第29話
王城の地下、転移魔法陣の間。
普段は厳重に管理され、王族の緊急避難用にしか使われないその空間が、突如として眩い光に包まれた。
「ぐっ……!?」
「きゃああっ!?」
光が収まると同時に、固い石床に投げ出されたのは三つの影。
全身泥まみれで、見るも無惨な姿になった勇者アレク、聖女エリーゼ、そして魔法使いマリベルだった。
「げほっ、ごほっ……! くそっ、いきなり転移させるんじゃねぇよ!」
アレクがふらつきながら立ち上がり、マリベルを怒鳴りつける。だがマリベルは乱れた呼吸を整えながら、冷めた目で言い放った。
「感謝しなさいよ。あそこで飛んでなかったら、今頃あんたは死んでいたわ」
「ふざけるな! 俺はまだ戦えた! あんな雑魚ども、本気を出せば……!」
「武器もない、魔力もない、味方からは石を投げられている状態で? ……いい加減、現実を見なさいよ」
マリベルの刺すような言葉に、アレクが何かを言い返そうとした時だった。
異変に気づいた近衛兵たちが、慌ただしく駆け込んでくる。
「何事だ! 侵入者か!?」
「ま、待て! あれは……勇者アレク様か!?」
「嘘だろう……? なんでこんなところに……?」
兵士たちの動揺した視線が、アレクのプライドを逆撫でする。彼は泥だらけの顔を歪め、吠えた。
「何を見ている! 国王だ! さっさと国王に会わせろ! 前線の兵士どもが反乱を起こしたと報告してやる!」
・ ・ ・
勇者一行が雪崩れ込んだ謁見の間は、すでにパニックの渦中にあった。
あちこちで貴族たちが怒鳴り合い、通信魔道具を手にした官僚たちが悲鳴を上げながら走り回っている。
「陛下ッ!!」
アレクが大股で踏み込むと、玉座で頭を抱えていた国王が弾かれたように顔を上げた。その顔色は土気色で、かつての威厳など欠片もない。
「お、おおアレクか! 戻ったか!」
国王は救世主を見るような目でアレクに駆け寄ろうとしたが、そのあまりの汚さに、思わず数歩後ずさった。
「な、なんだその姿は……。そ、それで、戦況はどうなったのだ? まさか負けたわけではあるまいな?」
「……負けてねぇ。少し退いただけだ。武器が粗悪品すぎて話にならなかった」
アレクがふてくされたように吐き捨てると、国王は絶望に顔を歪めた。
「そ、そんな……。では最終防衛ラインは……」
「突破されました」
マリベルが淡々と事実を告げる。
「魔王軍の主力が雪崩れ込んでいます。現地の軍は壊滅。……王都に魔物の群れが到達するのも、時間の問題かと」
その宣告に、謁見の間が静まり返った直後、爆発したような悲鳴に包まれた。
「ひ、ひぃぃぃッ!? もう終わりだ! 殺される!」
「逃げろ! 馬車を用意しろ!」
「金だ! 金を持ってこい!」
見苦しく喚き散らす貴族たち。だが彼らに追い打ちをかけるような報告が、青ざめた伝令兵によってもたらされた。
「へ、陛下! ガルディアの総会に出席していた外務大臣より、緊急入電!」
「今度はなんだ! 援軍か!? 帝国軍が来てくれるのか!?」
「い、いえ……その……」
伝令兵は震えながら、絶望的な内容を読み上げた。
「『帝国、人類同盟より離脱』。……および『共和国、連邦もこれに追随』とのことです! 同盟は……事実上、解散しました!」
「な……ッ!?」
国王が膝から崩れ落ちた。 アレクもまた、信じられないものを見るように目を見開く。
「は……? 帝国の裏切りだと……? あいつら、俺たちを見捨てる気かよ!」
「理由は『義務を果たさぬ国を助ける義理はない』と……」
「ふざけるなァァァッ!!」
アレクが絶叫し、近くにあった装飾品を殴り砕く。
「俺は勇者だぞ! 世界を救ってやるって言ってるんだぞ! なんでどいつもこいつも、俺に感謝しないんだ! なんで俺のために金と軍を出さないんだよ!」
誰よりも優遇され、誰よりも称賛されるべき自分。その自分が、なぜこんな泥まみれで、誰からも助けられずにいるのか。
肥大化した自己愛と現実の乖離に、アレクの精神は限界を迎えつつあった。
帝国の裏切り、勇者の敗北、そして迫りくる魔王軍。誰もが死を覚悟し、パニックが最高潮に達しようとしていた、まさにその時。
「へ、陛下! 報告します!!」
新たな伝令兵が、転がるように謁見の間へ飛び込んできた。泥だらけの軍装。最前線を監視していた斥候部隊からの直通だ。
「なんだ! もう魔王軍が王都へ来たのか!?」
「い、いえ! それが……」
伝令兵は肩で息をしながら、信じられないといった表情で報告した。
「魔王軍の進撃が……止まりました!」
「……は?」
国王が、アレクが、そして貴族たちが、一斉に間の抜けた声を上げた。
「と、止まっただと? どこでだ」
