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勇者様、装備のローンが残っていますが? 〜踏み倒そうとしたので、国中の店で取引停止にしました。素っ裸で魔王と戦ってください〜  作者: けーぷ
第1巻_第四章:金貨の音色は剣戟に勝る

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第35話

王城での「商談」からしばらく後。


王都の南方、広大な平原にて、歴史に残る激突が始まろうとしていた。


黒い雲が空を覆い、湿った風が戦場の匂いを運んでくる。


平原の北側に布陣するのは、ガレオス将軍やボルドー将軍が率いる新生・王国連合軍、およそ五万。


対する南側には、魔王軍四天王『鋼鉄のガルドッサ』が率いる魔王軍主力部隊、およそ三万。


数は人間側が勝っている。


だが個々の身体能力においては魔族が圧倒的に有利というのが、これまでの常識。ゆえに魔王軍の陣営には、依然として侮りの空気が漂っていた。


「見ろよあの人間ども! 勇者が逃げ出したってのに、まだやる気でいやがる!」


最前列に陣取る魔族が嘲笑う。


「この戦いもいい加減飽きてきた!! さっさと終わらせて帰るぞ!!!!」

『ウオオオオオオッ!!』


魔物たちの咆哮が轟く。


「ぶち殺せェェッ!!」


号令と共に、魔王軍が動き出す。


地響きを上げて突進してくる魔物の奔流。その殺気は、かつての王国兵ならば恐怖で足がすくみ、槍を取り落とすほどのものであっただろう。


だが今日、彼らを迎え撃つのは「敗残兵」ではない。


「総員、盾を構えろ!! 足場を固めろ!!」


第一軍団長ガレオスの、腹の底から響く号令が飛んだ。最前列に並ぶ重装歩兵たちが、一斉に巨大な盾を地面に突き立てる。


硬質な金属音が連鎖し、平原に銀色の城壁が出現した。


その盾の表面には、複雑な魔法陣が青白く発光している。ワイズ・コールマンが提供した、物理衝撃を拡散させるエンチャントが施された特注品。


「来るぞ!! 衝撃に備えろ!!」


直後、魔王軍の先鋒が銀の壁に激突した。


肉と鉄がぶつかる音ではない。


まるで高速で走る馬車が城壁に激突したかのような、重く激しい破砕音が戦場を支配した。


「なッ……!?」


魔族の将軍が目を見開く。


本来なら人間ごときが持つ盾など、魔物の突進一発でひしゃげ、持ち主ごと吹き飛ばされるはず。


だが現実は無情だ。


銀の盾は微動だにせず、逆に突っ込んだ魔物たちが、自らの突進の反動で腕を砕かれ、脳震盪を起こして次々と転倒していく。


「あ、ありえねぇ……! なんだこの硬さは!?」

「……刃が通らねぇぞ!?」


混乱する魔物たち。その隙を、歴戦の将軍が見逃すはずがない。


「今だッ!! 突き放てぇぇぇッ!!」


ガレオスの剣が振り下ろされる。盾の隙間から、無数の槍が一斉に突き出された。


その穂先は、一般的な鉄ではない。ミスリルとアダマンタイトの合金。


ダイヤモンドすら傷つける鋭利な切っ先が、魔物の分厚い皮膚を、まるで濡れた紙のように容易く貫いた。


先頭集団が串刺しになり、鮮血の噴水を上げて崩れ落ちる。


後続の魔物たちがその死体に足を取られ、陣形が崩れたところへ、今度はボルドー率いる第三軍団が側面から襲いかかった。


「おらおらおらぁッ!! 今まで散々コケにしてくれた借りを返すぞ!!」


ボルドーは自ら先陣を切り、愛用の大剣を振り回す。彼の部下たちもまた、水を得た魚のように躍動していた。


「軽い! なんだこの鎧、羽根みたいに軽いぞ!」

「剣が吸い込まれるように斬れる!」


ワイズ製の武具には、すべて『身体強化』と『重量軽減』の補助魔法が常時発動するように設定されている。


凡庸な兵士ですら熟練の騎士並みの動きが可能になり、熟練の兵士は英雄級の強さを発揮する。


それが五万人分。もはや戦争ではない。一方的な虐殺だった。


「ひ、ひぃぃッ! 引けッ! こいつら人間じゃねぇ!」

「武器が折れた! 戦えねぇよォ!」


魔王軍の前線が、音を立てて崩壊していく。その光景を、丘の上からワイズとシグルドが優雅に眺めていた。


「……酷いな。いじめに見えるよ」


シグルドが片手で双眼鏡を覗きながら、揶揄うように口元を歪める。


「魔王軍の武器はこれまでの戦闘でボロボロだ。手入れもされていないし、金属疲労も限界に来ている。対してこちらの装備は、大陸最高峰の鍛治師たちが鍛え上げ、付与術師が仕上げた一級品……。勝負になるわけがない」

