第43話
王都の喧騒が嘘のように静まり返った、コールマン商会王国支部・最上階。
夜の闇に包まれた会長室では、ワイズ・コールマンがマホガニーのデスクに向かい、魔晶石の灯りを頼りにその日の商談記録に目を通していた。
彼の背後には、いつものように黒いパンツスーツに身を包んだ秘書、ミナ・リンスリーが静かに控え、明日以降の分刻みのスケジュールを頭の中で反芻している。
「明日の午前は、王家直属の錬金術師ギルドとの魔石卸価格の交渉。午後は、西方領主からの新規融資案件の査定ですね。……どちらも、強気の条件で進めてよろしいでしょうか」
「ああ。どうせ長くは続かない取引だ。短期で回収できる最大限の利をむしり取れ」
ワイズが視線を書類から外すことなく冷徹に答えた、その時だった。
控えめな、だが規則正しいノックの音が会長室に響いた。
「会長。夜分遅くに失礼します」
扉が開き、王国統括支店長ヘンドリック・ゾラが姿を現した。
彼はいつものように神経質そうな手つきで眼鏡の位置を直すと、その後ろから続くように三人の支店長たちが次々と部屋に入ってきた。
ギガル、ベルタ、シェリー。
王国の経済を裏から回す、コールマン商会の幹部たちが揃い踏みしたのだ。
「揃ったな。……では、報告を聞こうか」
ワイズは手にしていたペンを置き、背もたれに深く身を預けた。その言葉を合図に、支店長たちがそれぞれの「成果」をデスクの上に提示していく。
「まずは、わたくしたちから」
シェリーが優雅な足取りで進み出ると、ベルタと共に数枚の書類を差し出した。
それは高級な羊皮紙に書かれた請求書の束。
そしてその全てに、見覚えのあるサインが殴り書きされていた。
「聖女エリーゼ様には、最高級の聖水エステと特注の純白法衣を。魔法使いマリベル様には、幻のヴィンテージワインと希少な研究資材を。……いずれも、防衛予算のツケとして、ご本人たちの直筆サイン入りでございます」
「全く、呆れた連中だよ。国から預かった金で、あんな馬鹿げた散財を嬉々として受け入れるんだからね。……おかげで、こっちの売り上げは過去最高を更新しちまったがな」
シェリーが扇子で口元を隠して妖艶に微笑み、ベルタが肩をすくめて皮肉っぽく笑う。
ワイズは束ねられた領収書を一瞥し、満足げに頷いた。
「続いて、俺だ」
ギガルが一歩前に出ると、分厚い羊皮紙の束を音を立ててデスクに置いた。
「勇者アレク様のご要望通り、黄金と宝石をふんだんに使った、目潰しのごとく光り輝く『国宝級の儀礼剣』を納品してきた。……親方は最後まで『あんなゴミを打たせやがって』と愚痴っていたがな。だが注文通り完璧に仕上げた仕事だ。奴らの性根には反吐が出るが、特注費の領収書はきっちり頂いてきたぜ」
「ご苦労だった、ギガル。職人たちには後で特別手当を出しておいてくれ」
ギガルの報告を聞いたワイズは頷くと、そのままヘンドリックの方を確認した。
「では最後に私から。こちらが例の調査結果です」
最後にヘンドリックが進み出ると、三人の領収書とは別に、一冊の分厚いファイルをワイズの前に置いた。
「勇者一行の浪費だけでも相当な額ですが、問題はそれだけではありません。ここ数年の国内貴族向けの不透明なお金の流れ……いわゆる『裏金』と『賄賂』のルートを全て洗い出しました」
ヘンドリックの眼鏡の奥の瞳が、鋭い知性の光を放つ。
「防衛予算の一部が、ダミーの商会を経由して、ベルンシュタイン公爵をはじめとする有力貴族の懐に流れ込んでいます。証拠となる送金記録と、ダミー商会の登記簿の写しは全て揃えてあります。……これらが表に出れば、王国の首脳部は一瞬で吹き飛ぶでしょう」
ワイズは提出された全ての書類、勇者たちの浪費の証拠と、貴族たちの腐敗の証明を静かに見下ろした。
それらは単なる紙切れではない。
王国の無能と傲慢を数字という絶対の真理で形にした、最も鋭利で残酷な刃。
ワイズの口元に冷たく、そして獰猛な商人の笑みが浮かんだ。
「素晴らしい仕事だ、お前たち。完璧な成果だ」
ワイズの労いの言葉に、支店長たちもまた誇らしげな表情を浮かべる。
だがその和やかな空気を破るように、ギガルが低く重い声で切り出した。
「ところで会長。……例の実用剣の量産、概ね完了したぜ。予定通りの数を打ち上げ、木箱に詰めて帝国のソフィアのところへ順次輸送中だ」
その言葉に、室内の空気が一変した。
「実用剣の量産」そして「帝国への輸送」。
その計画を初耳だったシェリーとベルタは、ピクリと眉を動かし、鋭い視線をギガルとワイズに向けた。
「……ギガル。実用剣の量産とは、どういうことですの?」
シェリーが扇子を閉じ、その妖艶な笑みを消して問い詰める。
「それに帝国に武器を流してるって? そんな大掛かりな動き、アタシの海運部門を通さずにどうやって……いや、陸路で少しずつ運んでいたのか?」
ベルタもまた、事態の異常性を察知して目を細めた。
王国の防衛予算を吸い上げるだけなら、商売の範疇だ。
だが隣国であり、人類最大の軍事力を持つ帝国へ、極秘裏に大量の武器を横流しする。
それはもはや単なる商行為ではない。
国家に対する明らかな反逆であり、戦争の準備そのものだ。
「……会長。その真意、お聞かせ願えますか?」
シェリーの声は静かだが、その裏には隠しきれない緊張と、事の重大さを測りかねる困惑が混じっていた。
ワイズは即答せず、ただ組んだ指の上に顎を乗せ、暗い会長室の中で目を細めていた。




