第2話 王太子ダイソム視点〜婚約者の交代〜
王太子視点でございます。前話の内容も含みます。
凡庸よりは上、くらいの王太子殿下。残念ながら、婚約者のご令嬢、国王陛下、王妃殿下などの皆様方が優秀な方々ばかりでした。
王太子の婚約破棄。婚約者への断罪。歌劇の演目や軽い読み物ならば、人気のものだ。娯楽としてならば、悪くはない。
だが、実際はそうはいかない。
例えば、我が国とは正式な国交が樹立されていない某国では、王家の第三王子が公爵家の入婿となり公爵家当主となるはずだったにもかかわらず、男爵令嬢との愛に目覚めたとかで、よりにもよって、国王陛下がお見えになる公爵家主催のパーティーで公爵令嬢の断罪を『捏造』し『やらかし』た結果、第三王子は王族としての権限どころか貴族籍ごと取り上げられ、男爵令嬢は男爵家ごと没落したという。
俺は、その新聞記事を王太子教育のときに『政略婚の重要性について』の授業の参考資料として与えられたことがあったくらいだ。
高貴な身に生まれたからには、義務や規則を知らないとは申せまい。愚かなことをしたものだな、と思う。
むろん、この国の王太子である俺、ダイソムはそのようなことはしない。
そう、俺は、きちんと手順を踏み、婚約者の交代を成し遂げたのだ。筆頭公爵令嬢から筆頭公爵令嬢へと。
『王太子の婚約者は筆頭公爵家ローモンド家の令嬢とする』
あの一文は、守った。
国王陛下と王妃殿下。父上と母上にも、ご承諾を得た。
長きに渡りその婚約者の座にあった筆頭公爵家の長子ウルシュラ・ド・ローモンド。そのウルシュラの、あの整った容貌を思い出して、俺は苦笑した。
苦笑しながらも、今の俺の心中はたいへんに晴れやかだ。
なぜなら、今このとき、俺と、俺の新たな婚約者である可憐な少女、筆頭公爵令嬢の妹たるセリアヌ・ド・ローモンドが二人並んで王家所有の馬車の車中にいるからである。
つい先ほど。
筆頭公爵家、つまりはローモンド家の邸宅から俺とセリアヌは丁寧に送り出されていた。
そして、俺は長女ウルシュラに王太子の婚約者の変更を伝えたついでに、祝い代わりにセリアヌのドレスを頂いてきてやったのだ。
なぜか宣誓だなんだと言われたが、むしろ楽しく、軽快にこなしてやった。
きっと、ウルシュラはあのドレスと、この俺のことが惜しかったのだろう。
馬車の乗り心地は、悪くない。
筆頭公爵家への非公式の訪問ゆえ、王太子専用馬車は使用許可がおりなかったが、それでも王家所有の高級な馬車である。
この馬車はこのまま王宮に戻り、俺と荷物とを降ろしたのち、セリアヌを再度筆頭公爵家まで送る手筈だ。
いま一度俺が送ってやりたいところだが、そうもいかない。
学院での学業、生徒会業務、そして、王太子としての公務。なぜか、婚約者が交代してから俺のするべきことが増えているからだ。
いや、多少は想像してはいた。なにしろ、あのウルシュラ・ド・ローモンドを婚約者からおろすのだから。
ただ、想像よりも多忙になったのだ。まあ、それも仕方ないことだ。セリアヌとの愛と未来のために。
甘んじて、苦難を受けようではないか。
そもそも今日は、婚約者の変更が国王陛下と王妃殿下にお認め頂けたことをわざわざ王太子たる俺が、直接伝えにいってやったのだ。正式な書状などは父上と母上から、そして、外部に示すのはまたさらに後だが、元婚約者も現婚約者も筆頭公爵家の令嬢なのだから、かまうまい。
さすがに王太子との婚約がなくなるとなれば、いかなウルシュラ・ド・ローモンドといえども、顔を青くするかと思い、それもまた楽しみだったのだが。
『その件でしたら、恐れ多くも王妃殿下から魔法伝書鳩を頂戴してございます。公式な文書につきましては国王陛下ならびに王妃殿下御身より後日に、とも。こちらの手続きには私だけでご登城申し上げればよいとのことでしたわ。また、本件につきましては、ダイソム王太子殿下ご自身と国王陛下、王妃殿下の御署名もあり、二度とダイソム王太子殿下の婚約者にはならないとの旨も聞いてございます。委細承知申し上げますとともに、この度は、ダイソム王太子殿下の婚約者をセリアヌ嬢へご変更なされましたこと、まことにおめでとうございます』
王太子殿下との婚約がなくなるという、筆頭公爵令嬢ならば耐え難い屈辱であるはずの、現実。
しかしながら、ウルシュラはまったくと腹立たしいくらいに美麗な礼とともにこう言ってきたのだ。
丁寧な長口上とともに。
しかも、その礼、カテーシーなどは、礼法の参考書に理想の型として採用されそうなほどであった。
姿も、声も、美しい。
セリアヌのほうにはセリアヌ嬢という温かみのかけらもない言いぐさだったが。
『ならば、祝いの品を頂こう』
『でしたら、どうぞ、よしなに。ただ、王太子殿下も、婚約者嬢も、礼節はお弁えくださいますように』
