第26話
帝国の離脱宣言。
その衝撃は、雷鳴のごとく一瞬にして大陸全土を駆け巡った。
公会堂から放たれた早馬は泡を吹いて倒れるまで駆け続け、各国の通信魔道具の回線は魔力が焼き切れる寸前まで酷使された。
情報は奔流となり、世界を飲み込んでいく。
『帝国、人類同盟より離脱』
『人類最大の軍事国家、魔王軍との戦線から事実上の撤退か』
『新たな国際秩序の模索始まる』
新聞各社は号外をばら撒き、街角では人々が血相を変えて紙面を奪い合う。
無理もない。
百年間、人類諸国を繋ぎ止めていた唯一の鎖――「対魔王」という大義名分が、無慈悲に断ち切られたのだ。
それは「人類対魔王」という単純な図式の崩壊。これからは「魔王」「帝国」「その他の弱小国」が入り乱れる、弱肉強食の戦国時代へ突入することを意味していた。
さらに、世界を凍りつかせる凶報が追い打ちをかける。
『王国第二防衛ライン、崩壊』
『勇者アレク一行、戦線を維持できず敗走中』
『魔王軍の先鋒、王都まであとわずか!?』
北の大国が鳴動し、南の防波堤が決壊した。
大陸中がパニックに陥り、各国の指導部が自国の生存を賭けた模索を始める中、追い詰められた鼠――王国は予想通りというべきか、最も愚劣で短絡的な暴挙に出た。
・ ・ ・
帝国・交易都市ガルディア、郊外。
喧騒に包まれた市街地から離れた小高い丘の上に、森に囲まれた広大な屋敷がある。
コールマン商会が所有する、要人接待用の別邸だ。
人類同盟の総会後、ワイズたちはホテル『インペリアル・クラウン』から、この別邸へと拠点を移していた。
深夜。森の木々がざわめく風音に紛れ、屋敷の周囲に黒い影が蠢く。
王国の「影」――王家直属の暗殺部隊。外交で勝てぬなら、盤ごとひっくり返してしまえばいい。それは理性を失った敗者による、最後の悪あがき。
彼らは音もなく屋敷の塀を越え、庭へと侵入する。足音はなく、呼吸すら殺している。
狙うは本館二階、主寝室で眠るワイズ・コールマンの首一つ。
「……警備が手薄だな」
先頭を行く隊長格の男が、部下たちにハンドサインを送る。
屋敷の庭の篝火はいつも通り。見張りらしき警備員の人数も普段と大差ない。あまりにも静かすぎる。
公会堂であんな事があったばかりだというのに、この無防備さはどういう事なのか。
《《あの》》ワイズ・コールマンに限って、この状況下で暗殺の危険性を考慮しないはずがない。
罠か?
だが隊長は思考を振り払った。商人がいくら金を積もうと、急ごしらえの護衛などたかが知れている。我らは王直属のプロフェッショナルなのだから。
これまでの100年間。人類同盟の存在に、王国の戦況に疑問を抱いた者はいた。
だがその全ては、王国の「影」によって物言わぬ骸となった。それが歴史の必然。
「国家」とは商人が、たかが個人がどうこうできるようなものではない。
「行け」
短く鋭い合図と共に、十数名の暗殺者が弾かれたように散開。己が役目を果たすために、芝生を蹴ったその直後だった。
鈍く、重い破壊音が夜の静寂を破る。
先頭を走っていた部下の姿が、消えた。いや、瞬きする間に「赤い染み」へと変わっていた。
「――おやおや、夜中に勤勉なお客様だ」
月明かりの下、いつの間にかそこに「壁」が立っていた。
身の丈を超える巨大な戦鎚を、まるで小枝のように軽々と肩に担いだ隻眼の巨漢。
その全身から放たれるのは、歴戦の猛者だけが纏う濃厚な死の匂い。
隊長は、その顔を知っていた。いや、裏社会に生きる者で知らぬ者はいない。
かつて西方の紛争地帯で、『戦鬼』と恐れられたS級冒険者。
