第3話 ファンスブルグ王国王妃 ララシュア・ド・ファンスブルグ視点その1〜陛下とわたくし〜
第3話からは王妃殿下視点です。
「父上、母上、本日は有意義な時をまことにありがとうございました」
ファンスブルグ王国国王陛下と王妃であるわたくしララシュアの一人目の息子、王太子ダイソムが陛下の執務室を辞した。
礼も美しく、外見も優美ではある。
だが、その表情が明るい。
むろん、王族として輝くような美しさがあること、それは間違いなく美点ではある。
しかしながら、その表情は。
明るすぎる。
つい先ほど。
王太子であるダイソム自身が署名などを行うまでは、我が国の筆頭公爵家の長子、ウルシュラ・ド・ローモンド令嬢がその婚約者と定められていた。
現在、ローモンド家の本邸には、前ローモンド家当主の入婿であるウルシュラ嬢の実父と、後妻となった実母とともに暮らすセリアヌ嬢というウルシュラ嬢と父を同じくするものが住んでいる。
そんなセリアヌ嬢を、現時点では我が国の王太子たる自身の婚約者と変更できたのだと。
そう信じることで、ダイソムは高揚しているのだ。
たしかに、婚約者の変更はかなった。
ダイソムの婚約者は、先ほど、たしかに。
筆頭公爵家に住まう、セリアヌ嬢となった。
しかしながら、いかなる悦びも、喜びも。
抑えることこそが、王族のつとめの一つであるというのに。
このようなとき、真の筆頭公爵令嬢であるウルシュラ嬢ならば、扇に隠した密かな笑みだけで済ますであろう。いえ、密かな笑みさえ隠しきるやも知れない。
『行くがよい、己が道を。新たな婚約者とともに。最後に伝えるが、陛下も、わたくしも、そなたの婚約者の交代を認めた。署名もいたした。恐れ多くも、陛下からの御印もすぐに押されます。これにより、筆頭公爵令嬢はそなたの婚約者になることは、二度とないのですよ。そのことを、ゆめゆめ、忘れないように』
王妃からの、王太子への最後の言葉。
あれは、ダイソムの耳にはいかように聞こえたのか。
まあ、よい。ダイソムが王太子であるのも、あと僅かのときを残すのみなのだから。
王族であることじたいも、どうなることか。
「よし。王妃よ、たしかに、我が印は押された」
先ほど、ダイソムが署名をし、陛下とわたくしも署名をいたした書類。
それに加え、陛下はご自身の印章指輪で印を押された。
これで、王太子の婚約者の交代はまたさらに揺るぎのないものになったのだ。
「よい音だ」
そして、陛下は、ご自身の背と椅子との距離を少し開けられたあと、手元の銀の鐘を鳴らされた。
「ほんとうに」
先に、ダイソムに婚約者交代の署名をさせた手続き書類をすべて用意し控えてくれていた高等書記官。
陛下が、そちらをいま一度呼ばれたのだ。
「これを」
「畏まりましてございます」
扉のすぐそばに位置していた近衛騎士たちの手で開かれた両開きの扉。
そこから静かに入室をした書記官は、銀の盆を恭しく掲げる。
「書記官よ、たびたびのことではあるが、我が国にとりおいての重大事であるゆえ、粛々と進めるよう。なお、今後、本件に関わるシュリアルド王国の国王陛下ならびに王太子などへの文書については我と王妃とで精査ならびに吟味確認の上、取り行うゆえ、そちらの準備も頼むぞ」
「外務府、宰相府など、関連機関すべてに招集をかけまして、早急にご対応申し上げます」
盆を掲げつつ、さらに、すべてを理解しながらの、静かな礼。
高級書記官は、ダイソムよりも礼節を弁えていた。
陛下は、王太子と筆頭公爵令嬢との婚約に関わる関連公文書の処理に加え、筆頭公爵令嬢と近隣国の王太子との正式な婚約への事務的な用意を申し付けられたのだ。
「ふむ。ウルシュラ嬢を義娘と呼ぶのを楽しみにしていたのだがのう」
そして、陛下は、再びわたくしと二人きりになったあとにこう仰られたのだった。
「ウルシュラ嬢は、こののち、わたくしの兄の息子の妃となりますので、陛下にお目にかかりますことに不自由のない立場という点においては、変わりはございませんわ。わたくしの母国は近隣国のなかでも我が国と地続き、もっとも近うございまする」
こう申しながらも、実は、わたくしも、陛下のお気持ちはよく理解しているつもりだった。
