遺品の石
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
祖父の部屋は、昔から少しだけ時間が遅かった。
柱時計はいつも三分遅れ、
テレビは砂嵐になっても平気で映し続け、
窓際の観葉植物だけは、なぜか冬でも青かった。
その部屋の主だった祖父は、七十二歳の冬に亡くなった。
医者は「老衰です」と静かに言ったが、
祖父は最期の数日、妙なことばかり口にしていた。
「人間な、最後は“置いていく場所”を探すんだ」
意味が分からず、
僕――孫の正人は曖昧に笑っていた。
祖父は笑い返して、
「金でも土地でもない。もっと軽いものだ」
と言った。
それが最後の会話になった。
葬式は、よく晴れた日に終わった。
親族たちは涙より疲労の顔をしていて、
黒いネクタイを緩めながら帰っていった。
残された僕は、
祖父の部屋の整理を任された。
古いラジオ。
黄ばんだ本。
使わなくなった万年筆。
なぜか大量にある輪ゴム。
祖父の部屋は、
生活感というより“記憶”が積もっていた。
引き出しを開けるたび、
古い紙の匂いがした。
その時だった。
机の奥。
木箱の中に、
小さな石が入っていた。
親指の爪ほどの大きさ。
透明なのに、
中心だけが淡く青く光っている。
「……綺麗だな」
そう呟いた瞬間。
カチ。
止まっていた柱時計が動いた。
思わず振り返る。
時計は、
ゆっくり秒針を刻み始めていた。
電池なんて、とっくに切れていたはずなのに。
「……気のせいか」
疲れているのだろう。
僕は石をポケットに入れ、
整理を続けた。
その夜。
自宅に戻った僕は、
妙な違和感に気づいた。
部屋が、少し暖かい。
暖房はつけていない。
なのに、
誰かがついさっきまでいたような温度が残っていた。
そして。
テーブルの上に置いた石が、
かすかに光っていた。
呼吸するみたいに。
明るく、
暗く。
ゆっくりと。
「……え?」
見間違いではない。
石は、
本当に脈打っていた。
僕は恐る恐る触れた。
その瞬間。
『正人』
声がした。
頭の中で。
耳ではない。
もっと近い場所。
脳の奥に、
直接響く声。
忘れるはずもない。
祖父の声だった。
僕は飛び上がった。
「じ、じいちゃん……?」
『騒ぐな。年寄りには静かな環境が必要だ』
「いや死んでるだろ!?」
『そうだな。そこは少し困ってる』
石は、
ほのかに青く揺れた。
僕はしばらく言葉を失った。
祖父は生前、
オカルトを一切信じない人だった。
幽霊の話をすると、
「怖がる暇があるなら飯を食え」と笑う人だった。
そんな祖父の声が、
今、
石の中から聞こえている。
『成功したらしい』
「なにが」
『封じ込め』
「何を!?」
『わし』
あまりにも自然に言うので、
逆に怖かった。
沈黙のあと、
祖父は少し誇らしげに続けた。
『死ぬ前にな。魂というものがあるなら、何かに残せないかと思った』
「思いつきでやることじゃないよ!?」
『暇だったんだ』
その返答が、
妙に祖父らしかった。
僕は思わず笑ってしまった。
怖いはずなのに。
なぜか、
懐かしかった。
それから奇妙な同居生活が始まった。
石の祖父は、
時々しゃべった。
『味噌汁が薄い』
「石に味覚あるの?」
『雰囲気で分かる』
とか。
『その株はやめろ。絶対下がる』
「なんで分かるの」
『年寄りは未来予測が得意だ』
とか。
意味不明なことばかり言った。
けれど。
不思議と寂しくはなかった。
むしろ、
死んだはずの祖父との時間が、
静かに続いている気がした。
ある雨の日。
僕は石に尋ねた。
「じいちゃん。なんで、石なんだ?」
少し沈黙。
そして祖父は答えた。
『長く残りそうだったからな』
「それだけ?」
『それだけだ』
窓の外で雨が鳴る。
『人間はすぐ壊れる。体も、記憶も』
祖父の声は、
どこか遠かった。
『だからせめて、“誰かといた時間”くらいは残したかった』
青い石が、
静かに光った。
まるで心臓みたいに。
『忘れるなよ、正人』
「……うん」
『あと、机の二段目に隠してた羊羹は親父には見つけるな』
「まだそんなこと言ってんの!?」
その瞬間。
石は、
小さく笑うように明滅した。




