仲違い・2
「心配すんなって。俺達、言いふらすつもりなんて全然ないから。元々、お江戸に来たのだって、正義の味方になるためだしな。ところで、正体隠しておきたいのって、やっぱ、狙われてるからなのか?」
小ぶりの湯飲みを手に平坦な調子で問いかけてくる壱真に、あかりも佐之助も改めて、この場に第三者がいるのだと意識した。
「あ、それと名前。雲母って偽名だったんだな」
少しも咎める響きがなかったので、あかりは大人しく座り直してみた。
「ううん、あれも本当の名前よ。私、雲母 あかりって言うの。観光局の明姫っていうのはそこから。その方が、お江戸のお姫様に相応しいでしょ」
「ふーん。でも、俺はあかりの方がいいと思うな」
「……」
壱真と話していると、あかりは不思議な気持ちになった。
これが佐之助だったら、遠回しに小難しい表現を使うばかりで、まともに褒めるなんてありない。
「素性を隠しているのは壱真が言う通り、危険があるからよ。だからって、完全に隠しておけるものでもないから、ある程度こちらから情報を発信することによって主導権を握っておこうって作戦なの。実際、写真集を出すまでは城に無断侵入しようとする不埒な輩が後を絶たなかったんだから、世の中どうかしてるわよね」
答えながら、あかりは真実を打ち明けることが思いの外、心を軽くしてくれるものだと実感していた。
「じゃあ、傾城ってのは伊達じゃないんだ」
「ええ。お江戸どころか、日本すら傾けかねないんだもの」
「マジか!? あかりって、やっぱ、すげえのな」
壱真のあけすけな感想に、あかりは苦笑してしまった。
「全然。私自身は少しもすごくないの。だって、幸運だろうと災いだろうと、どれも私が意図して引き起こすわけではないんだから」
壱真の性格につられてなのか、あかりは自分でも驚くくらい饒舌にしゃべっていられた。
いつか誰かに正体を告白する想像をしていた時には、冷静でいられるだろうかと不安だったのに、実際にはこんなにも気楽で心地いい。
「あかり様は……」
ぽつりと降ってきた言葉に顔を上げれば、未だに突っ立っている佐之助が呆然とした様子で見下ろしていた。
「なあに、佐之助」
あかりは気分よく問い返した。
「どうしてですか」
「何が?」
今なら、佐之助相手でも素直になれそうなあかりだが、向き合う佐之助は暗く沈んだ瞳で見つめてくる。
「どうしたの、佐之助」
「……いえ、なんでもありません」
結局、それで終わらせた佐之助は静かに席についた。
「あのー」
代わって発言したのは、壱真の隣で居心地が悪そうにちょこんと座っている正孝だった。
「なあに、まー君」
「どうして、壱君だったのかなって思って」
ここには正孝もいるのに、あかりは間違いなく壱真の名前を呼んで真実を明かした。
のけ者扱いされた拗ねた気持ちがないわけでもなかったけど、慣れているので大して気にすることではなかった。
ただ、あかりは本当に最初から壱真にピンポイントで狙いをつけているようだったので、単純に、その理由が知りたかったのだ。
「え?」
鋭い指摘に、あかりは流されていた自分にはっとした。
嘘も秘め事もなしでいるのは心地いい。
だけど、現在、あかりにはどうしても成し遂げたい望みがあって、願うばかりでは叶わないと悟って一大決心したのではなかったか。
「どうしてなんですか?」
再び問われて、あかりは焦った。
まだ誰にも真の思惑を知られるわけにはいかなかった。
思わず目が泳ぎさまようと、都合よく言い訳できる材料を見つけて一も二もなく飛びついた。
椅子から立ち上がったあかりは、特別によけてあった濃紺に金の飾り縁が優雅な台紙を手に取って振り返る。
「これを見たからよ」
ばばんと開いて前に突き出したのは、子どもらしいやんちゃなポーズで納まっている壱真の見合い写真だった。
「私、ひとめぼれしちゃったの。だからよ」
ありえない!
佐之助と正孝は、とっさに胸中で否定した。
どちらも、あんな馬鹿みたいなポーズに好感を持つ女の子がいるわけがないと、あかりの大嘘を当たり前に見抜いていた。
しかし、当の壱真は「わかってるじゃん」と得意気に喜ぶばかりで、あかりだって佐之助の嫌みな文句が飛んでこないので納得してくれたものと信じきり、我ながらナイスな機転だったと自賛していた。
「だったらさ、俺達、少し二人きりで話さないか」
この状況とタイミングで、易々と微妙な提案をしてみせたのが壱真だった。
「勢いで突っ走って、後でイメージと違ったとか嫌だろ。だから、あかりとゆっくり話したいんだけど、駄目かな?」
あかりにとって、ひとめぼれ発言は非常事態の回避行動でしかなく、それ以上でも以下でもなかった。
壱真は明るくて健やかで悪い人だとは思わないが、作戦では嫌われようとしていたわけで、だからこそ背中をどついたり馴れ馴れしく触ったりしてきたのだ。
なのに、壱真は、あれよあれよと自然体で距離をつめてくるので、当初の作戦はやることなすこと半端だったり、不発で終わってしまった。
今だって、老若男女を問わず求婚されてきたあかりだというのに、生まれて初めて愛をささやかれたようで、 信じられないくらい顔が熱くて大変なことになっている。
「え、ええ。そうね。私も、ぜひそうしたいわ。私の勉強部屋とかで、どうかしら。隣にある部屋なのだけど」
「いいよ。じゃあ、そこで」
立ち上がった壱真は、ちらりと正孝に目配せしながらあかりの手を取り、スマートにエスコートしながらオーディオルームを出ていってしまった。




