラクレイトスは、狂乱の声を張り上げた。
「『機械的模倣 (エコー)』――【劫火の輪】ィィィッ……!!」
だが。
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
スゥッ……。
いつの間にか、皇帝はヘラクレイトスの背後に、まるで影のようにピタリと張り付いていたのだ。
ガシィィィッ!!
皇帝の両腕が、背後からヘラクレイトスの首と両腕を、鋼鉄の万力のように拘束する。
「さあ……」
耳元で囁く、絶対的な暴君の声。
「発動できるものなら、やってみるがいい」
クハハハハハッ!!
砂漠の沈黙を切り裂いて、皇帝の残虐極まりない高笑いが轟いた。
罠は、完璧に機能していた。
先ほどの空中での鬼ごっこの最中、皇帝は一つの真理を見抜いていたのだ。
ゼノンは『無限の距離』のデバイスを起動している間、決して空中の皇帝を追うことができなかった。あの能力の致命的な代償は、「飛行能力の完全な喪失」であると。
一方でヘラクレイトスは、明らかに炎の攻撃を節約していた。デバイスのエネルギー容量には限界があり、再充填には膨大な時間を要するからだ。
奴らは時間を稼ぐために、二人で連携して遅延戦術を行っていたに過ぎない。
皇帝は、奴らのその足掻きを逆手に取り、自身の仮説を裏付けるための『観察期間』として利用したのだ。
「今……」
皇帝は、すべてを支配する絶対者の声色で告げた。
「この密着状態で貴様が力を起爆させれば、貴様自身も俺と共に燃え尽きるぞ。……果たして貴様に、そんな真似ができるかな?」
ギギッ……。
ヘラクレイトスは、絶望と恐怖に顔を歪めながら、地上に立つゼノンを見下ろした。
だがゼノンは、空を飛ぶことも、味方を救出することもできず、ただ無力に地上に立ち尽くすことしかできなかった。
敗北の圧倒的な衝撃が、二人の哲学者のアルゴリズムを完全に機能不全へと陥らせる。
その絶対的な絶望の只中で――
皇帝はついに、『ある力』を解放しようとしていた……。
【読者の皆様へ:今話のクエスチョン】
第十八章へようこそ! 今日の質問です:
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