第44話
シェリーの静かな、しかし核心を突く問いかけに対し、ワイズは即答しなかった。
薄暗い会長室の中、組んだ指の上に顎を乗せたまま、彼はただ静かに目を細めている。
その沈黙が、かえって事の重大さを物語っていた。
やがて、ワイズはゆっくりと口を開いた。
「……ヘンドリックの報告にもあった通り、王国に対する我が商会の貸付金は、まもなく三十億ガメルという天文学的な数字に到達する。だがその莫大な資金が注ぎ込まれているはずの魔王領との戦線は、何年もの間、一進一退の膠着状態を保ったままだ」
ワイズの声は、冷徹な事実だけを淡々と並べ立てていく。
「王国軍が本気で魔王軍を押し返す気がないのは明白だ。彼らにとって魔王の脅威とは、他国から防衛支援金を引き出すための格好の『口実』に過ぎない。そして、その支援金を集めるための最も効果的な広告塔……それが、神に選ばれたという『勇者』の存在意義だ」
「戦争をダシにした、終わりのない資金集め……」
「そしてその金に群がる腐敗した貴族たちと、英雄の肩書きに酔いしれるだけの馬鹿なガキ、というわけか」
シェリーが扇子をパタンと閉じ、ギガルが忌々しげに鼻を鳴らす。
「その通りだ」とワイズは頷き、そして不意に、彼ら支店長たち一人一人を見回した。
「お前たちに一つ、確認したいことがある」
ワイズの眼差しが、今までになく真剣な熱を帯びる。
「ギガル。ベルタ。シェリー。お前たちは皆、一人でも巨万の富を築けるだけの異端の才覚と資本を持っている。にもかかわらず、なぜ私の下にいる? コールマン商会という組織に入ったのは、何のためだ?」
突然の問いに、三人の支店長たちは一瞬だけ言葉を失った。
だが彼らの心の中にある答えは、出会ったあの日から何一つ変わっていない。
「……決まってんだろ」
ギガルが腕を組み、不敵に笑った。
「俺は、大陸中の全ての鉱山を支配し、歴史に名を残す最高の武具をこの世に溢れさせたい。それを一番早く、確実に叶えられるのは、アンタの船に乗ることだと踏んだからだ」
「アタシも同じさ」
ベルタが誇らしげに胸を張る。
「海賊すら束ねる、世界最大の無敵の商船団を作る。その夢を叶えるための莫大な資金と権力を手にするには、会長、アンタの頭脳が必要だった」
「わたくしもですわ」
シェリーが艶然と微笑む。
「大陸中のあらゆる情報と富が交差する、究極の商業ネットワークの頂点に立つ。……わたくし個人の力だけでは何十年かかるか分からないその夢も、コールマン商会ならば実現できると確信しておりますもの」
それぞれの野望。それを叶えるための、したたかな結託。
ワイズは彼らの答えを聞き、満足げに目を伏せた。
「そうだ。お前たちはより大きな、自分自身の夢を叶えるためにここにいる。……確かにこのまま堅実に商売を続けていれば、コールマン商会はさらに大きくなるだろう。お前たちの夢も、いずれは叶う」
ワイズはそこで言葉を区切り、ゆっくりと立ち上がった。
「だがそれではあまりに時間がかかりすぎる。数十年という歳月を待つほど、私は気の長い男ではない」
ワイズの瞳に、全てを焼き尽くすような野心の炎が宿る。
「準備は全て整った。……ヘンドリック」
「はい、会長」
ワイズに促され、ヘンドリックが静かに歩み出た。彼は三人の支店長たちに向かって、淡々と、しかし恐るべき計画の全貌を語り始めた。
「私と会長は、王国からの完全な資金回収……ひいては、王国の経済そのものを解体する計画を立てていました。その中核となるのが、王国からの『資産逃避』です」
「キャピタル……フライト?」
シェリーが怪訝そうに眉をひそめる。
