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第41話:金ヶ崎城の陥落

第41話:金ヶ崎城の陥落


 鉄砲の轟音が山中にこだまし、矢玉が木柵を激しく打ち叩いた。

 越前敦賀の要衝・天筒山城。

 敦賀湾から吹き寄せる春の冷たい海風が、硝煙の匂いを激しく巻き上げる中、朝倉方の守将は本丸の櫓から眼下に広がる織田の大軍を見下ろし、顔面を土気色に変えていた。

 眼下に押し寄せていたのは、織田弾正忠信長が率いる、尾張・美濃より催した大軍であった。


 織田軍の先陣には、柴田権六勝家ら織田家きっての猛将が立っていた。

 さきにお市と信長との間で取り交わした盟約に基づき、浅井領の今浜や塩津から琵琶湖の船によって優先して送り届けられた米と塩、そして玉薬が、織田軍の補給を支えていた。

 他国の大名が悩まされる兵糧補給の難を大きく和らげた織田軍は、勢いを衰えさせることなく、敦賀の城郭へと迫っていた。


「撃てい! 射ち倒せぃっ!」


 柴田勝家が馬上で太刀を振り下ろすと、鉄砲の音に紛れて織田の武者たちが斜面を駆け上がり、櫓や柵に立ち並ぶ朝倉の武者たちを次々と撃ち落としていった。

 勝家が兵を率いて斜面を攻め上り、織田の武者たちが一気に城内へとなだれ込んだ。

 堅固な天筒山城は、織田軍の物量と猛攻の前に、激しい攻防の末、多くの兵を失って陥落した。


 天筒山城を破竹の勢いで踏み潰した織田軍は、間髪を入れず、ほど近くに位置する敦賀の主城――金ヶ崎城へ迫った。

 金ヶ崎城は、切り立った断崖と海に挟まれた、越前屈指の要害であった。

 しかし、天筒山城が落ちた惨状を目撃した金ヶ崎城内の朝倉軍の士気は、すでに瓦解していた。

 織田軍の一隊が城柵へ火を放ち、城内の朝倉勢に動揺が走った。


 城内に黒煙が立ち込め、織田軍の勝鬨が響き渡る中、金ヶ崎城主・朝倉景恒は、もはや防ぐ手立てなしと顔面を蒼白にして狼狽した。


「だ……ダメだ! 織田軍の強さは……これ以上ここに居れば、天筒山と同じく討ち取られるぞ!」


 朝倉景恒は抗戦を断念し、城を開いて退いた。

 朝倉景恒が退いた金ヶ崎城は、翌日には織田軍の手に落ちた。

 金ヶ崎城には織田の旗印が掲げられ、春の海風にはためき、敦賀湾を見下ろすようにして翻ったのであった。


 金ヶ崎城陥落の報せは、疾風のごとく越前一乗谷の朝倉館へと駆け巡った。

 奥御殿の畳の上で、当主・朝倉義景は、城を開いて退き、一乗谷へ戻ってきた朝倉景恒の報告を聞き、血の気を失って絶句していた。


「な……なに……!? 天筒山を落として、翌日には金ヶ崎までだと……!?」


 義景の声が、激しい狼狽でかすれた。

 敦賀の要害が数日で落ちるなど、義景にとっては天地がひっくり返るほどの想定外であった。

 義景は激怒のあまり、畳を何度も拳で叩きつけた。


「おのれ……! 朝倉景恒の意気地なしめがっ! それにしても……浅井の小僧め……一体何をしておる! なぜ後ろから織田の背後を襲わぬ! 浅井軍が織田の背後を突けば、信長など敦賀の地で袋の鼠となったはずではないか!」


 朝倉義景が、浅井の離反をなお信じようとしなかった理由。

 それは、自らが仕掛けた冷酷な計算と圧力に対する、絶対の過信であった。


 義景は、将軍家の威光をもって浅井を縛れると考えていた。さらに敦賀方面の道を押さえ、北近江への塩や物資の流れを細らせることで、浅井家中を追い詰めていた。

 義景の頭脳の中では、こう弾き出されていた。

(たかが織田の女一人が小谷城へ輿入れしたところで、将軍様のご命令と、塩の途絶という現実の恐怖の前に、浅井の国人どもが織田につけるはずがない! 浅井家は将軍の命に従い、朝倉の手先として織田を背後から襲わざるを得ない、もはや逃げ道のない状態にあるのだ!)

