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勇者様、装備のローンが残っていますが? 〜踏み倒そうとしたので、国中の店で取引停止にしました。素っ裸で魔王と戦ってください〜  作者: けーぷ
第1巻_第四章:金貨の音色は剣戟に勝る

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第32話

白目を剥いて、床に無様に転がる勇者アレク。


恐怖のあまり声も出せず、ただ震えながら涙を流すことしかできない聖女エリーゼ。


己の保身を最優先にした、魔法使いマリベル。


かつてこの国の希望であり、栄光の象徴として崇められた者たちのあまりにも無惨な姿。


その光景は、国王の心をへし折るのに十分すぎた。


「あ……あぁ……」


国王は玉座から崩れ落ちるように膝をついた。


王冠が傾き、豪奢なマントが床を這う。今の彼には、一国の王としての威厳など欠片も残っていない。


ただ理解できない現実に打ちひしがれる、一人の老いた無力な男の姿があるだけだった。


なぜ。

どうして。

どうして、こんなことになった。


魔王軍の脅威が去ったわけではない。軍の裏切りも、経済の崩壊も、何一つ解決していない。


しかし今、国王の頭を占めていたのは、目の前の男――ワイズ・コールマンへの、どうしようもない困惑と恐怖のみだった。


「……なぜだ」


国王は、乾ききった唇を震わせながら呻いた。


「なぜ、ここまでやる……! 我が国を……余を、ここまで追い詰める必要があったのか!?」


返答はない。


沈黙だけが謁見の間に満ちる。それに耐えきれなくなった国王は、子供のような癇癪を爆発させた。


「借金だと……? 契約不履行だと……? そんなもののために、国を一つ滅ぼすと言うのか!?」


人目を憚らず、涙と鼻水が溢れ出す。それは懺悔ではない。理不尽な状況に対する、魂からの絶叫。


「たかが金のことでぇぇぇぇッ!!!」


その絶叫が、広い謁見の間に木霊する。


王の嘆きに対し、誰も答える者はいない。そう思われた、次の瞬間だった。


「――ほう」


短く、地の底から這い出るような低い声。


ワイズの表情は変わらない。いつものように、口元には薄い笑みを浮かべ、余裕のある態度を崩していない。


しかし、空気が凍りついた。


比喩ではない。物理的な温度が急激に下がったかのような錯覚を覚えるほどの、濃密で鋭利な何かが、ワイズを中心にして爆発的に膨れ上がった。


「……っ!?」


常に冷静沈着なミナが、顔色を変えて思わず半歩、後ずさった。


彼女だけではない。


謁見の間の周囲を固めていたコールマン傭兵団の精鋭たち――数多の修羅場を潜り抜け、死線など日常茶飯事としてきた彼らが、一斉に息を呑み、全身を硬直させた。


彼らは知っている。主であるワイズ・コールマンが、怒った時の恐ろしさを。


だが今、彼らが感じているのは、そんな生易しいものではなかった。


これは怒りではない。殺意ですらない。


もっと根源的で、怨念めいたもの。長きにわたり淡々と研ぎ澄まされ続けた、絶望的なまでの執念。そして虚無。


「……たかが金、ですか」


ワイズはその言葉を咀嚼するように、ゆっくりと呟いた。


その声には、一切の感情が乗っていない。だからこそ、聞く者の心を直接震わせる。


「ええ、そうですね。貴方にとっては、たかが金でしょう。黙っていても湧いてくる税金、他国からの支援金、際限なく使える予算……。貴方にとって金とは、空気のようなものでしょうから」


ワイズが一歩、国王へと歩み寄る。


革靴が大理石を踏む音が、死刑台へのカウントダウンのように謁見の間に響き渡る。


「ですが陛下。……その『たかが金』で国が一つ滅びるのを、貴方はよく知っているはずだ」

「……なに?」


国王は涙に濡れた顔を上げ、呆然とワイズを見上げた。その表情には、純粋な疑問が貼り付いている。


この男は何を言っているのだ、という顔。その無知な、あまりにも無関心な反応を見た瞬間。


ワイズのまとっていた「商人の仮面」が砕け散った。


(……ああ、覚えていないのか)


ワイズの胸中で、黒い炎が渦を巻く。


この男にとって、《《あの日》》のことは記憶に留める価値すらない、取るに足らない出来事だったのだ。


今すぐにこの愚王の首をねじ切り、その血で玉座を染めてやりたいという暴力的衝動が、指先を震わせる。


それでも――。


「……ふぅ」


ワイズは一度目を閉じ、深く、長く息を吐き出した。


肺の中の激情をすべて入れ替えるような、深い深呼吸。


数秒後。


再び目を開けた時、そこにはいつもの冷徹な「商人ワイズ・コールマン」の顔が戻っていた。


感情に任せて殺すのは、三流の仕事。


今の自分は、感情で動く復讐者ではない。契約と実利で相手を追い詰める、商人なのだから。


「……忘れているのなら、思い出させて差し上げましょう」


ワイズは懐に手を伸ばすと、愛用している銀の懐中時計を取り出した。


この二十年間。彼といつも共にあり、時間を、そして商機を確認してきた相棒。


彼はその裏蓋に指をかけ、複雑な機構を操作する。小さな音がして、懐中時計の表面を覆っていた銀のカバーが外れる。


そこにはある『紋章』が精巧な彫金で刻まれていた。


二頭の白銀の鷹が、一本の剣を支える紋章。


それはかつて王国に隣接していた、今は地図から消滅したはずの小国の紋章。ワイズはその銀時計を、国王の目の前へと突きつけた。


「こ、これは……ッ!?」


国王の目が、限界まで見開かれる。


忘れるはずがない。二十年前、自らの手で潰し、その国土を我が物とした国の紋章。


「シルヴァーノ王国……!? な、なぜ貴様がこれを……まさか!?」


国王の顔から、血の気が引いていく。


点と点が繋がり、戦慄となって背筋を駆け上がる。


二十年前に行方不明になったはずの、シルヴァーノ王国の幼き王子。その面影と、目の前の冷徹な男の顔が重なる。


「あ、ありえん……! 貴様は、あの時の……!」


絶句し、震え出す国王。


そんな彼を見下ろしながら、ワイズは静かに一歩下がった。


背筋を伸ばし、顎を引く。


まとう空気そのものが変質した。商人の媚びへつらいなど、もはや必要ない。


そこに立っていたのは、生まれながらにして人の上に立つ者だけが持つ、圧倒的な王者の風格。


ミナも、傭兵たちも、その威容に圧倒され、無意識のうちに姿勢を正す。


ワイズは右手を胸に当て、左手を背後に回し、優雅に腰を折った。


それは商人が顧客にするへりくだった礼ではない。


対等の、あるいはそれ以上の気品と格式を持った、王族同士の最敬礼。


顔を上げたワイズは、王族としての矜持を込めた瞳で、堂々とその真名を宣言した。


「お久しぶりです、国王陛下。……かつて貴国が『たかが金』で滅ぼした国、シルヴァーノ王国第一王子――ワイズ・フォン・シルヴァーノ。それが私です」


静まり返る謁見の間。そんな周囲の様子を気にすることなく、亡国の王子は静かに問いかけた。


「……二十年間、この瞬間をどれだけ待ち望んでいたか。貴方にわかりますか?」

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