「ええ。我が商会が保有する王国の全資産、および国内の流動資金を、極秘裏かつ一斉に帝国をはじめとする他国へ移送します。同時に、王国の物流網を完全に停止させ、国債を底値で売り叩く」
ヘンドリックの口から語られるのは、刃を一切使わない、しかし最も残酷な国家の殺害方法だった。
「物資の供給が止まり、通貨の信用が地に落ちれば、王国の経済は数日のうちに完全に機能不全に陥ります。そして、最前線を維持するための補給線も崩壊する。……ギガルに命じていた大量の実用剣の帝国への輸送は、この混乱に乗じて帝国との新たな取引網を構築し、我々の新たな地盤を強固にするための『手土産』に過ぎません」
前代未聞の規模で語られる、国家ぐるみの経済封鎖と資産の持ち逃げ。
そのあまりに悪辣で、しかし完璧に計算し尽くされた計画を聞き、ギガルも、ベルタも、シェリーも、一瞬だけ息を呑み、背筋に冷たいものを感じた。
超一流の商人である彼らだからこそ、その計画がどれほど致命的で、王国の首を確実に締め上げるかを瞬時に理解できてしまったのだ。
「……本気なんだな。国を一つ、経済で丸ごと潰す気か」
ギガルの呟きに、ワイズは静かに微笑んだ。それは情など微塵も介在しない、計算と利益のみで構成された商人としての冷酷な表情。
「会長。準備は全て整っております」
完璧なタイミングで、背後に控えていたミナが一歩進み出た。
彼女の手には、先ほど支店長たちが提出した、勇者一行の散財の証拠となる領収書や、貴族たちの裏金の証拠書類が、美しく一つのファイルにまとめられていた。
「ご苦労だった、ミナ」
ワイズはその分厚いファイルを受け取ると、その重みと手触りを確かめるように、ゆっくりと撫でた。
「よくやってくれた。お前たちが集めたこの紙の束……これこそが、我々の美学を貫くための武器だ」
ワイズの言葉に、支店長たちは静かに息を吐き出した。
彼らの目に映るワイズの姿は、もはや一介の商会長ではない。世界を盤上に見立て、国という駒を弄ぶ支配者のそれだった。
遠からず、この男は世界がひっくり返るような何かを確実にしでかす。
その確信が、彼らの胸の内で高鳴っていた。
・ ・ ・
報告を終え、重厚な扉を閉めて会長室を後にした四人の支店長たちは、深夜の静まり返った廊下を歩いていた。
「……なぁ、ヘンドリック」
沈黙を破ったのはベルタだった。
彼女は歩きながら、隣を行く統括支店長に小声で尋ねる。
「アンタ、会長から何か聞いてるのかい? 具体的に、いつ、その引き金を引くつもりなのかって」
ギガルもシェリーも、無言のままヘンドリックの答えを待った。
だがヘンドリックは静かに首を横に振った。
「いいえ。具体的な決行日は、私にも知らされていません」
「おいおい、統括支店長のアンタにもかよ」
「ええ。ですが……」
ヘンドリックは足を止め、振り返って三人の顔を見回した。その眼鏡の奥の瞳には、不安ではなく、絶対的な信頼と野心に満ちた光が宿っている。
「これまでの付き合いから分かるでしょう。あの人が動く時、世界は必ず変わる」
その言葉に、三人の支店長たちは何も言い返さなかった。
ただそれぞれの胸の内に渦巻く期待と興奮を隠すように、口角を上げた。
「……いつでも動けるように、準備だけはしておきましょう」
ヘンドリックの言葉に、ギガル、ベルタ、シェリーの三人は、不敵な笑みを浮かべて力強く頷いた。
来るべき嵐の夜明けは、もうすぐそこまで迫っていた。
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『勇者様、装備のローンが残っていますが?』 第1.5部 番外編完
第1巻冒頭へ続く。