「ええ。戦争とは、戦う前に決着がついているものですから」


ワイズは懐から手帳を取り出し、何やら書き込みながら淡々と答える。


「彼らは気合と腕力で戦おうとした。我々は資本と技術で戦った。……ただそれだけのことです」


だが魔王軍とてこのまま黙って終わるほど甘くはなかった。


「――脆弱な人間ごときが、調子に乗るなァァァァッ!!」


戦場の空気が一変した。


大気を震わせるほどの怒号と共に、崩れかけた魔王軍の中央から、漆黒の塊が弾丸のように飛び出した。


四天王『鋼鉄のガルドッサ』である。


「邪魔だ邪魔だ邪魔だァッ!!」


ガルドッサが振るうのは、身の丈を超える巨大な戦鎚。


その一振りから生み出される衝撃波だけで、前線の兵士十数人が木の葉のように吹き飛ばされた。


「ぐわぁぁぁッ!?」

「た、隊長! 盾が……盾が割れましたッ!?」


ワイズ製のミスリルの盾ですら、四天王の剛力の前には飴細工のようにひしゃげ、砕け散る。


ガルドッサは止まらない。全身を覆う漆黒の魔鎧は、兵士たちの槍を一切寄せ付けず、魔術師たちの火球も蚊ほどに感じさせない。


「軟弱! 貧弱! 貴様らの武器がいかに上等だろうと、それを振るう中身がゴミならば意味はないわ!!」


ガルドッサが戦鎚を地面に叩きつける。


盛大な衝撃音と共に大地が波打ち、亀裂が走る。その衝撃でボルドー軍の側面部隊が態勢を崩し、その隙を突いて魔物たちが再び勢いを取り戻し始めた。


「ガルドッサ様につづけェ!」

「人間どもの陣形を食い破れ!」


個の暴力が、戦術を凌駕する。戦況の天秤が、再び魔王軍へと傾きかけた。


「……チッ、やはり化け物か」


前線で指揮を執っていたボルドーが舌打ちをし、撤退の指示を出そうとした、その時。


戦場に凛とした、しかし絶対零度の冷たさを帯びた声が響き渡った。


「――騒々しいですね。少し静かにしていただけますか?」


戦場の喧騒を切り裂くような声。


戦場のど真ん中。一人の女性が本陣から無造作に進み出る。


風に舞う銀色の髪。体にフィットした黒のパンツスーツ。


戦場にはあまりに不釣り合いな、洗練された秘書の姿。


だがその手に握られている「モノ」が、彼女がただ者ではないことを雄弁に語っていた。


身の丈を優に超える、真紅の戦斧槍《ハルバード》。


その刃からは、周囲の大気を焦がすほどの熱気と魔力が立ち昇っている。赤龍の背骨から鍛造された伝説の武器、『紅蓮』。


「『朱き災厄《スカーレット・カラミティ》』……!?」


その正体に気づいた兵士たちが息を呑む。ミナは眼前のガルドッサを静かにその視界に捉えていた。


「会長の大事な商談の後片付けです。……速やかに終わらせましょう」


ミナが飛んだ。数十メートルの距離を一瞬で詰め、躊躇なく、弾丸のように急降下する。


「――重力制御、解除。……潰れなさい」


彼女は空中でハルバードを振りかぶると、落下の運動エネルギーに、さらに魔法による加速を乗せ、ガルドッサの脳天へ向かって一直線に叩きつけた。


「ぬぉッ!?」


本能的な危機察知。


ガルドッサは咄嗟に戦鎚を頭上に掲げ、防御の構えを取る。


直後。閃光と轟音が、世界を白く染め上げた。


