受け皿の試練
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
蔵の扉をくぐった瞬間、
空気が変わった。
冷たいのに、どこか人の気配がある。
暗闇はただの闇ではなく、
“誰かの気持ちが沈殿した層”のようだった。
奥へ進む。
そこで足が止まる。
床ではない。
水でもない。
だが確かに“何か”が満ちている。
――来い。
――答えろ。
――分けろ。
声ではない。
問いだ。
無数の問いが、
空間そのものから押し寄せてくる。
「……っ」
視界が揺れる。
その瞬間、景色が変わった。
村だった。
昔の村。
見知らぬはずなのに、知っている。
土の道。
井戸。
人のざわめき。
そして、その中心にいた。
祖先たち。
相談役。
そこでは人々が、
次々と感情を抱えて立っていた。
怒り。
悲しみ。
嫉妬。
喜び。
それらが“問題”として差し出されている。
――どうする?
――どう受ける?
――どう扱う?
声が一斉に飛び込んでくる。
最初は分からなかった。
ただ圧倒されるだけだった。
でも、祖父の声が奥で響く。
『寄り添え』
『持つな、分けろ』
その言葉が、唯一の支えになる。
目の前に現れた女性が、泣きながら言う。
「この悲しみ、どうすればいい?」
次に男が叫ぶ。
「怒りが収まらない!」
子どもが笑いながら聞く。
「この嬉しさ、誰かと分けたい!」
全部が同時に来る。
混ざる。
崩れる。
飲み込まれそうになる。
だがそこで気づく。
全部を“解決する必要はない”。
ただ――受けて、返す。
僕はゆっくり息を吐く。
「それは……半分でいい」
泣いている女性を見る。
「一人で持たなくていい」
男を見る。
「怒りは……一緒に考えよう」
子どもを見る。
「それは、ちゃんと分けよう」
言葉は拙い。
正しいかも分からない。
でも、
その瞬間だった。
感情が“形を変えた”。
重かった悲しみが、少し軽くなる。
怒りが、鋭さを失う。
喜びが、広がっていく。
――そう、それでいい。
――それでいい。
声が遠くから響く。
景色が戻る。
蔵の暗闇。
そこには“器”があった。
祠の核。
水でも石でもない。
ただ、静かな受け皿。
そこへ、溢れていた感情が流れ込んでいく。
悲しみは沈み、
少しだけ形を変える。
完全には消えない。
だが、抱えられる量になる。
祖父の声が静かに響く。
『よくやった』
「……できたのか?」
『半分な』
少しだけ笑う気配。
その時、理解する。
相談役とは“治す者”ではない。
“持ちきれないものを、世界と分ける者”だ。
蔵の外へ戻ると、
空気はさっきより少しだけ軽かった。
おやみが入口に立っていた。
「終わったん?」
「……たぶん」
「顔、だいぶマシやで」
軽口なのに、妙に安心する。
祖父の石が最後に一度だけ光る。
まるで、
次の仕事があると言うように。
感情は消えない。
ただ――分けられる。
それだけで、世界は少しだけ続いていく。