『あれもこれも素敵!』
ウルシュラの嫌味にもめげず、義姉のクローゼットを矯めつ眇めつしているセリアヌは、駒鳥か蜜蜂のようでかわいらしかった。
いくつも最高級品を所有しているくせに義妹に譲らないというウルシュラのがめつさ、吝嗇さについては、セリアヌから聞いている。
セリアヌへ多少融通してやるくらいは、当然のこと。だが、前当主からの贈答品や母上からの下賜の品々は、さすがにまずい。それだけは俺からもセリアヌに伝えねばと考えていたら、セリアヌがひときわ目を輝かせるドレスがあった。
『……きらきらして、素晴らしいわ!』
『あら、そのドレスが気に入りましたの? では、宣誓をなさってくださいな。このドレスは義妹を悲しませます。私はそう忠告しましたのに、お二人が所望を、と』
そう言われたのは、おそらく、最高級の魔絹で作られたであろう美しいドレス。俺が見ても、稀なるものと分かった。それはいま、きちんとドレスバッグに納められ、俺たちが乗っている馬車の収納に収められているはずだ。
ついでに、と見繕った小物については、『そちらには宣誓は必要ございませんわ』と言ったウルシュラ。
おそらくは、扇の下で笑っていたはずなので、小物入れごと奪ってきた。
まあ、あの美しいドレスをかわいらしいセリアヌが身にまとうときには、俺の目や髪の色を入れた飾りを贈るつもりではあるが。ウルシュラを飾るものはいくつあってもよい。
新たな婚約者の披露パーティーの予定日までの時間は多くはないが、王室御用達の店に声をかけさせれば、なんとかなるだろう。出入りの高級商家でもいいな。侍従によく言ってきかせねば。
「あのドレスは、お義姉様から頂いた素敵なもののなかでも一番です。殿下にお預かり頂けるなんて、あのドレスも、セリアヌも、幸せ者ですわ! 宣誓は珍しくて、むしろ、楽しかったです。それに、ダイソム様の婚約者がお義姉様ではなくなったことに異議を仰らなかったこと、ほんとうに嬉しゅうございます」
「ああ。あのセリアヌのために在るような素晴らしいドレスは、パーティーの日まで、きちんと預かる。異議については、とうぜんだ。俺が父上と母上の許可を頂戴しておいたからな。筋を通すことは大切だろう」
「ダイソム様は、なんて誠実な御方なのでしょう!」
セリアヌが微笑む。かわいらしい。
俺のことをダイソムと呼ぶこともだ。
俺は、思い出す。
熱く、そして冷静に、真実の愛について父上と母上に語ったときのことを。
『ふむ。そなたの弁によると、婚約者を筆頭公爵令嬢ウルシュラ・ド・ローモンドから筆頭公爵家に住まうセリアヌ嬢へと変更いたしたいと申しておるように聞こえるが?』
恐れながら、セリアヌ・ド・ローモンドです、と訂正申し上げることは避けた。父上もウルシュラのことを気に入っていらした。筆頭公爵令嬢という呼び方はウルシュラ嬢にこそ相応しいとのお考えなのだろうから。
その代わりに、俺は、きちんとしたお答えをした。
『はい、父上。左様にございます。ウルシュラ……嬢は、義妹と同じ父を持ちながら、学院にて義姉と呼ばう義妹を注するような女……女性です。義妹セリアヌ嬢のほうが、王太子たるわたしの婚約者に相応しいのです』
『……陛下、お聞きになられましたか。王太子と申しますよりも、わたくしたちの子、このダイソムの婚約者には、そのセリアヌとやらのほうが相応しいかも知れませんわ』
なんと、母上のお言葉だった。
『……母上、ありがとうございます!』
俺はあの時、まさか、母上のほうが先にセリアヌを認めてくださるとは! と深く感激をした。
だが、父上はやはり国王陛下。このあとも、冷徹に話されていた。
『ふむ。しかし、筆頭公爵令嬢ウルシュラ嬢は既に王太子妃としての学びも終え、可能な範囲での王宮の実務にも携わってくれておる。学院での生徒会活動も、そなたの補佐として実務に携わってくれておるな。筆頭公爵家の領地領民にも目配りをする、正しき令嬢の身でありながら。その、セリアヌ嬢に厳しいこと以外にとくにそなたから述べることもないのだろう? ウルシュラ嬢への謝意ならびにこれからの王太子業務については、如何とするつもりだ? まさか、婚約者ではなくなろうとも実務は補佐してくれ、などとは申すまいな?』
これには、俺もきちんとした態度をお見せせねば、と堂々と父上にお答えしたのだ。
『生徒会につきましては、会長たる自分が責を負いましょう』
首位とはいかずとも、俺も成績は上位。生徒会の運営など、王太子としての実務に比べたら大したものではなかろう。
『責を、とは、王太子の実務も含めてですよ? まあ、ならば、おやりなさいな。ああ、陛下、王太子妃代行業務につきましては、王妃たるわたくしが受け持ちましょう。場合によりましては、王太子代行業務も承りますわ』
