7話
七
玻璃のテーブルを挟んで向かい合った長椅子が二つ。
嶌と呼ばれた男は、紺のスーツに身を包んでいた。体の線を拾わないゆったりとした仕立てのスーツだと言うのに、彼の線の細さをより際立たせるようだった。
組まれた長い足。艶のある革靴の先に、暖かな光が鈍く珠を落とした。
怪しげだが、美しい人だった。まるでこの世のものとは思えない、人形のように浮世離れした人とも言えるだろう。ツンと上を向いた鼻先は、柔らかく美しい顔立ちはどこか女性らしさを思わせ、睫毛は長く美しく並んでいる。
物腰は至って柔らかだ。悠玄の方がずっと怖い顔で迫力があるのに、彼の長いまつげに縁取られてこちらを真っ直ぐに見る紫の瞳は、心の奥底まで見透かされてしまいそうな恐ろしさがあった。
「また会えて嬉しいよ、朱莉ちゃん。改めて僕は嶌理人」
「先日は、助けて頂きありがとうございました」
「いいえ。――どうして僕に会いに来てくれたの?」
いきなり確信をつく質問に、思わず息を呑む。彼の腹の底が見えない。彼が一体何を考えているのか、その目的はなんなのか。得体の知れないものは僅かに恐怖を纏う。そして今の朱莉は、それに近いものを僅かながら、悠玄にも抱いてしまっているのだ。
「招待状をくださったのはあなたですか?」
「うん、そうだね」
「……悠玄が、嘘をついているって、あれはどういう意味でしょうか」
「まぁ朱莉ちゃんが僕に会いに来てくれる理由なんてそれしかないよね」
運ばれてきた酒は、さっきのワインとは違って琥珀色で、甘い果実の香りがした。口当たりは優しく飲みやすい。まるで彼は、先ほどのワインを飲めなかったことを悟っているようだった。
嶌理人と名乗った男は給仕を下げると、朱莉に封筒を一枚渡して開けてみろと顎でしゃくる。
恐る恐る取り出した中から出てきたのは、調査書のようなものだった。本題として振られていたのは、「片桐悠玄について」。
「順を追って話そう。まず初めて会った時、君には厄介な術がかかってた」
「……え?」
あまりに突拍子のない切り出しに、間抜けな声が出た。術? と自らの体を見やるが、どこも異常はない。
「誰がかけたんだろうね。残念だけど、ここ最近かけられたものでは無いよ」
「なに、それ」
「嘘じゃ無い。解いてあげようと思ったけど一度では無理だった。これなら君にも見えるんじゃない?」
そう言うと、彼はまた朱莉の額に手をかざす。覚えがあった。前に着けられているところを助けてもらった時にも、彼は同じ動きをしたからだ。
術を解くやり方は、兄や母が使っているのを見たことがある。鬼代へ宛てられた手紙や小包などは、そうして封がされているものも多いのだ。
彼は見慣れたやり方で術を解く。しかし、パチンとまた体に軽い痛みが走る。
(なに……これ……!)
皮膚が粟立つ。身体中に何かの紋様が浮き上がったのがほんの一瞬だけ、朱莉の目にも見えた。それが鬼代の扱える術である事は、力を持たない朱莉にもわかった。
あまりの恐怖に寒気がした。自分の体は一体どうなっているのだろうか。彼の言う通り術は解けないようで、ほらねといった具合に眉を持ち上げた。
「これは、なんの術なんですか?」
「わからない。だから、たくさんの事実から予想してみようか」
酒の入ったグラスを傾けるだけで絵になる人だった。
手渡された封筒の中から出てきたのは、悠玄の出生から軍に入るに至るまでの情報だった。紙を握る手が僅かに震えている。これは民間の探偵などが調べ上げたものではなく、軍の登録情報である。
まるで人の秘密を盗み見ている気分になったが、後ろめたさよりも疑問や不安を払拭したい方が勝った。
「片桐悠玄、――本名は鷹見悠玄」
「鷹見……?」
「二星くらい君も知ってるだろ。彼はそこの時期当主だよ」
思わず目を見開く。二星、鷹見。それくらいなら世間にも鬼代の界隈にも疎い朱莉にも聞き覚えがある。
鬼代は帝に忠誠を誓って、代々鬼門の管理をしている。その中でも、西と東に一つずつある大鬼門の管理を一任された、鬼代の一族の名前が鷹見である。
