怒りエネルギー
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
今日は物理の講義の日だった。
最近の一連の騒動――筋肉だの恋だの怪異だの――が嘘みたいに、
大学は妙に平和を取り戻していた。
だから僕も、普通に教室へ向かった。
「物理苦手なんだよな~」
とぼやきながら……向かいたくはなかったが。
理由は単純だ。
あの講義室が、嫌いだ。
古い校舎の一室。
照明はやや黄色く、
窓際の席だけ異様に寒い。
そして何より。
物理学というものが、どうにも性に合わない。
「位置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー……」
教授の声が響く。
「何でも“エネルギー”をつければ理解できると思うな」
いや、
逆だろと思う。
何でもエネルギーにしすぎだ。
だが教授は今日も偉そうだった。
「これは自然界の普遍法則であり――」
その瞬間。
教室の後方から声が上がる。
「教授、それは違います!」
一瞬で空気が止まった。
全員が振り返る。
立ち上がったのは、いつも反論する眼鏡をかけた女子学生だった。
やけに落ち着いた声。
やけに自信に満ちた態度。
「……ほう?」
教授の目が細くなる。
「何が違うと?」
「エネルギーとは、単なる分類ではなく“状態の記述”です」
静まり返る教室。
誰も口を挟めない。
いや。挟みたくない。
明らかに場の空気が変わった。
教授の眉がぴくりと動く。
「君は私の講義を否定するのかね?」
「いえ」
学生は淡々と続ける。
「誇張しすぎる表現は良くないと言っているんです。」
その日の学生の熱量が大きかったからなのか、
――その瞬間だった。
空気が“変質”した。
圧。熱。場。密度。
目に見えないはずのものが、一気に教室を満たす。
「……っ」
僕は息を呑んだ。
これはただの言い争いじゃない。
怒りだ。
しかも、ただの感情じゃない。
物理的な“圧”として存在している。
教授の額に青筋が浮かぶ。
「いいだろう」
低い声。
「では証明してみなさい」
その瞬間。
教室の空気が、
さらに重くなった。
怒り。
反発。
威圧。
それらが混ざり合い、
まるで“密度を持った何か”のように渦を巻く。
祖父の石が、
ポケットの中で微かに震えた。
『……これはまずいな』
「なにこれ」
『怒りエネルギーだ』
「そんな概念あったっけ!?」
『ない』
「ないの!?」
しかし。確かにそこに“ある”。
教授と学生の間に生まれた衝突が、
目に見えない圧力場を作り始めていた。
机が軋む。
空気が震える。
黒板のチョークが、
勝手に粉を吹く。
おやみの声が頭の中で響いた気がした。
『あーこれアカンやつやな』
「来てるの!?」
昔の怒りの想いが部屋の端っこでうごめいて、教授と生徒に共鳴を始める。
そして教授が一歩踏み出した瞬間。
バンッ!!
黒板に、見えない力で数式が刻まれた。
勝手に。
重力加速度。
運動方程式。
エネルギー保存則。
しかしどれも、微妙に歪んでいる。
「……違う」
学生が呟く。
「その解釈では不十分です」
反論すると黒板の数式がさらに歪む。
怒りが“理論”に変換され始めていた。
教授も応じる。
「ならば君の理論を示せ!!」
ドンッ!!
教室が揺れた。
完全に怒りエネルギーの衝突状態だった。
僕は思った。
物理って、こんな危ない学問だったか?
その時だった。
教室の隅で。
カチリ、と音がした。
祖父の石が、強く光る。
『正人』
「なに」
『離れろ』
「理由は!?」
『この場は“観測”ではなく“干渉”になる』
意味が分からない。
でも。
空気が確実に危険だった。
教授と学生の“議論”は、もはや言語ではなかった。
衝突そのものが、
エネルギーとして教室を満たしている。
怒りが、物理法則を上書きしていく。
その瞬間。
教室の照明が落ちた。
闇の中。
教授と学生の間に、見えた。
昔の怒りと今の怒りが綺麗に絡み着いた巨大な壁。
怒りが形を持っていた。
僕は呟く。
「これ……授業?」
おやみの声が、
遠くから返ってきた気がした。
『学問ってだいたいそうやで』
その言葉と同時に。
黒板が、音を立ててひび割れた。