「ガ、ガルド・ロガン……!? な、なぜ貴様のような化け物がここに!?」
驚愕に足が止まる暗殺者たちの背後から、鈴を転がすような、しかし嘲りを含んだ妖艶な笑い声が聞こえる。
「あらあら、随分と貧相なお客様。会長を殺したいなら、もっと本気でこないと。退屈で死んじゃうわ」
闇の中から音もなく現れたのは、扇情的な衣装に身を包み、二振りの曲刀を構えた美女。
その優美な立ち姿とは裏腹に、彼女の周囲だけ気温が数度下がったような殺気が漂う。東方のA級冒険者、『双燕のレイラ』。
「こ、こいつも……!? なぜこんな大物が揃って……!?」
暗殺者たちが色めき立つ。
それもそのはず。この屋敷の周囲を固めているのは、ただの警備兵ではない。
彼らは気づいてしまった。自分たちが飛び込んだ場所が羊の檻ではなく、竜の巣であったことに。
『コールマン傭兵団』
総勢一千名を超える、大陸最大規模の傭兵団の一つ。
普段は五名から十名単位の小規模パーティーに分かれ、大陸各地で要人警護や希少素材の採取、大型魔物の討伐など、高難度の依頼を専門に請け負っているプロフェッショナル集団。
その実力は、一国の騎士団すら簡単に凌駕する。
王国での騒動発生直後、ワイズは大陸中に散らばっていた彼らに「非常招集」をかけていたのだ。
『即時、交易都市へ集結せよ。――特別手当は弾む』
そのたった一声の号令に応じ、各地から舞い戻ってきた選りすぐりの精鋭――S級、A級ランクの上位ランカーたちが、今この別邸の庭に集結していた。
彼らにとって王国の暗殺部隊など、準備運動にもならない羽虫に過ぎない。
「ま、待て! 話せば分か――」
「問答無用だ。会長の安眠を妨げる羽虫は、潰す」
ガルドが戦鎚を振るう。
暴風のごとき風圧が発生し、触れてもいない暗殺者が吹き飛び、庭木に激突して動かなくなる。
「逃げろ! 罠だ!!」
「逃がすわけないでしょ? ――お仕事なんだから」
レイラの姿が掻き消える。次の瞬間、逃走を図った暗殺者の首が、ごろりと地面に落ちた。神速の斬撃。
さらに屋根の上からは、元帝国軍の狙撃エースによる正確無比な狙撃が、闇に紛れた暗殺者を百発百中で射抜いていく。
「ぎゃああああッ!?」
「ば、化け物……!」
一方的な蹂躙。
逃げる間もなく、侵入者たちは次々と無力化され、静かに、そして事務的に処理されていった。
・ ・ ・
同時刻。騒動の中心である屋敷の二階、主寝室。
豪奢なキングサイズのベッドの上でワイズ・コールマンは、規則正しい寝息を立てて、泥のように熟睡していた。
窓の外で微かに響く打撃音や、人の倒れる気配、そして断末魔など、まるで気づく様子もない。
日中の激務と、外交での神経戦による疲労がピークに達していたのだろう。
その隣室。ワイズの護衛として控えていたミナは、ベッドの端に腰掛けたまま、静かに目を閉じていた。
彼女の超人的な五感は、庭先で繰り広げられている一方的な殺戮劇を、正確に把握している。
(……一人、二人……二十人。ガルドたちが片付けたようですね)
侵入者の気配は二十。
その全てが、屋敷の壁にすら触れることなく無力化された。コールマン傭兵団の主戦力が揃っている今、自分が動く必要はない。
ミナは手にしていたナイフを静かにサイドテーブルにおくと、自身も再び休むことにした。この屋敷の警護はガルドたちの仕事。
「おやすみなさいませ、会長。……良い夢を」
隣室で世界一安全なベッドで眠る主人に静かに呟くと、そのまま彼女も再びシーツに潜り込んだ。