「ぐ、おォォォッ……!?」


ガルドッサの膝が折れる。


彼が立っていた周囲の地面が、爆発したように陥没し、巨大なクレーターが形成された。


衝撃波が嵐となって吹き荒れ、周囲にいた魔物たちが吹き飛んでいく。


土煙が晴れた時。そこには、巨大な戦鎚とハルバードが鍔迫り合いをしている光景があった。


いや、違う。


ミナは、涼しい顔でハルバードを片手で押し込んでいる。対するガルドッサは、両手で戦鎚を支え、脂汗を流しながら耐えていた。


力勝負において、巨獣のような四天王が、華奢な人間の女性に押されているのだ。


「ば、馬鹿な……ッ! 貴様、人間か……!?」


ガルドッサが呻く。ミナは冷ややかに微笑み、さらにハルバードに魔力を込めた。


「ただの秘書です。……ですが、賞与《ボーナス》分は働きますよ」

「舐めるなァァァッ!!」


ガルドッサが咆哮し、全身の筋力をバネにしてミナを弾き飛ばそうとする。


だがミナは、その力を柳のように受け流すと、空中で一回転し、遠心力を乗せた二撃目、三撃目を叩き込んだ。


重い金属音が響くたび、ガルドッサの漆黒の鎧に亀裂が走り、破片が飛び散る。


「速い……ッ! そして重いッ!」


ガルドッサは防戦一方だった。


ミナの攻撃は、単なる物理攻撃ではない。一撃ごとに爆発的な魔力が炸裂し、鎧の内部へと衝撃を浸透させていく。


「終わりです」


ミナが踏み込む。


ハルバードの石突きでガルドッサの足元を崩し、体勢が崩れたところへ、爆発的な魔力と共に、真紅の刃を下から上へと斬り上げた。


「秘奥――『昇竜・紅《クリムゾン》』」


ミナの斬り上げが直撃し、四天王ガルドッサの巨体が空高く打ち上げられた。


鮮血が舞い、漆黒の鎧が砕け散る。


魔王軍最強の一角が地に伏したその瞬間、戦場に一瞬の静寂が落ちた。


「ガ、ガルドッサ様が……敗れただと!?」

「あんな人間一人に……!」


動揺が広がる魔王軍。


そこへ追い打ちをかけるように、ガルド率いるコールマン傭兵団が、圧倒的な火力で前線を押し込みにかかる。


さらに地平線の彼方からは、シグルド皇子率いる帝国軍本隊が、数万の軍勢による完璧な陣形を保ったまま、ゆっくりと、しかし確実に包囲網を狭めつつあった。


その光景を、魔王軍本陣の丘から見つめる影があった。参謀、『紫煙のメルザス』である。


彼女は敗北したガルドッサと、迫りくる帝国軍の旗印を交互に見やり、表情一つ変えずに呟いた。


「……潮時か」


周囲の側近たちは動揺し、指示を求めて騒いでいる。


「メルザス様! ガルドッサ様がやられました! 前線が支えきれません!」

「帝国軍まで出てくるとは……! このままでは包囲されます! 総員突撃で活路を開くべきでは!?」

「阿呆が。無駄死にするつもりか」


メルザスは冷徹に言い放った。彼女の紅い瞳は、戦場の盤面を冷静に分析していた。


(前線の人間どもの装備……あれは異常だ。純粋な『質』の差で押し負けている)


そこに加えて、無傷の帝国軍数万が横槍を入れてくればどうなるか。


魔王軍は壊滅的な打撃を受け、しばらくは再起不能になるだろう。


(負けは負けだ。だが全滅する必要はない)


