第40話
王都の一等地にひっそりと佇む、会員制の最高級VIPサロン。
そこはコールマン商会が王侯貴族や一握りの大富豪といった「特別な顧客」のみを招き入れる、極上の悦楽と浪費の空間だった。
大理石の床に敷き詰められたふかふかの絨毯、壁を彩る歴史的な名画。
その奥にある完全個室の特別ルームでは、穏やかな甘い香りと共に、聖女エリーゼがうっとりと目を閉じていた。
「ああ、素晴らしいわ……。お肌が生まれ変わっていくのが分かる……」
彼女が浸かっている黄金の装飾が施されたバスタブに満たされているのは、ただのお湯ではない。
聖教国から取り寄せた最高純度の聖水に、エルフの森でしか採れない希少な薬草のブレンド液を惜しげもなく注ぎ込んだ、特製のエステ用ローションである。
本来ならば魔の瘴気を浄化するための貴重な聖水を、美容のためだけに湯水のように使い捨てる。
その背徳的なまでの贅沢に、エリーゼは心地よさそうに吐息を漏らした。
「やはり聖女たるもの、民衆の希望の象徴として常に完璧で、美しくなければいけませんものね」
「ええ、その通りでございますわ、エリーゼ様。貴女様の穢れなき輝きこそが、王国の希望。そのためには、一切の妥協を排した最高級のケアが不可欠です」
傍らで優雅に微笑みながら相槌を打つのは、商業都市支店長のシェリー・ル・フィーナ。
彼女は客の虚栄心をくすぐる言葉を淀みなく紡ぎながらも、頭の中では冷徹に提供中のサービスの金額を弾き出していた。
「ねえシェリー。次のパレードに向けて、新しい法衣も新調したいのだけれど。前回のは少し地味だったから、もっと純白で、光輝くような素材はないかしら?」
「もちろんでございます。東の果ての神山から、数年に一度しか織られない『天蚕糸』の生地を取り寄せておりますわ。そちらに、清らかな光を放つ白金の糸で刺繍を施しましょう」
「素敵! それでお願いするわ!」
シェリーは扇子で口元を隠し、妖艶な笑みを深めた。
「かしこまりました。最高の職人を手配いたしますわ」
一方、エステ室に隣接するラウンジルームでは、魔法使いマリベルが豪奢な革張りのソファに深く腰を沈め、深紅の液体が入ったクリスタルグラスを揺らしていた。
「どうだい、マリベル様。うちの船団が運んできた、年代物のヴィンテージワイン『女神の雫』の味は」
王国海運部門統括マネージャーのベルタ・カスティロが、誇らしげに胸を張って問いかける。
『女神の雫』。
一本で家が建つと言われるその幻のワインを口に含み、マリベルは満足げに目を細めた。
「悪くないわ。……私たち魔法使いの頭脳を癒やすには、これくらい上質なものじゃないとね。追加で十本、押さえておいてちょうだい」
「毎度あり! 流石は賢者様、お目が高いねぇ」
ベルタは陽気な笑い声を上げながら、手元の伝票に素早く書き込んだ。
「それから、頼んでおいた研究用の資材はどうなっているの?」
「もちろん、最高品質のものをご用意しているよ。特級の魔石に、ドラゴンの鱗粉。どれも市場じゃ手に入らない一級品さ。それから、先日カタログをご覧になっていた大粒の蒼玉のネックレスも、魔力増幅の触媒として一緒に手配しておいたよ」
「気が利くわね。どれも私の魔法研究には不可欠なものよ。……そう、あくまで研究用としてね」
マリベルはグラスを置き、ベルタから差し出された請求書の束を受け取った。
そこに並んでいるのは、一般の兵士が一生かかっても稼げないような、天文学的な数字。
(……呆れた額ね)
マリベルは伝票の桁を一瞥し、その瞳に冷ややかな打算の光を宿した。
エステで無邪気にはしゃいでいる隣室のエリーゼや、城で威張り散らしているアレクとは違う。
マリベルの頭脳は、自分たちの今の生活がいかに異常で、誰の財布の上に成り立っているのかを正確に理解していた。
国から下りる防衛予算など、本来はこんな贅沢を許容できる額ではない。
コールマン商会という巨大なスポンサーが、無尽蔵のツケ払いを許容しているからこそ成立している砂上の楼閣。
そして、商人が何の目的もなく損をするわけがないということも。
(こんな夢みたいな生活、いつまで続くのかしらね……。まあ、いいわ)
彼女はペンを走らせる。
スポンサーの危うさを理解しつつも、与えられる蜜の甘さに抗うことはできない。
むしろこのバブルが弾ける前に、自分の研究と利益のために吸い尽くせるだけ吸い尽くしてやろうという、狡猾なまでの強欲さ。
「全て、王国予算のツケでお願いね」
マリベルは最後に華麗なサインを書き殴り、伝票をベルタへと突き返した。
隣室からも、エステを終えたエリーゼが「サインはこちらでよろしいかしら?」と上機嫌な声を上げている。
「はい、確かに。毎度ありがとうございます、マリベル様、エリーゼ様」
ベルタとシェリーは視線を交わし、完璧な営業スマイルで深く頭を下げた。彼女たちの手元には、勇者パーティーの直筆サインが入った領収書がしっかりと握られている。
この紙切れが後に、王国と勇者の首を絞める最強の武器となることを、傲慢な英雄たちは知る由もない。
そしてその日の夜。
彼女たちから送られた領収書の束を受け取った王国統括支店長ヘンドリックは、執務室の中で部下たちと共に、眼鏡を光らせながら無心でペンを走らせていた。
「聖女エリーゼ、特別エステおよび法衣代、金貨三百五十枚。魔法使いマリベル、ワインおよび研究資材代、金貨六百枚……」
Iガメルの狂いもなく、完璧に。
彼は静かに淡々と、来るべき破産宣告のための決定的な数字を帳簿へと書き込んでいく。




