10
今日は時間通り
「その荷車、邪魔だから置いてくわ。税のオマケにでもしてくれ」
そう言って盗賊団のアジトから拝借した荷車を検問所にポンと預けると、徴税官は「え、よろしいのですか!?」と目を輝かせ、警備隊長のエレンは「気前のいい旦那だな」と豪快に笑っていた。
元々あのアジトにあったものだし、街の中でガラガラと荷車を引き回すのも小回りが利かなくて面倒だ。厄介払いと衛兵への点数稼ぎを兼ねられるなら安いものである。
身軽になった俺たちは、大通りへと足を踏み入れた。
隣には、物珍しそうにオッドアイを輝かせてキョロキョロと周囲を見回すマリ。
肩の上には、一般通過スライムのふりをしてぷるんと収まるディー。
そして背後からは、パカラン、パカランと軽快な蹄の音がついてくる。
「ブルルッ」
バキバキにパンプアップした屈強な筋肉を誇るパティーが、ちゃっかりと俺のすぐ後ろを追従していた。従魔の首輪をつけているとはいえ、威圧感の塊のような巨馬が平然と歩いている姿に、すれ違う町人や商人たちが「うおっ……」「なんだあの馬……」とサッと道を開けていく。
「パティー、お前も美味いもん食いたいのか?」
「ヒヒィン!」
振り返ると、パティーは力強く首を縦に振った。鼻先を器用に動かし、風に乗って漂ってくる匂いを全力で嗅ぎ分けている。お目当ては間違いなく甘いものだ。
「よし。俺の目的は、この異世界の美味いもんを食い歩いて、ゆくゆくは自分の屋台を出すことだからな。まずは市場調査を兼ねて、屋台の食べ歩きといくか」
「たべあるき! マリ、いっぱい食べるにゃ!」
マリが嬉しそうに飛び跳ね、オッドアイをキラキラと輝かせる。
大通りの両脇には、活気ある掛け声とともに様々な屋台が立ち並んでいた。
ジュージューと肉が焼ける脂の爆ぜる音、香ばしいパンの匂い、そして港町らしく、微かに漂う魚介の磯の香り。
俺は懐の銀貨を数枚、ディーに頼んで手頃な銅貨へと両替(換算)させつつ、まずは手近な串焼き屋の前に立った。
「へいらっしゃい! 活きがいいロックボアの串焼きだよ! 一本で銅貨二枚だ!」
鉄板の上で、分厚い肉の塊が豪快に煙を上げて焼かれている。
俺は懐から大銅貨を出し、パティーの分も含めて三本購入した。
「ほら、マリ。パティーも食うか?」
「わーい! あむっ……んん〜っ! お肉、かみごたえがあって美味しいにゃ!」
マリが両手で串を持ち、口いっぱいに頬張って尻尾を振る。パティーには串から肉を器用に外して手のひらから与えると、巨大な舌でペロリと巻き取り、モグモグと噛み締めて満足そうに鼻を鳴らした。
俺も一口、肉を噛み切る。
じわりと広がる野生味の強い肉汁。だが――料理人の舌は、瞬時にその粗を冷静に分析していた。
(……なるほどな。大銅貨二枚ってことは、日本円でいうと2百円前後って感覚か。肉自体は悪くないが、下処理が雑だから獣特有の臭みが抜けきってない。味付けも粗塩と乾燥ハーブを擦り付けただけだな。もう少し柑橘系の果汁か酒で洗って、ブラックペッパーを利かせりゃ化けるんだが……惜しいな)
プロとしての分析を頭の中で巡らせながら、さらに歩みを進める。
港から直送されたという白身魚のフリット。
カチコチの丸パンに豆のペーストを挟んだ軽食。
ドライフルーツを練り込んだ甘い焼き菓子。
屋台を巡るたび、パティーには甘味を、マリには肉や揚げ物を与え、俺はこの街の「庶民の味覚レベル」と「物価の相場」を着実に把握していった。
素材そのものは新鮮で上質だ。だが、調理法と調味料のバリエーションが決定的に足りていない。
(これなら……俺の【調味料】と調理技術があれば、屋台を構えた瞬間に行列が作れるな)
確かな手応えに口元を緩め、パティーに蜂蜜がけの焼き菓子をもう一つ放り込んでやった、その時だった。
