筋肉は、恋に弱い
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
空気が一変した。
鬼塚先輩の背後で膨れ上がっていた筋肉霊たちが、
一斉にざわつき始める。
『鍛エロォォォ!!』
その声が、
一瞬だけ乱れた。
次の瞬間。
部室全体の“筋肉の圧”が、
こちらへ収束する。
囲まれた。
完全に。
逃げ場はない。
「終わった……」
僕は本気でそう思った。
友人の健太は、
なぜか遠くでスクワットを見ていた。
いや見ろよこっちを。
「お前ほんと運悪いな〜」
軽い。
軽すぎる。
こいつには見えていない。
鬼塚先輩の背後で、うごめく巨大な筋肉霊も。
床を埋める“鍛えろ”の圧も。
ただの熱血サークルにしか、見えてないんだ。
筋肉霊が、腕を伸ばす。
圧が物理になる瞬間。
その時だった。
「……正人くん?」
声。
振り返る。
玲奈が立っていた。
「え?」
ここに来る理由がない。
「なんでここに」
「たまたま」
絶対違う。
玲奈は少し頬を膨らませた。
「最近ずっと気になってて……」
「それ気になりすぎじゃない?」
「つい後つけちゃった」
ストーカー適性を軽く言うな。
「で……浮気してない?」
「何と」
「筋肉と」
「概念が広すぎる」
玲奈はふっと笑った。
その瞬間。
空気が変わった。
筋肉霊たちが、一斉に動きを止める。
鬼塚先輩ですら、一瞬だけ硬直した。
「……え?」
低いざわめき。
さっきまでの暴力的な圧が、霧みたいに薄れていく。
筋肉霊たちが、玲奈を見た。
じっと。
凝視。
そして。
『……良イ』
誰かが呟いた。
部員の誰かがうっとりしたように肩を落とす。
『鍛エル価値……アリ』
「は?」
玲奈は首を傾げる。
「え、なにこれ」
鬼塚先輩が、ゆっくりと姿勢を正した。
「……貴女は」
声が急に落ち着いている。
さっきまでの狂気が嘘みたいだった。
「美しい」
「え?」
筋肉霊たちが、一斉にざわめく。
『理想体型』
『理想存在』
『モチベ上昇』
僕は理解した。
最悪の構造を。
こいつら。
“モテたい”が根源だ。
筋肉とは、異性に認められたい衝動の具現化。
つまり。
玲奈は。
最上位の“刺激”だった。
鬼塚先輩が、深く頭を下げる。
「あなたのために……鍛えたい」
「え?」
玲奈は完全に困惑していた。
その周囲で、筋肉霊たちが急に整列し始める。
腕立て。
ポージング。
謎の集団パフォーマンス。
さっきまでの暴走はどこへ。
ただの“アピール大会”になっていた。
『見テ……』
『筋肉……』
『筋肉……』
完全に方向性が変わった。
おやみが呟く。
「うわぁ……」
「なにこれ」
「恋愛系筋肉霊や」
祖父の石が静かに光る。
『……単純だな』
「それ褒めてる?」
鬼塚先輩が玲奈に向かって言う。
「君のために……俺はさらに鍛える!」
「え、いや別に……」
「応援してほしい!!」
筋肉霊たちが一斉にポーズ。
『応援……』
『応援……』
玲奈は僕を見た。
「正人くん……これ何?」
「俺が知りたい」
その時。
筋肉霊の一体が、ふと僕を見た。
『……オマエ』
空気が一瞬冷える。
また来るのか。
そう思った瞬間。
『地味』
「ひどい!!」
全力で傷ついた。
玲奈が小さく笑う。
「ふふ」
その笑顔に反応して、筋肉霊たちが再び騒ぐ。
『笑顔……尊イ』
『筋肉が震える……』
完全に制御不能な方向へ進んでいた。
おやみがぽつりと言う。
「この世界、だいたい恋で崩壊するな」
祖父が締める。
『正人』
「はい」
『帰れ』
「はい」
筋肉霊は今、完全に“恋に夢中なトレーニング集団”へ進化していた。
怖いのに。
なぜか少しだけ。
平和だった。