 義景は、自らの仕掛けた将軍の威光と塩の圧力を過信し、浅井家が当主追放を突きつけられてなお、朝倉側として信長を討つしかないと思い込んでいたのだ。

 お市が浅井家中にどれほど影響を及ぼしているか――義景は、その実情を知らなかった。


 もっとも、朝倉が北近江の塩の動きをまったく知らなかったわけではない。

 敦賀から塩津へ抜ける道は、北国と近江を結ぶ古くからの物資の通り道である。朝倉の商人や荷運び人、国境近くの者たちの耳目からも、近頃、浅井領へ入る塩の量が以前とは違っているという報せは、すでに一乗谷へ届いていた。

 浅井領の市場で塩が以前より安くなり、敦賀を経ずに琵琶湖の水運を通じて物資が入っていることも、朝倉側の者たちは耳にしていた。


 だが、義景はその変化を別の意味に受け取っていた。


(塩が流れ始めたからとて、それだけで浅井が織田についたとは限らぬ。むしろ、織田が浅井へ物資を回しているだけであろう)


 朝倉の耳目が拾った情報そのものが間違っていたのではない。

 市場の値、荷の動き、船の往来――そこに現れた「結果」は、確かに一乗谷へ届いていた。


 しかし義景には、それが「浅井が朝倉から離れた証拠」とは見えなかった。

 朝倉が塩を絞れば、浅井は困窮する。ならば、織田が一時的に塩を融通しているだけだろう――義景はそう考えた。


 ましてや、浅井家中には長年朝倉と通じてきた国人衆がいる。将軍家の威光もあり、朝倉との縁を断ち切ることなどできるはずがない。


 義景は、目の前に現れた変化を見ていながら、その意味を読み違えていた。


 塩の流れが戻ったことではない。

 その塩を、浅井が自らの手で確保し、朝倉に頼らぬ仕組みを作り始めたことこそが、本当の変化だったのである。


 だが、その変化を最も近くで見ていた者たち――城下の商人や荷運び人、湖上を行き交う船頭たちの動きまでは、朝倉の一乗谷から正確に掴むことはできなかった。


 なぜ塩の流れが変わったのか。

 誰がその流れを作ったのか。

 そして、その変化が浅井家中の結束そのものを変えていることまでは、知る由もなかった。


 重臣の朝倉式部大輔景鏡が、苦々しい顔で頭を下げた。


「屋形様……! もはや浅井を頼みにはできませぬ! 浅井長政は老臣どもを追放し、完全に織田の女と手を結んでおりますぞ! 直ちに一乗谷の全軍を催させねば、織田の大軍がこの一乗谷へとなだれ込んでまいります!」


「く……くそおっ……!」

 義景は青ざめた顔で爪を噛んだが、その瞳に暗い執念の光を宿らせた。


「待て、景鏡! 織田信長め、天筒山と金ヶ崎を落とし、浅井が動かぬと見て調子に乗っておる……! 敦賀から我が本拠・一乗谷へ向かうには、狭く険しい一本の山道――木ノ芽峠を越えねばならぬ! 信長が大軍を率いて木ノ芽峠へ深入りすれば、奴らの軍勢は細長く伸び切り、身動きが取れなくなるのだ!」


 義景は膝を叩き、指令を下した。

「加賀・越前の門徒衆にも、すでに使いを放っている。木ノ芽峠へ入った織田軍の背後を攪乱させよ。敦賀との往来を脅かさせよ! 前からは我が朝倉の軍勢で圧をかけ、背後では門徒衆に騒ぎを起こさせる。織田の退路を脅かし、越前の山中へ追い込んでやるわ!」


 自ら危険を冒す度胸のない朝倉義景が仕掛けた、門徒衆への工作によって織田軍の退路を脅かす策。

 信長が「浅井は味方だ」と信じ込んで越前深くへ深入りした瞬間を狙い、退路を脅かし、織田軍を越前の山中へ足止めしようという、苦肉の策であった。


 一方、その頃。

 北近江の琵琶湖北岸――今浜と塩津の両港では、さきに長政が下した出陣命令を受け、浅井軍の支度が急ピッチで進められていた。

 小谷から選りすぐった五千余の兵が、国境守備に残す兵を除いて、すでに塩津へ進出していた。今浜からは兵糧と玉薬を積んだ荷船が次々と送り出されていた。

 立ち並ぶ陣幕には、浅井家の象徴である「三ツ星」の旗印が鮮やかに翻り、甲冑の擦れる音、槍の柄が触れ合う音が絶えなかった。


 陣幕の中で、当主・長政は机上に広げられた近江・越前の道筋を記した絵図を見つめ、金ヶ崎城陥落の急報を告げにきた伝令の報告を聞いていた。

 長政の側近くには、阿閉淡路守貞征、新庄駿河守直頼ら国人衆が控えていた。


 阿閉貞征が、感嘆の声を漏らした。

「御屋形様! 織田信長様の進撃、真に破竹の勢いにございますな! あの堅固な天筒山と金ヶ崎を、わずか数日で落とされるとは……! これで朝倉の勢いは大きく挫かれましたぞ! 我ら浅井軍も、直ちに陸路を通って敦賀へ向かい、織田様と合流して朝倉の本拠・一乗谷へとなだれ込みましょうぞ!」