「ん……?」
大通りと大広場が交差する一角。
石造りの立派な二階建ての建物の前に、人だかりができていた。
その建物の看板に掲げられた、特徴的な焼印.大きな円に交差する二本の天秤と麦の穂。
そのマークを見た瞬間、俺の足がピタリと止まった。
(あのマーク……どこかで見たな……)
記憶の引き出しを急速に手繰り寄せる。
そうだ。街道で盗賊どもに襲われ、事切れていたあの行商人の親子。
横倒しになって車輪が折れていた、あの馬車の幌の側面に焼き付けられていたのと -全く同じ商家のロゴだった。
店の前にいる店員に声をかける。
「なあ、商会長か偉いやつ呼んでくれないか?」
「お客様、商会長にどのようなご要件ですか?」
物腰は丁寧だが警戒はしている。
「ここでは話せない、悪い話になるのか?⋯兎も角この店を害する話じゃない。」
黒髪黒目の異国の風貌に、オッドアイの獣人の少女。そして何より、背後に控える馬の枠を超えて筋骨隆々にパンプアップしたパティーと、肩に乗ったスライム。警戒されても仕方がない。
店先で立ち話をするような内容じゃないし、余計な混乱を招くつもりもない。
そう告げたエンマに対し、店員が困惑して言葉を濁しかけた――その時だった。
「――どうした、何の騒ぎだね?」
重厚な木製の引き戸が開き、店の奥から仕立てのいい上着を羽織った壮年の男が姿を現した。
整えられた口髭に、商売人らしい油断のない鋭い眼光。だが、その顔色には微かに疲労と焦燥が滲んでいる。
「か、会長……! いえ、こちらのお客様が、会長にお話があると……」
慌てて頭を下げる店員を制し、商会長と呼ばれた男はエンマたちを値踏みするようにじっと見つめた。
鍛え抜かれたパティーの筋肉、怯える様子もなく堂々としたマリ、そして何より、底知れぬ静けさと凄みを纏うエンマの佇まい。
只者ではないと瞬時に見抜いたのだろう。商会長はピクッと眉を動かすと、柔らかく、しかし隙のない会釈を返してきた。
「お見かけしない方ですね。私がこの商会を預かるクラエスと申します。……何やら人前では憚られるご様子。よろしければ、奥でお茶でも飲みながらお伺いしましょうか」
「茶はいい。用件はすぐ済ませたいんだが……人目がなくて、ある程度広い場所に案内してくれないか?」
エンマの素っ気ない申し出に、クラエス会長は一瞬だけ怪訝そうに目を瞬かせた。
人払いは分かるが、密談のための応接室ではなく「広い場所」を要求されるとは思っていなかったのだろう。だが、エンマの眼光にふざけた気配が微塵もないことを悟ると、すぐに商売人の顔を引き締め直した。
「……承知いたしました。では、裏手にある中庭へご案内しましょう。商品の積み下ろしに使う場所ですが、今の時間帯なら人払いは容易です」
クラエス会長が手短に従業員へ目配せして指示を出し、案内されたのは商館の裏手にある石畳の中庭だった。
高い塀に囲まれており、周囲からの視線は完全に遮断されている。荷馬車が数台は余裕で収まるほどの広さがあり、人気は一切ない。
「ここなら誰にも邪魔されず、声も外には漏れません。……して、我が商会を害する話ではない、とのことでしたが?」
クラエス会長が振り返り、油断なくエンマを見据える。
エンマは周囲を一瞥して人の気配がないことを確認すると、肩の上で待機していた黒銀の相棒に短く声をかけた。
「ディー、頼む。あの荷馬車を出してくれ」
『了解。亜空間ストレージを解放、指定座標へ展開します』
ディーの無機質なアナウンスが響いた瞬間、中庭の空間がぐにゃりと歪んだ。
漆黒の波紋が虚空に広がり、次の瞬間――ズシンッ! と重々しい音を立てて、一台の巨大な荷馬車が石畳の上に実体化した。
