第36話 クロノスの胎動
カシアはデスクの端末から、壁に埋め込まれた巨大スクリーンの画面を切り替えた。
「まずはこれを見て。」
レオンは思わず身を乗り出した。
画面に映るのは、ハッキングと敵AIとの戦闘に特化したクロノスというAIの「心臓部」の設計図。
セキュリティシステムの高速ハッキング、未知の弱点を瞬時に発見する機能、リアルタイム適応学習の構造、敵AIの攻撃を無効化する霧状形態……すべてが緻密に描かれている。
レオンは息を呑んだ。
「こんなものを……いったい誰が?」
カシアは静かに答えた。
「私よ。」
レオンは画面から目をそらし、彼女を見た。
「あなたが……一人で?」
「そう。私は設計図だけを描いたの。
コンセプトを形に落とし込み、全体の骨組みを固めたわ。
でも、そこまでが限界だった。」
カシアの声は穏やかだったが、微かな疲労がにじんでいた。
「コードの実装と、核となる高速適応の最適化……
これを完成させるには、あなたが必要よ、レオン。
あなたが天才だからこそ、この設計図を現実のコードに変えられるの。」
レオンは黙って画面をスクロールした。
指が自然に動き、設計の弱点が次々と目に入る。
「……危険すぎるだろ、これ。」
レオンは呟いた。
「危険だからこそ、必要なの。」
カシアはクロノス開発の目的を明かした。
「国家システムへのハッキング!?……本気なのか?」
「本気よ。世界は、表のルールでは変わらない。
慈善も、抗議も、すべて無力だった。
だから、私は真実を暴く力を、手に入れる。
あなたが、私の設計図を完成させて。」
レオンはカシアの瞳を見つめ返した。
そこにあったのは、冷たさだけではなかった。
深い決意と、自分の限界を認めた静かな覚悟。
「俺が断ったら、どうなるんだ?」
カシアは微かに首を振った。
「断る権利はあるわ。
好きなだけ逃げればいい。
才能を腐らせたまま……」
沈黙が落ちた。
レオンは深く息を吐き、再び画面に視線を落とした。
「……面白い。いいぜ、カシアさん。俺の力、あんたに貸してやる。」
カシアの唇に、初めて小さな本物の微笑みが浮かんだ。
「ありがとう、レオン。」
画面の設計図が、再び動き始めた。
クロノスの胎動が、静かに、しかし確実に始まっていた。