 新庄直頼もまた、力強く頷いた。

「然り! この勢いで一乗谷を攻め立てるのが、我が浅井家の手柄となりましょう!」


 重臣たちが、織田軍の快進撃に胸を躍らせ、越前侵攻への気勢を上げていた。

 しかし、当主である長政は、浮かれることなく、じっと絵図を見つめていた。


(……早すぎる。敦賀をこれほど短い日数で抜けたなら、次は木ノ芽峠へ入る。あの狭い峠道を、大軍のまま一気に進むつもりか……?)


 長政の脳裏で、これまで戦場を渡ってきた経験が、危険を告げていた。

 長政が見ていたのは、絵図の上に伸びる一本の細い道だった。


「阿閉殿、新庄殿。浮かれるな。……織田兄上の進撃は早すぎるのだ」

 長政の重々しい声に、阿閉貞征と新庄直頼がハッと息を呑み、言葉をつぐんだ。

 長政は絵図の敦賀から木ノ芽峠、一乗谷へと続く狭い山道を指差し、静かに語った。


「敦賀を落としたからとて、越前を取ったわけではない。むしろここから先は、織田の兵糧がどこまで持つかが勝負になる。……木ノ芽峠の道は、両側に切り立った崖が迫る、狭く険しい一本道の山道だ。大軍がこの狭い山道へなだれ込めば、織田軍の陣形は前後に細長く伸び切る。兵が峠道へ入れば、先陣が峠を越える頃には後陣はまだ敦賀に残る。織田軍が越前深くへ進めば進むほど、敦賀から伸びる退路もまた長くなる。その退路を狙われれば、兵の多さがかえって足枷になる」


 長政はさきにお市から聞かされていた、朝倉義景が本願寺や諸国へ密使を放っていた動きを思い返した。

「織田兄上も、我ら浅井が北近江から兵を出し、朝倉の背後を脅かすことを期待しているはずだ。朝倉がこの地形を見逃すはずがない。もし朝倉が門徒衆に騒ぎを起こさせ、峠の南側に延びる敦賀への退路を脅かしたらどうなる? 兵糧の補給も滞り、織田の軍勢は前進も退却もままならぬ。大軍であることが、かえって仇となろう」


 阿閉貞征と新庄直頼が、ハッと顔を見合わせ、背筋に冷や汗をかいた。

 長政は絵図を見つめたまま、静かに目を細めた。


 長政の唇に、不敵な笑みが浮かび上がった。


(織田兄上……強すぎるがゆえに、前ばかりを見ておられる。……だが、安心されるが良い。兄上の背後は、俺が守る)


 長政は静かに立ち上がり、具足の緒を締め直し、腰の太刀に手を添えた。

 長政の周囲に控える武将たちの視線が集まった。


 長政は力強い声で命じた。


「皆に申し渡す! これより我が浅井軍は、船手に兵糧と玉薬を積ませ、兵を乗せる船を用意させよ! 船は塩津へ集め、兵は塩津から陸路を取る! 敦賀方面へ進撃する!」


 長政は、出陣の折に交わしたお市の言葉を胸に刻み、高らかに言い放った。


「我らが狙うは、朝倉の本隊ではない! 織田兄上の背後を遮断しようと迫る、門徒衆と朝倉の別動隊である! 琵琶湖の水運を駆使し、奴らの動きを断って、織田軍の退路を守るのだ!」


「ははっ! 出陣!」


 今浜の船着きでは、兵糧と玉薬が積み込まれ、塩津へ向かう荷船が次々と湖上へ滑り出していった。

 塩津では、すでに集められた兵たちが、その到着を待っていた。

 船が着けば兵糧を陸揚げし、兵たちもまた順次、敦賀方面へ進む手筈である。

 やがて塩津の陣から、長政自ら率いる浅井軍が敦賀方面へ進み始めた。

 その狙いは、織田軍を助けることだけではない。朝倉が織田軍の退路を脅かす動きを見せる前に、その手を断つことである。

 琵琶湖を渡る春の風が、浅井軍の旗印を強く揺らし、水面を大きく波立たせていたのであった。

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