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エンマたちが去った後、中庭には重苦しい沈黙が残されていた。
無惨に横たわる破損した荷馬車と、弟たちの遺体。クラエスはその場に立ち尽くし、きつく拳を握りしめていた。
「会長、遺体とお荷物の運び出しの準備が整いました」
背後から静かに声をかけてきたのは、商会の裏の仕事や情報収集を一手に担う古株の腹心、ダリウスだった。
「……ああ、頼む。丁重に扱ってくれ。弟と甥を……ようやく家に帰してやれる」
クラエスは深く息を吐き出すと、商人としての鋭く冷徹な光をその瞳に取り戻した。
「ダリウス。今すぐに人を走らせて、先ほどの男 -エンマと名乗った男の足取りを洗え。検問所で何があったのか、門番と徴税官から一切合切聞き出すんだ」
「……よろしいですか? 弟君を連れ帰ってくれた大恩人とお見受けしましたが」
「クラエス個人としては、あの男を信じている。あの澄んだ眼差しと言葉に、嘘や打算は感じられなかった」
クラエスは苦渋に満ちた表情で首を振った。
「だが、私はこの商会を背負う頭台だ。今、我が商会はあの『バルカス商会』から執拗な嫌がらせを受けている。弟たちの悲劇すら、奴らが裏で糸を引いている可能性も否定できん。
……もしやあの男も、奴らが送り込んできた新手の罠ではないかと……そう疑ってしまう己が浅ましくてならんが、確かめねばならんのだ」
「承知いたしました。至急、確認してまいります」
ダリウスが影のように素早く立ち去る。
それから一時間も経たないうちに、ダリウスは中庭で待つクラエスの元へと戻ってきた。その顔には、普段の冷静沈着な彼からは考えられないほどの動揺と驚愕が張り付いていた。
「会長……報告です。あの方について、大門の警備隊長エレンと徴税官に直接接触し、裏を取りました」
「どうだった? 何か不審な繋がりは――」
「とんでもありません。罠だの工作員だの、そんな次元の存在ではありませんでした」
ダリウスは乾いた唇を舐め、震える声で報告を口にした。
「あの方は、街道を荒らし回っていた凶悪な盗賊団『赤熊』のアジトを、単身で壊滅させたそうです。
荷台には手配書の副頭目二名の遺体。さらに、大門の真偽判定の魔道具が……あの方の『正当防衛で返り討ちにしてアジトを壊滅させた』という証言に対し【真偽の魔道具】は、一切の曇りなき【真実】のサインを放ったとのことです。」
「な……っ!? あ、あの『赤熊』を、一人で……!?」
「それだけではありません。警備隊長が素性を尋ねた際、本人が自ら名乗った職業は……【剣鬼】。あの歴戦のエレン隊長が、気圧されて生唾を飲み込んだそうです」
「【剣鬼】……ッ!」
クラエスは息を呑み、目眩を覚えたように壁に手をついた。
【剣鬼】とは【剣聖】【剣豪】と並ぶ剣士の最上職業。
防御スキルは一切ないが攻撃力は近接戦闘職業では最高クラス!
その強力な職業は、副産物として凶暴になるという。
それを持ちながら優しく、ふらりと街道を歩き、弟たちを弔い、ただ「料理がしたい」と言って去っていったのだ。
「……会長。もしあの方が敵の回し者なら、我が商会など一息に皆殺しにできます。それどころか、ドルフの街一つを揺るがしかねない歩く天災です」
「……ああ。そうだな」
クラエスは天を仰ぎ、自らの疑念を恥じるように自嘲の笑みを漏らした。
だが、その胸に去来したのは恐怖ではなく、言葉にできないほどの敬意と温かな感情だった。
あれほどの途方もない力と技を持ちながら、大金も権力も求めず、ただ職人としての筋を通し、弟たちを家族の元へと送り届けてくれた。
そして求めたのは、ただの屋台の出店許可と、自分の腕で肉と魚、野菜を選ぶための市場の通行証だけ。
「ダリウス、方針を変える」
クラエスは決然とした声で命じた。
「あのお方を、商売の都合で利用しようなどとは絶対に考えるな。
そんな不敬な真似をすれば、商売どころか人間として終わりだ。……私は、クラエスとして、そして商会長として、エンマ殿と誠心誠意向き合いたい。打算を捨て、真の友人として……生涯の恩人として、あの御方との絆を深める」
「……かしこまりました。至急、ギルドへの特例申請と市場の最高ランク通行証、そしてドノバンへの親書を最優先で仕上げさせます」
「ああ、頼む。失礼のないよう、最高の気配りで迎えられるように手配してくれ」
夕日に染まる空を見上げながら、クラエスは深く胸に誓った。
あの無骨で誇り高い料理人の男に、二度と恥じるような真似はしない、と。
★
同じ頃、ドルフの歓楽街を見下ろす豪奢な商館の執務室。
豪商バルカスは、深紅のワインで満たされたグラスを揺らしながら、醜悪な笑みを浮かべていた。
麻薬や禁制品の密輸、裏社会との癒着――あらゆる泥をすすり、汚い手を使い倒して今の地位まで這い上がってきたのがバルカスだ。だからこそ、虫酸が走るほど許せない男がいた。
クラエスだ。真っ当な商売と誠実さという「綺麗事」を掲げ、このドルフで一番の商会と持て囃されているあの堅物野郎。
「ふん、綺麗事で商売が成り立ってたまると言うのだ。……首尾はどうだ?」
暗がりに控える配下の男に背を向けたまま、バルカスが低く問う。
「はっ。バルカス様の手引き通り、街道の野盗『赤熊』にクラエス商会の荷馬車を襲撃させました。……あの馬車には、ドルフ領主様から直々に請け負っていた儀礼用の貴重な品々が積まれていたはず。納入期日を過ぎれば、領主様の信用は完全に地に落ちます」
「くくく……ははは! 傑作だな! 領主直々の仕事をしくじれば、いくら大商会とて一発で失脚だ。これで奴をドルフの頂点から引きずり下ろす足がかりができたぞ」
バルカスはワインを一気に煽り、勝利の美酒に酔いしれた。
――だが、配下の男は青ざめた顔のまま、言いにくそうに口籠もった。
「そ、それが……旦那様。今しがた、不穏な知らせが入りまして……」
「ああん? 何だ」
「街道の『赤熊』のアジトが……先ほど壊滅したとの情報が入りました。副頭目二名はすでに討ち取られ、大門の特別詰所に首が持ち込まれたと……」
「……何だと!? 赤熊が壊滅しただと!? 討伐隊など動いていないはずだぞ!?」
「単独の……黒髪の、正体不明の男による仕業とのことです。しかもその男、討伐の報告を終えた足で、あのクラエス商会の商館へ立ち寄ったのを目撃されております……!」
グラスを持つバルカスの手がピキリと止まった。
室内の空気が一瞬にして凍りつく。
「黒髪の男……? 偶然とは思えんな。クラエスめ、どこぞから裏の手駒を雇い入れていたか……あるいは、あの馬車の荷を取り戻されたか」
バルカスは眉間を激しく歪め、手の中のガラスを軋ませた。
自分の完璧な計画に泥を塗られた怒りと、裏の顔を知られるわけにはいかないという焦燥が、その瞳をどす黒く染め上げる。
「ええい、目障りな虫ケラめが! おい、裏の腕利きを何人か集めろ。クラエスも、その黒髪の男もまとめて始末する。ドルフの覇権を握るのはこの私だ。我が邪魔をする者は、何者であろうと生かしてはおかん……!」
部屋の窓の側で黒い塊が震えていた。
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