第25話
「……茶番は終わったか?」
重厚な声が、公会堂の空気を震わせた。
皇帝は圧倒的な威厳を纏ったまま、演壇の中央へと歩を進める。その道すがら、彼は議長席から降りてきたシグルド皇子と視線を交わした。
「遅かったですね、父上。もう少しで私が裁定を下してしまうところでしたよ」
「フン。機が熟すのを待っていたのだ。……それに、お前の書いた筋書き通りに進んだようではないか」
親子にしか聞こえない微かな声での会話。だがその短いやり取りだけで、すぐ近くにいたワイズは悟った。
この状況は偶然ではない。シグルド皇子が議長として場を整え、時間を稼ぎ、そして決定的な瞬間に皇帝という最強のカードを切る。
全ては、この親子が仕組んだ出来レースだったのだと。
皇帝は演壇の中央に立つと、鋭い眼光で会場を見渡した。その視線がベルンシュタイン公爵と枢機卿を射抜く。二人は蛇に睨まれた蛙のように縮み上がった。
「さて、公爵よ。そして枢機卿よ」
「は、ははっ……!」
「貴様らの言い分は聞き飽きた。『義務』だの『信仰』だの、美辞麗句を並べ立ててはいるが、要するに『金がないので助けろ』と、そう言いたいわけだな?」
皇帝の身も蓋もない要約に、公爵が顔を真っ赤にして反論しようとする。だが皇帝はそれを手で制し、切り捨てた。
「醜い。あまりに醜悪だ」
「へ、陛下……?」
「他者に寄生し、甘い汁を啜り、それが叶わぬと知れば喚き散らす。……貴様らのその腐った性根が、この大陸を停滞させている元凶だ」
皇帝は深く息を吸い込むと、腹の底から響く声で宣言した。
それは、時代の終わりを告げる号砲。
「くだらん。余は、こんな茶番に付き合うつもりはない」
皇帝は言い放つ。
「我が帝国は本日をもって、人類同盟を離脱する」
静まり返る公会堂。
一瞬、世界から音が消えたかのようだった。誰もが耳を疑った。同盟の盟主であり、最大の軍事力を誇る帝国の離脱。
それはすなわち、人類同盟という組織そのものの解体宣告に他ならない。
「な……な、なんですとぉぉぉぉッ!?」
沈黙を破ったのは、ベルンシュタイン公爵の素っ頓狂な絶叫だった。彼は泡を飛ばしながら、演壇へと詰め寄ろうとする。
「しょ、正気ですか!? 帝国が抜けたら、人類同盟はどうなるのですか! 我が国の防衛は!! 魔王軍への対処はどうするのです!?」
「勘違いするな。余は『同盟』を抜けると言っただけで、魔王軍を放置するとは言っておらん」
皇帝は冷ややかな瞳で公爵を見下ろした。
「そもそも我が国がこれまで、貴様らのような無能な国々と足並みを揃えていたのは、北方に蛮族という憂いがあったからに過ぎん。魔王軍との二正面作戦を避けるため、貴様らを防波堤として利用していただけだ」
「なっ……!?」
「だが、その憂いも消えた」
皇帝の視線が、一瞬だけシグルド皇子へと向けられる。
皇子の手腕によって、北方の部族とは不可侵条約が結ばれた。背後の安全が確保された今、帝国が周辺国の面倒を見る理由は消滅したのだ。
「以降、帝国は独自の判断で魔王軍に対処し、独自の基準で友邦を選ぶ。……足手まといを守るために流す血など、我が軍には一滴たりともない」
「そ、そんな無茶な! これは人類の連帯に対する裏切りですぞ!!」
公爵の隣で、聖教国の枢機卿も震える声で皇帝を糾弾した。
「そうですぞ皇帝! 神聖なる盟約を一方的に破棄するなど……神への冒涜! 必ずや神罰が下るでしょう!」
宗教的権威を笠に着た、最大級の脅し。だが皇帝は背を向けかけた足を止め、億劫そうに振り返っただけだった。
その瞳には、侮蔑の色すら浮かんでいない。ただ道端の石ころを見るような、無関心があるだけ。
「神?」
皇帝は鼻を鳴らし、一蹴した。
「ならば、その神に守ってもらえ」
「なっ……!?」
「余は忙しいのだ。神頼みの暇人たちの相手をしている時間は無い」
それだけ言い捨てると、皇帝は公会堂から退場しようとする。だが数歩進んだところで足を止めた。その視線の先にいたのは、ワイズ・コールマン。
「……久しいな」
皇帝の威圧的な視線を前にしても、ワイズは動じることなく、優雅に一礼して見せた。
「お久しぶりです、皇帝陛下。この度はお騒がせして申し訳ありません」
「構わん。貴様が動かずとも、いずれはこうなっていた」
皇帝は口元をわずかに歪め、獰猛な笑みを浮かべた。
「ワイズ・コールマン。近いうちに帝都へ来い。……美味い酒を用意して待っている」
「光栄です。極上の手土産を持参いたしましょう」
皇帝は満足げに頷くと、再び前を向き歩き出した。 近衛兵たちがその後ろに続く。
「出発だ。これより西へ向かい、共和国大統領と会談を行う」
「はっ!」
「……新しい時代の秩序について、話し合わねばならんからな」
その言葉を聞いた瞬間、会場の空気が変わった。西、すなわち共和国。帝国はすでに次のパートナーを決めている。
「……行きましょうか」
沈黙を破り、共和国の代表議員が立ち上がった。彼は軽蔑の視線を公爵たちに向けた後、迷うことなく帝国側――皇帝たちが去っていった扉の方へと歩き出す。
だがその途中、議員もまた皇帝と同じように足を止め、ワイズに声をかけた。
「コールマン会長」
「閣下。今回は助かりました」
「いえいえ、この程度は些事ですよ。ところで話は変わりますが、後ほど少し時間をいただけますかな?」
「喜んで。私も閣下とちょうどお話をしたいと思っていましたので」
ワイズが微笑むと、議員は満足げに頷き、そして公爵たちに聞こえるように高らかに宣言した。
「共和国も、同盟への資金拠出を即時停止します。……死にゆく組織に投資する余裕はありませんので」
「ま、待ってくれ! 共和国まで!」
「我々もだ! 連邦は帝国の新方針を支持する!」
「わ、我が国もだ!」
そこから先は雪崩のように続いた。小国の代表たちが我先にと席を立ち、蜘蛛の子を散らすように帝国側へと流れていく。
そこにはもはや、同盟としての体を成すものは何もない。
広い公会堂には、最後まで取り残された公爵と枢機卿、そして彼らの取り巻きたちの呆然とした姿だけがあった。
「嘘だ……こんな、こんなことが……」
へたり込む公爵。その光景を、ワイズは静かに眺めていた。
「残念です、公爵閣下。そして枢機卿猊下。……それでは私もこれで失礼します」
ワイズは優雅に一礼すると、崩れ落ちる旧時代の権力者たちに背を向け悠然と歩き出した。!