ウルシュラ嬢を義娘と呼びたかったのは、わたくしもである。
だが、わたくしはこれからもまだ、甥の妃として、ウルシュラ嬢を王族としての節度をもちながら、愛することができるのである。
「うむ。たしかに。ならば王妃よ、我が国の新たな王太子妃候補の選定は」
「恙無く。ダイソムとセリアヌ嬢の関係に目を付けて内々に筆頭公爵家の入婿やその後妻に接近しておりました家については、ウルシュラ嬢に仕えます者たちから王宮にも情報が来ております。しっかりとしました証拠もともに。とうぜんながら、その家、関わりのある家などは除きまして、女官長たちが候補を厳選しております最中にごさいます」
「あの筆頭公爵家、と申すよりは、前当主、ひいてはウルシュラ嬢に就いた者たちは優秀であるからな。ウルシュラ嬢の指示もあろうが、さすがはそなたが選んだ者たちよ。王妃宮の女官長たちもであるがな」
「ありがとうございます。ウルシュラ嬢のことにつきましては、前筆頭公爵家当主からわたくしへと、託されておりますゆえに。ウルシュラ嬢が離れに住んでおりますのも、実父たちを油断させるためでもございます」
「確認であるが、ウルシュラ嬢は、報告書にあるような辛い状況におかれては……」
「はい、実父たちはウルシュラ嬢を貶めておりますつもりでございますし、内々に進めさせました公式の記録にも斯様に残されておりますが、真実は、優秀な周囲の者たちに守られ不自由はなく、ウルシュラ嬢自身も、自身を守っておりますゆえに。ドレスなども、あのウルシュラ嬢のための至高の品々、前当主やわたくしたちからの贈答のものにつきましては、ウルシュラのみが扱うことを徹底させてございまする」
「うむ、うむ。たしかにのう。前当主や王妃からの筆頭公爵への贈答品を父が同じというだけのものには渡せまいて。そのような行いは、不敬にもほどがあるわ。それに、ララシュア、万が一にも、そなたがそのようなことをさせるはずはないな。ならば、もう少しか」
「はい。わたくしの、こうして、陛下のおそばにおります王妃と申します立場にかけまして、そのようなことはございませぬ」
「うむ、そうか」
満足げな声音になれた陛下の目尻が少し、下がられる。
そう、ここは、陛下の執務室。
陛下のこの穏やかなご尊顔を拝見しているのは、わたくしだけである。
「では、確認を。ウルシュラ嬢が、そなたの母国の王太子妃となるにあたり、我が国の筆頭公爵家はそなたが護るということでよいのだな」
「はい。いずれ、我が甥とウルシュラ嬢の子が筆頭公爵として立ちますなら、そのときまで。そして、その際には、さらにまた後見となりましょう」
それにしても。
今さらながら、ではあるが、ダイソムは、王太子の婚約関連書類をすべて読んではおらぬのだろう。
あの、重く、厚い関連書類。
あたかも、支えがなくば開くことが難しい厚みの建国史のようで。
その末尾のような箇所に、『王太子の不義不貞事由などによる婚約解消ならびに消失等の可能性を鑑み、特例として、王太子妃最候補、筆頭公爵令嬢ウルシュラ・ド・ローモンド嬢には婚約者、王太子ダイソム・ド・ファンスブルグに加え、婚約者候補を一名置くことを是とするにあたり……』という細目が存在するのだ。
これには、かつて、ダイソムも王太子として署名をし、印章を押印してもいる。
よって、今後、ウルシュラ嬢の婚約、ひいては婚姻について、ダイソムとしては不可解なことが起きようとも、異議の申し立てなどは、許されない。
そう、ウルシュラ嬢には、婚約者たる王太子ダイソムのほかにもう一名、婚約者候補がいるのであるから。
ああ、もしかしたら、ダイソムも細目は目にしておるやも知れない。
だが、だとしても。その内容を理解はしておるまい。
なにしろ、婚約者候補はわたくしの母国の王太子、我が兄の実子なのだ。
仮に細目を見ていても、ダイソムはきっと、『王太子』という語彙だけを見て、『なんならウルシュラに聞けばいい』とでも考えていたのだろう。
そのこともまた、無事にダイソムの婚約者が変更となった今となっては、確認の要もなくなったわけではあるが。
第4話は王妃殿下視点その2となります。
どうぞよろしくお願いいたします。




