石の祖父と、地下の祠
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
「羊羹……!」
石の中の祖父が、
突然そんな声を上げた。
夜中だった。
僕は参考書を開きながら、
半分眠りかけていた。
「急にどうしたの」
『思い出した』
「羊羹を?」
『違う。もっと大事なことだ』
石が淡く明滅する。
いつもの軽口とは違う。
妙に真剣な光だった。
『正人。お前、今いくつだ』
「十八だけど」
『……そうか。ちょうどいい』
その言葉に、
なぜか背筋が冷えた。
祖父は少し沈黙したあと、
静かに語り始めた。
『本当はな。わしの代で終わりだと思っていた』
「何が?」
『この家だ』
窓の外で風が鳴る。
古い家は、
夜になると木が呼吸する音がする。
『お前の父さんには、“見えなかった”』
「見えなかった?」
『地下の祠だ』
僕は思わず笑いそうになった。
「地下? この家に?」
『ある』
祖父は断言した。
『先祖代々、この土地の下には祠がある』
石の光が、
少しだけ強くなる。
『そして本来、それは“継ぐ者”しか見つけられん』
「……何それ。隠し部屋みたいな?」
『少し違う』
祖父の声は、
遠い記憶を掘り起こすようにゆっくりだった。
『あれは“場所”であり、“境界”だ』
「境界?」
『この世と、そうでないもののな』
冗談には聞こえなかった。
僕は黙った。
『昔は、死ぬ前に引き継いでいた』
「引き継ぐって……何を?」
『役目だ』
短い言葉。
けれど、
それだけで部屋の空気が重くなる。
『この家の人間はな、“残るもの”を管理してきた』
「残るもの?」
『人の未練。
土地の記憶。
形になれなかった想い。
そういうものだ』
石が脈打つ。
『長く生きた感情は、時々この世に沈殿する』
その表現が、
妙に綺麗で、
妙に怖かった。
『放っておくと、“澱”になる』
「……澱?」
『人を狂わせる』
祖父は静かに言った。
『だから祠に沈めるんだ』
窓が、
ガタリと鳴った。
まるで家が話を聞いているみたいだった。
「じゃあ……じいちゃんも?」
『やっていた』
「ずっと?」
『ああ』
その瞬間、
祖父の部屋を整理していた時の違和感を思い出した。
妙に冷たい押し入れ。
空なのに重かった木箱。
誰もいない廊下で聞こえた足音。
あれは全部、
気のせいじゃなかったのか。
『だが、お前の父さんには何も見えなかった』
「親父には?」
『血だけでは足りんらしい』
祖父は少し笑った。
『優しい男だったがな。“向こう”に縁が薄かった』
「じゃあ、僕は?」
石は、
しばらく黙った。
そして。
『お前は、こっち側だ』
その瞬間。
部屋の温度が下がった。
電気が一瞬だけ明滅する。
耳鳴り。
遠くで、
誰かが囁いた気がした。
知らない声。
男とも女ともつかない、
湿った声。
僕は反射的に振り返った。
誰もいない。
けれど。
廊下の奥。
暗闇が、
一瞬だけ“立っていた”。
「……っ!」
瞬きをした瞬間、
消えた。
『見えたか』
祖父が静かに言う。
「今の、何……」
『入口が開き始めてる』
「入口?」
『祠だ』
石が、
深い青に変わる。
『本来なら、生きているうちに継がせるはずだった』
「じゃあ、なんで——」
『死んだからだ』
祖父は苦笑した。
『まさか石になるとは思わんかったが』
少しだけ空気が和らぐ。
でも、
次の言葉でまた冷えた。
『正人。この家はな』
祖父の声が低くなる。
『“何か”を封じるために建っている』
外で風が止んだ。
しん、と世界が静まる。
『地下へ行け』
「……今?」
『いや』
石が、
かすかに震える。
『向こうも、お前に気づき始めてる』
「向こうって……」
『急ぐと死ぬ』
祖父は珍しく真面目だった。
『準備をしろ』
「何の」
その問いに、
祖父はゆっくり答えた。
『お前はこれから、“残ったもの”を見ることになる』
その時だった。
コン。
コン。
コン。
二階なのに。
窓の外から、
誰かが叩いていた。
ありえない高さから。
僕は凍りつく。
石だけが静かに光っていた。
『……始まったな』




