仲違い・3
* * *
今のはなんだ?
佐之助にとって、今日は信じられないことのオンパレードだった。
いつものわがままで、ほんのちょっと使いに出ていただけなのに、何よりも大切にしてきたあかりがどこの馬の骨とも知れない野郎に頬を染められるだなんて、悪夢にしても最低すぎた。
普段の嫌味な口調とは裏腹に、自身ではしがない従者を強く意識している佐之助は、ただひたすらに恩返しができればいいと謙虚に構えているつもりだった。
が、今回ばかりは何もかも許せない憎らしさが膨らんで、身体中が獰猛で残忍な黒さに占領されていく。
思わず握りしめたこぶしは、爪が鈍く食い込む感触がした。
「……」
同じく取り残された正孝は、同様に信じられない気持ちを抱きながらも、佐之助よりはだいぶ思考に余裕があった。
なので、残された半分の白うさぎを一途に見つめている佐之助を前に、壱真はもっと考えてから行動するべきだと思っていた。
正孝だって、突然現れたあかりには戸惑っていた。
間に割り込まれた嫉妬心があったし、それを簡単に許しただけでなく、面白くない正孝の気持ちを少しも汲んでくれない壱真に対してもムカついていた。
だけど、あかりは可愛い女の子で、男子として好意を持った正孝には、それだけじゃない心象も少なからずあったから、佐之助には自分にない複雑な感情がわいていることも容易に察することができていた。
「あの、佐之助さん」
おずおずと話しかければ、無言で険しい眼差しを向けられたものの、長くは続かなかった。
きっと、冷静で頭のいい人なのだろう。
正孝が同じように振り回されている立場なのだと通じる何かがあったのかもしれない。
視線を外した佐之助は、深く息を吐き出した後には、ほとんどの私情を胸の内に秘めてしまっていた。
「少し待っていて。茶菓子の追加を持ってくるから。えっと……」
「和泉 正孝です。呼びづらかったら、まー坊でもまー君でもいいですけど」
自分から提案しておきながらも、おもいっきり不本意な感じがわかりやすく顔に出ていたので、佐之助はほんのり和んだ。
「それくらい呼べるよ、正孝君。私はあかり様とは違うから」
少し寂しそうに笑うと、佐之助は奥に引っ込んでいった。
そんな背中を見送るしかない正孝は、ぼんやりとあかりのことを思った。
あかりが口うるさいと言っていたのは佐之助のことだろう。
親しいからこその口うるささは、たぶん、壱真と正孝みたいに特別な間柄だから。
それを見抜けない壱真でもないのに、堂々と引き裂くような誘いをかけるだなんて、よほどの大物か相当な鈍ちんのどちらかだ。
長い付き合いの正孝としては、高確率でどちらでもあるような気がした。
「お待たせ」
間もなく戻ってきた佐之助は、正孝がよく知る有名メーカーのパッケージ菓子をいくつも抱え、炭酸のペットボトルを下げていた。
「あるんだよ、お江戸にも。ただ、観光客には見せないことになってるだけで。ガイダンスで聞かされただろう。他人のものを取らない、切らない、踏みにじらないって」
正孝は目をぱちぱちさせながら、ガイドのサチ子を思い出した。
「お江戸の三原則?」
「この場合、踏みにじらないに当たるんだ。お客様が期待しているお江戸の情緒を踏みにじってはいけない、ってね」
そういうことかと理解すれば、あのシンプルな決まりは裁く側の解釈でいくらでも融通が利きそうだった。
「怖いところだよ、ここは」
そう言って、佐之助はお菓子に埋もれていた切り子細工のグラスに炭酸ジュースを注いでくれる。
「何事もなく帰れるなら、楽しいだけの観光地だけどね。さ、遠慮しないで食べて。これ、あかり様秘蔵のお菓子だから」
目を細めて笑う佐之助に戸惑っていると、迷惑料だと思って付き合ってほしいと頼まれた。
それで正孝は、妙に親近感を持ってしまった。
山盛りのお菓子を前に正孝がどれから手をつけようかと迷っていると、佐之助は次々と箱を開けては、口の中に放り込んでいく。