メルザスは杖を鳴らした。


「退くぞ。全軍、撤退準備」


メルザスの指示は迅速かつ的確だった。


「第一、第二大隊は殿《しんがり》を務めよ。防御陣形を組み、敵の進撃を遅滞させろ。その隙に本隊は後退する」


そのまま立て続けに指示を出す。


「ガルドッサも回収して運べ! その他の傷ついた者もだ! 動けぬ者は……名誉ある自爆で追手を防げ」


法螺貝の音が響き渡る。それは敗走の合図ではなく、規律ある撤退の合図。


混乱しかけていた魔王軍は、その音を聞くと即座に正気を取り戻し、怒号と共に隊列を組み直した。


前線の部隊が壁となり、その背後で傷ついた仲間やガルドッサを抱えた本隊が、足並みを揃えて後退を始める。


「追うな! 深入りするな!」


人間側の前線でも、ガレオス将軍の鋭い制止命令が飛んでいた。


「敵は崩れていない! 死兵となって反撃してくるぞ!」


勢いに乗って追撃しようとしていた兵士たちが、ハッとして足を止める。目の前の魔王軍は、背中を見せて逃げ出したのではない。


牙を剥き出しにし殺気を放ちながら、ジリジリと後ろへ下がっている。


うかつに飛び込めば、手痛い反撃を受けるのは明白だった。


「……見事なものですね」


丘の上。整然と撤退していく魔王軍を見下ろしながら、ワイズは感心したように呟いた。


「……やはり魔王軍、侮れない組織力を持っています」

「追撃するかい? ワイズ」


隣に並んだシグルド皇子が、帝国の騎兵隊に目配せしながら問う。


「今なら、我が軍の機動力で側面を突けるが」

「いえ。止めておきましょう」


ワイズは首を横に振った。


「窮鼠猫を噛む。これ以上追い詰めれば、彼らも死に物狂いで抵抗するでしょう。そうなれば、こちらの被害も無視できないものになる」


ワイズは商人の目で、コストとリスクを天秤にかけた。


「すでに勝負はつきました。王国は解放され、魔王軍は痛手を受けた。……これ以上の戦闘は採算が合わない」

「ははっ、君らしいな」


シグルドは笑うと、追撃中止の合図を送った。


・ ・ ・


その後、数日間にわたり、魔王軍と人類連合軍の睨み合いは続いた。


魔王軍は昼夜を問わず警戒を解かず、交互に休息を取りながら、少しずつ、しかし確実に南へと後退していった。


その統率された動きは、敵ながら見事と言うほかなかった。


人類側もまた、ガレオスやボルドーの指揮の下、付かず離れずの距離を保って監視を続けるに留めた。


そして七日目の朝。


王国南端の絶対防衛ライン、『嘆きの砦』。


しばらく前に勇者が放棄したその砦に、王国連合軍の斥候が到着した時、そこはすでにもぬけの殻となっていた。


「報告します! 『嘆きの砦』内部、敵影なし! 魔王軍は……砦を放棄し、国境の向こう側まで完全に撤退しました!」


魔王軍は、拠点である砦すらも潔く捨て去り、戦力を温存したまま自領へと引き上げたのだ。


それは敗北を認めた証であり、同時に戦力を残しているという無言の圧力でもあった。


報告を受けた本陣で、ガレオス将軍は安堵の息を吐き出した。


「……終わったか」

「ああ。俺たちの勝ちだ」


ボルドー将軍が、汗を拭いながら笑う。二人の将軍は互いに顔を見合わせ、そして丘の上に立つワイズへと視線を向けた。


自身は剣を一振りもせず、魔法を一度も放たず。


ただ金と物資、そして計略だけで戦況を覆し、魔王軍の侵攻から王国を救ってみせた商人の背中。


将兵たちの勝鬨が上がる中、ワイズ・コールマンはいつものような不敵な笑みを浮かべたまま、遥か魔王領を眺めていた。


・ ・ ・


こうしてワイズ・コールマンの借金取り立てに端を発した、王国と大陸全土を巻き込んだ未曾有の大騒動は、人類側の勝利という形で幕を閉じた。


だがそれは勇者の剣による勝利でも、王の威光による勝利でもない。


金貨の音色が剣戟に勝り、契約書が聖剣よりも重きをなした、新しい時代の幕開けでもあった。

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