「最終防衛ラインを突破した直後、平原の手前で全軍が停止! 現在、その場にて陣地の設営を始めている模様です! 王都へ向かってくる気配はありません!」
その報告に、謁見の間の空気は一変した。
恐怖から、困惑へ。そしてじわじわと、助かったという安堵の空気が広がっていく。
「と、止まった……? なぜだ?」
「わからん。だが、攻めてこないのなら……」
「助かったのか? 神風が吹いたのか!?」
「きっとアレク様たちが前線で大打撃を与えていたおかげだ!」
貴族たちが、希望的観測を口々に叫び出す。
首の皮一枚で繋がった命。その事実に、先ほどまでの絶望が嘘のように、城内には弛緩した安堵感が漂い始めた。
「そうか、止まったか……! やはり魔族どもも、勇者の威光には恐れをなしたと見える!」
「……ふん、当然だ。俺が本気を出したらな。奴らもビビって動けないんだろうよ」
国王とアレクが、互いに顔を見合わせて頷き合う。自分たちに都合の良い解釈をして、胸を撫で下ろす愚か者たち。
だがその光景を冷ややかな目で見つめる者が一人いた。 魔法使いのマリベルだ。
(……馬鹿ね。そんなわけないじゃない)
彼女は宮廷魔術師としての知識と、戦場での経験から、魔王軍が停止した理由を正確に推測していた。
(……補給切れね)
窓から遠くの黒雲を見つめながら、マリベルだけが冷静に分析していた。魔王軍にとっても、今回の勝利は予想外すぎたのだろう。
本来なら長期戦になるはずが、勇者が勝手に自滅し、防衛線があっけなく崩壊。
そのため前線部隊が突出してしまい、後方からの兵站が追いつかなくなってしまった。
皮肉にも王国側の「あまりの脆さ」が、魔王軍の足を止める結果となったのだ。
そして魔王軍側もまた、長引く戦争で物資が枯渇気味であり、ここからさらに進軍する余力など残っていないのだろう。
(あっちにとっても、この勝利は「想定外」だったってことね。補給もなしに、これ以上進めるわけがない。……皮肉な話。私たちが弱すぎたせいで、逆に敵の兵站を崩壊させちゃったわけか)
いわば敵味方共倒れによる膠着状態。魔王軍もまた、物資不足にあえいでいる。
マリベルは深くため息をついた。
この静寂は平和ではない。単なる一時的な膠着状況。だがこの城の人間でそれに気づいている者はどれだけいるのだろうか。
「おお、神よ! やはり我らは見放されていなかった!」
「今のうちに体制を立て直せば……!」
王たちが根拠のない希望に縋ろうとした、その時。彼らの淡い期待を粉々に粉砕する、真の絶望が叩きつけられた。
「へ、陛下……! た、大変です!!」
三度、伝令兵が駆け込んできた。
今度は安堵でも困惑でもない。この世の終わりを見たかのような、真っ青な顔をしていた。
「今度はなんだ!?」
「こ、国内の……各軍団長たちから、連名で声明文が!」
伝令兵は震える手で羊皮紙を広げた。
「第一軍団長ガレオス、第三軍団長ボルドー、および賛同する地方軍団長一同より通達! 『我ら王国軍は、本日をもって現王家との指揮命令系統を断絶する』!」
「な、なにぃぃぃッ!?」
「『王家と勇者は、その責務を果たさず、民を危機に晒した。よって我らは独自の判断において連合軍を結成し、民を守るために魔王軍と戦うものとする。……尚』」
伝令兵が息を呑み、最後の決定的な一文を読み上げた。
「『我らには、コールマン商会という強力な支援者がついている。民よ、安心せよ。食料も武器もここにある』……!!」
耳が痛くなるほどの静寂。
安心ムードに包まれかけていた謁見の間が、今度こそ完全なる静寂に包まれた。それは単なる反乱ではない。
軍部が明確に王家を見限り、あろうことか「国賊」と認定したはずのワイズ・コールマンと手を組んだという宣言だった。
魔王軍の進軍停止による安堵など、吹き飛ぶほどの衝撃。民を守るのは王ではない。軍と、商人だ。
そう突きつけられた瞬間、王国の統治機能は完全に死んだ。
「お……おのれぇぇぇ……! ガレオス! ボルドー! 貴様らまで余を裏切るかぁぁぁッ!!」
国王が玉座の肘掛けを爪が剥がれるほどに強く握りしめ、血を吐くような絶叫を上げる。その横で、アレクもまたわなわなと震えていた。
「ワイズ……またお前か……! 俺の活躍を邪魔して、俺からすべてを奪って……! 許さない……絶対に許さないぞぉぉぉッ!!」
同盟からは見捨てられ。
軍部には離反され。
魔王軍は目の前に迫っている。
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第一部:第三章「経済封鎖と仁義なき外交戦」完
第一部:第四章「金貨の音色は剣戟に勝る」に続く




