仲違い・5
* * *
「壱真」
正孝が厠に向かった隙を狙って、佐之助は呼び止めた。
素直に立ち止まった壱真は、どうしたのだと親しげに聞き返してくる。
人を見る目にそこそこ自信のある佐之助は、ノリや勢いだけで行き先を決めてしまいそうな壱真が、本当には何を考えているのか読めない矛盾に困惑していた。
単純に、佐之助の力量不足かもしれなかったが、それはそれとして、今は壱真に言っておくべきことがあった。
「なんだよ。昨日の話が聞きたいなら、あかりに聞けよ。俺からは何も言わないからな」
そこに関しては、今朝、とっくに直接探りを入れていた。
何も教えてもらえなかったけれど。
状況を見れば、壱真にあかりを独占されているようで面白くない。
しかし、今回の用件は、それでもなかった。
「正孝を一人にしないでやってくれ」
「はあ? なんだよ、それ」
壱真は激変して険しい顔で凄んだ。
少なくとも、佐之助には、そう感じられた。
余計なお世話だとか意味がわからないとか言い返されて、うやむやに流されるかもしれないとは考えていたが、これほど過剰な反応をされるとは思ってもみなかったので、たじろいでしまう。
「あかりのことだって、なんにもわかってないくせに、俺達のことに口出ししてくんな!」
感情に任せて怒鳴った壱真は、その勢いのまま立ち去っていった。
心配したつもりの佐之助だったので、壱真の理不尽な態度に反発を覚えてもよかったはずだが、なんだか余計に気がかりとなってしまった。
軽い足音に目を向ければ、壱真の後をあかりが追っていくところだった。
佐之助も続こうと踵を浮かせかけたのだが、つま先が地面を離れるまでいかないで止まる。
壱真は、あかりのことをわかってないと言った。
では、昨日、今日知り合ったばかりの壱真が、佐之助の知らない何を知っているというのだろう。
「そうか、聞かされたんだ」
不意に真相が浮かび上がった。
だから、壱真は、らしくもなく過敏になったのだ。
何かを提案してみせたのは、壱真ではなくあかりの方だったに違いない。
* * *
「ねえ、壱真。壱真ってば! まー君を置いてくつもり!?」
壱真は、ぎくりと足を止めた。
ひやっとしたものが体を通りすぎるのを意識しながら振り返ると、慌てた様子のあかりが駆け寄ってきていた。
「よかった、追いついて。どうせ、佐之助が余計なことでも言ったのでしょう」
さっきのやり取りを見られていたのかと思ったら、無性に恥ずかしかった。
自分でも、変なスイッチが入った自覚は充分にある。
「何を言ったのかは聞こえなかったけど、壱真は少しも気にしないでいいわよ。あの口の悪さで、本人にまったく悪気がないのだから迷惑な話でしょう。当たり前に嫌味な物言いしかできない体質なの。だから、まともに受け止めるだけ馬鹿を見るというものよ」
急速に冷えた頭で慰めを聞いていれば、佐之助を貶めるあかりの発言は、庇い立てしているようにしか響いてこなかった。
それは、べたべたと誉め合っている関係より、ずっと好ましかった。
それはたぶん、壱真と正孝の関係に似ているはずだから。
「戻りましょう。壱真がいなかったら、まー君、置いていかれたと思って怒るわよ」
一瞬、壱真は胸を突かれた。
あかりにとっては他愛ない軽口なのだろうけど、壱真には重々しい意味合いを持って染み広がっていく。
目をつぶると、右手で自分を抱きしめるようにして背後の刀に触れた。
昨日、壱真はあかりに残酷な脅しをかけられた。
だけど、憎らしくも共感できる部分があって、出会ったばかりなのに同情している自分がいた。
きっと、あかりの見ている景色が、壱真の見ているものと似ているからだ。
わけのわかわらない枷を、自意識も芽生えていない頃から背負わされた同士であり、共に巻き込みたくない無二の存在が隣にいる同志。
違うのは、否応なく能力に翻弄されて破滅に追い込まれるしかないあかりに対して、つい昨日まで覚悟もなしに渦中に飛び込んでいる認識すらしていなかった壱真の愚かさだ。
