8★
少し遅れてしまいました(T_T)
朝露に濡れた森の空気を、香ばしく甘い匂いが一気に塗り替えていた。
焚き火の鉄板の上で、ふっくらと厚みを持って焼き上がった黄金色の生地。エンマは慣れた手つきでそれを人数分の木皿に滑り込ませると、胸元を指先で軽く弾いた。
【調味料】
指先から滴るように現れたのは、乳白色の濃厚な発酵バターの塊と、朝陽を浴びて透き通る琥珀色のハチミツだ。熱々のパンケーキの上でバターがじわりと溶け崩れ、ハチミツの艶やかな雫と混ざり合って、たまらない湯気を立ちのぼらせる。
「はいよ、朝飯だ」
皿を配ると、最初に反応したのは肩の上からツルリと滑り降りた黒銀の不定形だった。
『炭水化物、脂質、単糖類の理想的結合体を認識……摂取プロセスを実行』
ディーの体の一部がアームのように伸び、パンケーキの小片を包み込む。じゅわりと内部で消化された瞬間、黒銀の表面が細かく波打った。
『……美味。死体よりも美味しいですね』
「言い方!!」
間髪入れずにツッコミを入れた。
ナノマシンにとって有機物の分解・吸収はすべて等価なのかもしれないが、朝の清々しい空気の中で「死体より美味い」はあまりに物騒すぎる。
「マリはこれ大好き! 毎日食べたいニャ!!」
マリは両手でフォークを握りしめ、口の周りをハチミツまみれにしながら頬張っている。尻尾が千切れんばかりの勢いで左右にブンブンと振られていた。
一方、ナイフとフォークを行儀よく構えたラヴァーは、一口運んだ瞬間に完全に固まっていた。紫紺の瞳が信じられないものを見るように見開かれている。
「な、なんだこれは……。粉のきめ細かさもそうだが、この油脂の滑らかさと香気……王侯貴族の晩餐会でも、こんな洗練された甘味は食したことがないぞ!」
「ただのホットケーキだっつーの。大げさなんだよ」
エンマが苦笑いしながら自分の分を口に放り込む。ふと馬車の方へ視線をやると、パンケーキをまるごと二枚ペロリと平らげたパティーがいた。
モグモグと噛み締めるたびに、肩から背中にかけての筋肉がバキバキと音を立ててパンプアップしている。元のスマートな馬の面影はどこへやら、競走馬どころか格闘家のような重厚な威容だ。
「……あいつ、炭水化物食っただけでバルクアップしてねえか?」
『魔力回路の最適化による筋繊維の超回復現象と推測。問題ありません』
「問題大ありだろ、見た目がどんどん凶悪になってんぞ」
やれやれと皿を片付け、エンマは街道の先を見据えた。
「さて。腹も膨れたし、そろそろ街へ繰り出すか」
その言葉に、ラヴァーが口元を拭いながら真剣な面持ちで尋ねてきた。
「エンマ様、街に入ったら……あの盗賊退治の件、衛兵に報告するつもりか?」
「あ? いや、わざわざ言う必要あるか? 金の類は巻き上げたし、死体なんざ放っときゃ野生動物の餌だろ。関わり合いになって足止め食らうのも面倒だ」
首を振るエンマに、ラヴァーは「それは悪手だ」と静かに首を横に振った。
「報告は絶対にした方がいい。放置すれば、近隣の村や商人が『まだ盗賊団が潜んでいる』と怯え、冒険者ギルドや領兵が無駄な討伐部隊を動かす羽目になる。何より……手配犯を間引いた実績を正規に報告すれば、報奨金だけでなく街での信用という絶大な特典が得られる」
ラヴァーは周囲を警戒するように声を潜め、言葉を続けた。
「特に、身分を証明する後ろ盾やギルドの登録証がない。身元不明の流れ者は、入市するだけで高額な税を取られ、最悪の場合は不審者として拘束されることもある。だが、街道を脅かしていた盗賊を返り討ちにしたとなれば話は別だ。街の治安維持に貢献した『優良な実力者』として扱われる」
「なるほどな……」
「それに、ディーの力……黒銀スライムの亜空間収納のような異能を人前で見せたくないのだろう? ならば、なおさらだ。洋館にあった荷車に奪った財宝を積み、あの副頭目の死体を積んで街へ乗り込むべきだ。」
「堂々とぶちまけて見せびらかせ、ってことか。」
「そうだ。『盗賊に襲われたので返り討ちにし、根城にあった戦利品と首級を荷車ごと引っ張ってきた』と物理的に提示する。そうすれば、余計な魔法や未知の力を疑われる隙もなく、単なる規格外の腕利きとして合法的に処理される。」
元潜入捜査官らしい、現場の司法と手続きの裏をかいた現実的な提案だった。
エンマは顎を撫で、ふっと不敵に口元を歪めた。
「気に入った。コソコソ隠して怪しまれるより、手前ぇの戦果をドカンと叩きつけて『文句あるか』って顔してる方が、性に合ってるからな」
ディーは内心、本当はそんな性格じゃなかったのにと思ったが言葉にしなかった。
★
ラングレン王国の交易都市ドルフは、天を突くような高い城壁に囲まれていた。
反対側の城壁の向こうは海に面しており、大規模な港もあるため、陸路のこちら側とはまた違った活気があるらしい。
「海の幸も期待できるな」
どんな美味い魚や調味料が手に入るだろうかと、エンマは御者台の上で内心ほくそ笑んだ。
ドルフに入るための街道には、荷馬車や旅人が長蛇の列を作っていた。エンマはパティーの手綱を引き、最後尾へと馬車をつける。
すると、隣に座っていたラヴァーが身軽に飛び降りた。
「エンマ様、私は先に人用の検問口へ行って、衛兵に話を通しておきます。」
「おう、達者でな!」
ラヴァーが足早に去っていくのを見送り、エンマは荷台を振り返る。洋館から奪ってきた馬車には、布を被せた副頭目の遺体と、金庫から回収した財宝の木箱が積み込まれていた。人目につくと無駄な混乱を招くため、上から厚手のシートをしっかりと被せて隠してある。
一方、御者台の隣に座るマリは、先ほどエンマにオッドアイを褒められたのが相当嬉しかったらしい。フードで目を隠すのをきっぱりと拒み、背筋を伸ばして堂々と座っていた。左右で色の違う瞳をキラキラと輝かせ、初めて目にする巨大な街並みを物珍しそうに見つめている。
だが、そのせいで周囲からの視線は嫌でも集まった。
荷馬の枠を完全に超えてバキバキにパンプアップした屈強なパティー。
左右の瞳の色が異なる、愛らしくも人目を引く獣人の少女マリ。
そして、この世界では珍しい黒髪と黒い瞳を持ち、底知れぬ落ち着きを漂わせるエンマ。
どう見ても異様な取り合わせに、並んでいる商人や旅人たちは遠巻きに視線を送ってくる。だが、パティーの凶暴な威圧感と、エンマの纏う【剣鬼】由来の冷徹な気配に呑まれているのか、声をかけて絡んでくる命知らずは一人もいなかった。
荷馬車は商人が多いから金儲けの前に無用なトラブルを避けているのだろう。
人用の検問口ならテンプレみたいな展開があったのだろうか?
周囲の探るような視線を浴び続けながら待つこと、体感でおよそ一時間。
ようやく、エンマたちの馬車の番が回ってきた。
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