いかにもやけ食いといった雰囲気で、正孝は壱真に任された話を切り出す隙をチョコレート片手に窺っていた。
「あかり様と私は、生れたばかりの時から縁があるんだ」
ぽつりと語りだした佐之助は、本当はお菓子ではなく気持ちの捌け口として付き合ってもらいたかったのだろうという気配がする。
「わがままで意地っ張りだから、一緒にいるのは毎日大変で……」
佐之助は笑おうとして失敗した。
思い返すのは、きつく見える目元に引き結んだ唇、イライラを押し殺している我慢強さや嬉しいくせにそうじゃない素振りをしてしまう天の邪鬼なくせ。
そんな、見慣れたあかりらしさが儚く浮かんでは消えていく。
「素直じゃなくても豊かな感情を見逃したつもりはないんだけど、本当のところは何も理解していなかったのかもしれない」
佐之助は愛おしげに、そして、哀しげに悔やんでいた。
「正孝はどうなんだ。あいつのことをどれだけ知ってる? あいつは、壱真は何を考えてあかり様を連れて行ったんだ」
正孝は今だと思った。
「実は、僕達、ある依頼をされてお江戸に来てるんです。あかりちゃんは今頃、壱君から、その話をされているはずです」
「あかり、ちゃん……」
佐之助にとって、打ち明けられた内容よりも先に呼び名の方が気にかかった。
「あ、そっか。すみません、馴れ馴れしいですよね」
「いや、気にしないでくれ。きっと、その方があかり様も喜ぶから」
あかりが望んでいるのは、ありふれた女の子として当たり前に暮らすことだと知っている佐之助なので、個人的に思うところはあれど、咎める気にはなれなかった。
同時に、自分にはない壱真の気さくな性質が好ましかったのだろうかと思いついて胸が痛んだ。
「話を止めて申し訳なかった。続けてほしい」
促された正孝は、壱真が流星剣の持ち主として暗殺を依頼されたことに始まり、依頼に反してあかりを救おうと決意して来たことまでを伝えた。
「でも、僕達はお江戸に詳しくないので協力してほしいんです。ここさえ出られたら、いくらでも助けの手があります」
話を聞いた数秒は僥倖としと息を飲んだ佐之助だったが、すぐに浮かない表情で目を閉じた。
「おそらく、あかり様は賛同しない」
「どうして? 佐之助さんも一緒なら、あかりちゃんだってきっと……」
「きっと、行かない。行けないんだ」
それきり、佐之助は目を開いても顔を伏せたまま黙ってしまった。
正孝はいくつもの疑問が浮かんでくるのに何も聞ける気がしなくて、ただひたすらに壱真が戻ってくるのを待っているしかできなかった。
重苦しい時間がどれくらい経過したのだろう。
やがてオーディオルームの扉が開かれると、壱真だけが姿を見せた。
あかりの姿は続いてこなかったので佐之助が荒々しく立ち上がれば、壱真は不思議な眼差しを返していた。
「壱君、何かあったの?」
不穏な空気を察した気遣い屋の正孝が、誰よりも先に声をかけた。
「あかりは疲れたから部屋で休むって。俺達は、宿まで佐之助に送ってもらったらいいってさ」
言われても、佐之助は了承しなかった。
そんな様子を見て取った壱真は、佐之助に四つ折りになったメモを手渡した。
「佐之助は素直に信じないだろうからって、あかりから預かってきた」
開いてみれば、よく知る筆跡で壱真が言っていた内容が書き込まれていた。
ボールペンで書かれたそれは、筆文字とは違う丸みを帯びた可愛らしさがある。
そっと文字をなでて不安を埋めた佐之助は、丁重に非礼を詫びると、指示通りに宿まで送っていった。
佐之助の胸中を明かせば、顔も見せない指示なんかに従いたくはなかった。
けれど、今日は放っておいてほしいと書かれていれば拒絶される覚悟で会いに行く勇気は持てなくて、それでも明日にはいつも通りに迎えに来るよう追伸されていたので、それくらいの間なら揺れる感情もなんとかやり過ごせると思うのだった。




