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継承される祠守  作者: さんご


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19/30

その後の物理学科 ―観測不能恋愛理論―

数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。

この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。

なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。

 あの日以降。


 物理学科がおかしくなった。


 いや、正確には。


 もともと少しおかしかった連中が、

 本格的に壊れ始めた。


 原因はもちろん、

 あの教室で起きた“感情の相転移”。


 教授は認めなかった。


「非科学的だ」


「再現性がない」


「感情論だ」


 口ではそう言う。


 だが。


 全員、目が死ぬほど輝いていた。


 特に。


 あの教授。

 鬼気迫る勢いで研究を始めた。


「感情と空間振動には、明確な因果が存在する可能性がある」


「教授、それ論文通ります?」


「通す」


 強い。


 物理学者の狂気は、時々怪異より怖い。


 一方。


 あの日、

 教授へ真っ向から反論していた女子学生――


 天城澪あまぎ・みお


 彼女もまた、変わっていた。


 元々、

 優秀だった。


 論理的。

 冷静。

 成績トップクラス。


 教授にも物怖じせず、

 正論をぶつけるタイプ。


 だからこそ、

 教授とは最悪に相性が悪かった。


 会えば衝突。


 議論すれば口論。


 ゼミでは毎回空気が爆発していた。


 だが。


 あの日から、

 二人の“ぶつかり方”が変わった。


「教授、

 その理論は観測者効果を軽視しすぎです」


「君は感情を特別視しすぎだ」


「でも、

 現実に空間歪曲が起きました」


「だからこそ数式化が必要なんだ!」


 以前なら。


 そこで終わっていた。


 しかし今は違う。


 二人とも、

 相手の言葉を最後まで聞く。


 否定だけで終わらない。


 気づけば。


 研究室に残る時間が増えていた。


 夜。


 誰もいない研究室。


 積み上がった資料。


 冷めたコーヒー。


 ホワイトボードいっぱいの数式。


 そして。


「……教授」


「なんだね」


「この式、

 感情波動を変数にしたら、

 位相ズレ説明できません?」


 教授が止まる。


 沈黙。


 数秒後。


「……続けたまえ」


 嬉しそうだった。


 まるで。


 長年探していた答えを、

 ようやく一緒に考えられる相手を見つけたみたいに。


 澪も、

 少しだけ笑っていた。


 その頃。


 僕は食堂でうどんを食べていた。


「なんか物理学科が怖い」


「恋やなぁ」


 おやみが適当に言う。


「いや研究だろ」


「研究者の恋なんて、

 だいたい“理解者見つけた!”から始まるで」


 祖父の石が低く唸る。


『昔からそうだ。

 共鳴とは、

 理解の別名でもある』


「ロマンチックっぽく言うなぁ」


 しかし。


 実際、

 二人は少しずつ変わっていった。


 教授は、

 以前より怒鳴らなくなった。


 澪は、

 以前より無茶な反論をしなくなった。


 代わりに。


 互いの理論を、

 本気で磨き始めた。


「教授、

 徹夜続きですよね」


「君もだろう」


「私は若いので」


「ずるいな」


 そんな会話が増えた。


 周囲の学生たちは気づき始める。


「……あれ仲良くない?」


「物理学的距離は近い」


「感情的距離も近い」


「観測できるレベルで近い」


 学科全体がざわつき始めた。


 だが本人たちは、

 研究しか見えていなかった。


 ある冬の日。


 雪が降っていた。


 研究室には、

 二人だけ。


 ホワイトボードに残る、

 大量の数式。


 その中心に。


 最初の式が、

 まだ小さく残っていた。


 x+y=z(仮)


 教授がそれを見る。


「……馬鹿みたいな式だ」


「ええ」


「だが、

 ここから全部始まった」


 澪は少し黙り、

 静かに言った。


「私は、

 好きですよ」


「式がかね?」


「……教授がです」


 沈黙。


 物理学的に言えば、

 完全停止。


 教授は、

 本当に数秒固まった。


 それから。


 人生で初めてみたいな顔で、

 困ったように笑った。


「……観測不能だったな」


「今、

 観測されました」


 窓の外では、

 雪が静かに降っていた。


 後日。


 物理学科に新しい噂が流れる。


「感情と空間振動の共同研究、

 ついに論文化されるらしい」


「マジ?」


「しかも共同執筆」


「タイトル何?」


 誰かが資料を見る。


『感情共鳴による空間位相変換の可能性について』


 その下に。


 連名。


 教授と、

 天城澪の名前。


 そして小さく。


 参考式。


 x+y=z(仮)


 物理学科の歴史上、

 最も意味不明で、

 最も幸福な論文だった。

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