『すまない』
『ありがとう存じます。それでは』
それにしても、母上はなんと慎重でいらっしゃるのか。
そして、慎重であられながら、俺のことを慮ってくださっている。
生徒会活動については、ウルシュラにできていたことを俺がやってやればよいはずだろうに。
そもそも、ウルシュラは生徒会活動と並行して学業も、と、学院の首位の座を保っていたのだから。
やる気を出した王太子たる俺に同じことができないはずはないのに。
そう、俺はやる。やれるはず。なぜなら、セリアヌという真実の愛の相手がいるのだから。
『それにしても、ずいぶんと嬉しそうですね。真の愛に目覚めたからです、とでも申したいのかしら? ならば、聞きましょう。政略を正しいと思えぬ者に、王太子は務まらぬ、とは考えないのですか。陛下とわたくしも、政略婚ですのに』
痛いところを突く母上は、正しい。
そして、父上は、母上のことを深く思っておられる。
『そのとおりだ。王妃は、王妃としての務めを相当か、その以上に果たしてくれている。であるからこそ、わたしも国の王として務めていることができるのだ。王妃は、我が国の近隣国の中で最たる力を持つ国より嫁いでくれた。我が国のほうが多少下、と見る諸国もあるほどだ。つまり、王妃の母国、近隣国の国力であらば、王妃陛下と成ることも能うのに、輿入れをし、王太子妃殿下として努めてくれたまま、殿下位、王妃殿下としてわたしを立ててくれているのだぞ。先ほどの王太子妃の代行も、左様ぞ。そなたには、この意味、分かるまいが』
『過分なお言葉、まことにありがたく。陛下のおそばに在れますこと、光栄に存じます』
『こちらこそ、であるよ、王妃よ。では、ダイソム。そなたの話は済んだな。此度の件は、あくまでもそなたの婚約者が代わるのであり、ウルシュラ・ド・ローモンドの有責などではないことを、忘れぬよう。なお、王太子妃教育ならびに学院での学業についてはウルシュラ嬢修了に近い。今後は将来の王太子妃としてではなく筆頭公爵令嬢として王家の賓客となることがあるが、それについての異議などは一切認めぬゆえ、承知せよ』
『……畏まりました』
ここは釈然としなかったが、まあ、よい。
『ああ、婚約者交代について署名をしてゆけ』
『では、こちらを』
高級書記官が、銀の盆に書状とガラスペンとインク壺をそえて差し出してきた。
『筆頭公爵令嬢たるウルシュラ嬢には、こちらから連絡いたします。くれぐれも、学院で婚約者を断罪する、婚約破棄を行うなどという恥ずかしいことはなさいませんように』
『……心しております』
そこまで言われなくても、と思いながら、俺は、なぜか既にきちんと準備がなされていた書状に署名をしていく。
『……そうでした、父上、母上。ウルシュラ嬢……筆頭公爵令嬢への王太子妃教育は』
きちんとした準備。そのことから、場合によってはウルシュラの知識は秘匿事項になるのでは、と俺は今更ながら、多少不安になっていた。さすがに記憶消去魔法を、などということになっては、寝覚めが悪い。優しいセリアヌも、心を痛めるだろう。
『そなたが気にすることはない。王妃の母国の王太子妃教育に準ずる、高度なものだ』
『ええ、ええ。我が国よりも、です』
ところが、お二人は笑顔でこう仰った。俺が修得中の王太子教育よりも、さらに上に、つまりは、諸外国への輿入れも検討される、ということか。
『行くがよい、己が道を。新たな婚約者とともに。最後に伝えるが、陛下も、わたくしも、そなたの婚約者の交代を認めた。署名もいたした。恐れ多くも、陛下からの御印もすぐに押されます。これにより、筆頭公爵令嬢はそなたの婚約者になることは、二度とないのですよ。そのことを、ゆめゆめ、忘れないように』
最後に。
母上は、そう仰っていらした。
そのお顔は、不思議なほどに、穏やかでいらした。
正直、あの時の俺は。
いや、馬車にセリアヌと二人で居たこの時も。
父上はともかくとして、母上からは婚約者交代を責められると考えていたので、あっさりと承諾頂けたことを喜ぶばかりだった。
だが、あくまでも、認められたのは俺とセリアヌの婚約であること。
ウルシュラが修めた王太子妃教育は近隣国の一つ、母上の母国のものであることも。
セリアヌとの婚約を認められて浮かれていたあの時の俺は、これらのことを。
理解など、してはいなかったのだ。
そして、セリアヌと馬車に乗っていた、この時にも。
大事なことに気付きもせず、この時の、馬車の俺は、セリアヌは。
たしかに、お互いを思って、笑いあっていたのだった。
お互いの未来が、ひたすらに美しいものだと。そう、信じながら。
読了まことにありがとうございます。
次話は王妃殿下視点でございます。