しかも、犠牲となるのは流星剣を持つ自分ではなく正孝なのだとようやく理解して動揺しているところなのだ。
そういう意味では、佐之助の犠牲を回避しようとばかり考えているあかりとは、大きくかけ離れているのかもしれない。
「なあ、あかり。俺は最後まで付き合うからな」
あかりの方でも壱真とは共通する何かを感じ取っていたので、皆まで言われなくても真意が自然と読み取れた。
意地っ張りで天の邪鬼なあかりが、天真爛漫な壱真に、それを見い出すのはとても不思議なことなのだけど。
「まー君を一人で帰すのね」
確認すると痛ましく寂しげで、それでいて、どこかしら誇らしい儚い笑みを壱真は返事としていた。
* * *
それぞれの気持ちを各々で抱えたまま、一行はあかり達がお忍びの通路として利用している民家で休息を取っていた。
まだ夕飯には明るいながらも、散策の途中で佐之助が仕出しを頼んでいたからだ。
「今日は楽しかったな」
そんな感想をつぶやいた壱真は座布団に足を伸ばして座り、うつらうつらと不規則で危なっかしい動きをしている。
「壱君、眠いんじゃないの?」
「んあ? ちょっとなぁ」
正孝に返事をしながらも、意識は確実に遠のいている感じだ。
「まだ、すぐには届かないだろうから、寝ちゃっていいわよ。まー君も疲れたでしょう」
「あかりちゃんは、どうするの?」
「私も部屋で休んでくるから、ゆっくりしてて」
「佐之助は、こっちにいてくれるでしょう?」
「一度、城に戻ってからでもいいですか。様子を見てきたいので、ついでに荷物を置いてきます」
「わかった。じゃあ、先に上掛けだけ二人に用意してあげて」
そんなことを確認し合っている間にも、壱真は背中から倒れて無防備な寝顔を晒していたので、三人は見合って笑ってしまった。
それは、いかにも幸福な時間の象徴だったから。
* * *
「壱真。私よ、あかり。話って何?」
着替えていた羽織の袖から転がり落ちた手紙に従って、あかりは地下へとやってきた。
日が落ち始めたので薄暗くなってきた時分ながら、窓のないここは、中に入れば自動で照明が点灯する。
「いっしーん」
ぱっと見る分には誰もいない。
いるとすれば、横長の室内に死角として設計された空間だろう。
そこには、駿府城の内部に通じる扉があった。
先に進むには厳重な最新鋭のロックを解除する必要があって、誰にどうこうできるものではないから心配はしていない。
呼び出した相手は、ちょっとしたかくれんぼのつもりなのだろうか。
それとも、内緒の話だから警戒してるのだろうか。
何より、壱真に知られないよう用心しているのかもしれない。
あかりは、なるべく柔らかく聞こえるよう心がけて声をかけた。
「安心して、私一人よ。話ってなあに、まー君」
名前を呼ばれて、正孝はぎよっとした。
死角に潜んでいるから、向こうには見えてないはずで、こちらからだってあかりの姿は見えてない。
こっそり忍ばせた呼び出しの手紙には壱真の名前を使ったし、念のため、ぶきっちょな壱真の文字を完コピの自信で真似ておいた。
それなのに、あかりは最初から正孝が呼び出したと知っているように呼びかけてきたのだ。
想定外の展開に正孝は頭が真っ白になった。
その途端、自分には無理だと悟ってしまった。
パニックで緊張の糸が切れたのを引き金に、いかに大それたことを平気でやれると思い込んでいたのか、勘違いも甚だしい最低な道を走ろうと息巻いていたかを一気に自覚してうろたえた。
「どうしよう……」
こっそり拝借してきた剥き身の刀が重さを増して、無責任に放り投げてしまいたかった。
だけど、手を離すより先にあかりが姿を見せた。
「まー君……」
自分に向けられた日本刀と小刻みに震えている正孝を目の当たりにしたあかりは、呆然と見つめるしかなかった。
しかし、それも束の間の衝撃で、すぐに安心させる穏やかな笑みを浮かべた。
おかげで、正孝の方こそ金縛りで動けなくなってしまった。
この状況で、どうしてあかりが笑えたのかはわからない。
ただ、何か一言、二言つぶやいたような気がしたのと同時に、正孝は何を思う間もなく壁に追いつめられていた。