鬼代の中でも名前を呼ぶのも恐れ多いと、東方天と呼ばれることもあった。西の来宮を西方天と呼び、両家合わせて二星とされている。
二星ともなれば出会いを求めるサロンになど来ないから、会うこともないはずの雲の上の人である。
悠玄が鷹見の一族の人間なのだとしたら、なぜ勘当などされたのだろうか。そして、何故我が家に居るのだろう。
悠玄などと言う名前が、軍に二人もいるとはとても思えない。何故、片桐と別の名前を名乗っているのだろうか。彼はしがない家の出だと言っていた。なぜ嘘をついたのだろうか。
眩暈がする。冷や汗が一筋背中を伝った。
本当は朱莉はここに、悠玄のついた嘘など存在しないという答えを此処に探しに来ていた。
自分にくれた言葉も全て嘘ではないのだと、そう思いたかったのだ。しかし、朱莉に与えられる全てそんな淡い期待すら打ち砕いていく。
「彼には君も知っての通り婚約者がいる。だけど、彼女はこのまま行くと死ぬ運命にある。蓮華が現れないからだ」
「れん、げ?」
聞きなれない単語をそのまま返すと、彼はまた封筒を指差した。
「鬼代の力をその体内に溜め込んで増幅させ、それを出力する特殊な能力を持った鬼代のことだよ。遺伝性のものではなく、一定確率で生まれるみたいだね」
「……そんな人が、いるのですね」
「君は何も知らないんだね」
「……すみません」
朱莉は、自分が鬼代の世界について疎い自覚はあった。
朱莉はそもそも力を持っていない。知れば知るほど、遠い世界のことだと解らされるのが辛かったのもあるし、海藤は昔から、鬼代の勢力争いや派閥には積極的に参加しない。
父や兄、先代らに野心がないと言えばそれまでだが、そのおかげで抗争に巻き込まれずここまで続いている。特別大きくも度を超えたほど裕福でもないが、長く続くからこそ名家になったのである。
知る必要がないと言われればそうだし、知る機会がなかったと言われればそうだ。
嶌は責めているわけではないと柔らかな笑みを浮かべた。
「東方天に与えられた責務は東の大鬼門の管理と、封印に綻びが出た際の再封印。本来であればその蓮華の力を借りて鬼門を閉じるんだ。東の大鬼門はだいぶ封印が緩んでいてね。当代で閉め直すことになっているんだけど、今の所肝心の蓮華はいない」
「そう、なのですか」
心がざわつく。封印の緩み。兄の言った「妖ものが増えている」という言葉とも一致する。
「そして彼の婚約者はこの蓮華と極めて近い能力を持ってる。だが、力を出力する過程で寿命を喰うそうだ。鬼門なんか閉じたら間違いなく死ぬだろうね」
朱莉が開いた封筒には悠玄の資料の他に、蓮華と呼ばれる存在の発生と最期が記された資料が続く。何処で手に入れたのかわからないけれど、軍の鬼代局の捺印があった。確かに今世に蓮華の出現は確認されず、とそう書いてある。つまり、嶌の話が本当ならば、悠玄のこのまま許嫁は死ぬと言うことだ。
あんまりな事実に朱莉は言葉を失ってしまった。残酷な運命だ。それだというのに朱莉は事情も知らず、許嫁である彼女の立場を何度羨んだだろう。自分の浅はかさを悔いた。
しかし疑問は残る。何故悠玄は名前を偽って我が家にいるのか。この悠玄と許嫁の話を何故朱莉にしたのか。
チラリと嶌を見やると、まだ話は終わっていないように見えた。
「……あの、」
「鷹見悠玄は、この婚約者を失いたくない。そりゃそうだよね」
「そう、ですね」
「でもね。鬼代局には奇しくも蓮華に関する研究をしている男がいたんだ」
紫の瞳が再び朱莉を射抜くように見た。試すように見えた。そしてその男が一体誰を指すのか、言われなくともわかってしまった。軍で、しかも鬼代局などという狭い世界で、研究職に就いている人間など数が限られている。
閑職さと笑う声が蘇る。嗚呼、そうだ。だって、悠玄を自分の部下だと言って連れてきたのは間違いなく父だったのだから。東方天ともあろう御方が、いくら階級がものをいう軍言えど、父の部下であるはずがないのだ。