車輪がへし折れ、無惨に横倒しになり、幌には血痕が飛び散った、あの行商人の馬車だ。その側面には、商館の看板と全く同じ「大きな円に交差する二本の天秤と麦の穂」のロゴがはっきりと焼き付けられている。
「なっ……!?」
何もない空間から突如として現れた馬車に、クラエス会長は度肝を抜かれて息を呑んだ。
だが、その衝撃はすぐに、目の前の馬車に向けられた絶望と戦慄へと塗り替わった。
「こ、これは……うちの行商馬車……!? ま、まさか……!」
クラエス会長の顔から急速に血の気が引き、膝がガクガクと震え出す。
エンマは静かに視線を落とし、淡々と、しかし嘘偽りのない事実を告げた。
「街道で盗賊団に襲撃された現場に行き当たった。……すまねえが、乗っていた護衛も、商人の親子も、全員手遅れだったよ。」
「わざわざ、ありがとうございます。
これを私どもに買い取れというお話でしょうか?」
「なんでそうなる?俺は従業員とオマケを持ち主に届けただけだ、金なら盗賊のお宝あるし必要じゃない。」
じゃあな!と帰ろうとすると呼び止められる。
「ま、待ってください! お待ちください、お客様……!」
踵を返してスタスタと歩き出そうとするエンマの背中に、クラエス会長が必死の形相で駆け寄ってきた。
先ほどまでの商売人としての冷静な仮面は完全に剥がれ落ち、その瞳には驚愕と、底知れぬ動揺が渦巻いている。
「な、なぜ……なぜ、何の対価も求めずに立ち去ろうとなさるのですか!? これほどの空間魔法……荷馬車ごと亜空間から引き出すような途方もない異能を使い、身内の遺体までわざわざ連れ帰ってくださったというのに……!」
商人という生き物は損得で世界を見ている。
これほどの「大恩」を作った相手なら、莫大な謝礼金を要求するか、商会の利権を毟り取ろうとするのがこの世界の常識だ。それなのに、目の前の男は「金なら盗賊から奪ったからいらない」と鼻で笑い、本当にそのまま立ち去ろうとしている。
「あん? なんでって……」
エンマは鬱陶しそうに振り返り、頭をガリガリと掻いた。
「俺は料理人だ。食材や鍋の面倒は見るが、他人の遺体をストレージに放りっぱなしにしておく趣味はねえんだよ。身内がいるなら返してやるのが筋だろ。それだけだ」
悪びれもせず、善人ぶるわけでもなく、ただ己の職人の美学と筋を通しただけの物言い。
その飾らない言葉に、クラエス会長は息を呑み、深々と頭を下げた。震える声で告げる。
「……愚かな勘ぐりをした無礼を、どうかお許しください。この馬車に乗っていたのは、私の弟とその一人の息子でした。……もしあなたが届けてくださらなければ、野盗や魔物に食い散らかされ、行方すら分からぬまま永遠に悔やみ続けるところでした。どれほど感謝してもしきれません」
会長は顔を上げると、すがるような、しかし商会長としての真剣な眼差しでエンマを見据えた。
「お願いです、せめて……せめてお名前をお聞かせ願えませんか? そして、我が商会に何かお力添えできることはございませんか。金銭が不要とおっしゃるなら、それ以外の何でも構いません。このまま手ぶらでお返ししては、商人の名折れ……何より、弟たちに顔向けができません!」
必死に食い下がる会長の言葉に、エンマはふと足を止めた。
肩の上のディーが、プルンと小さく波打つ。
(……力添え、か)
大金はいらない。盗賊のアジトから巻き上げた分で、当面の資金は腐るほどある。
だが、この街で「美味いものを食い、自分の屋台を出す」という目的を果たすためには、公的な市民証だけでは越えられない商業ギルドの面倒なルールがあった。
「名前はエンマ。日比野炎真だ」
エンマは腕を組み、顎をしゃくって中庭を見回した。
「あんたがどうしても何か返さねえと気が済まないってんなら……頼みたいことがある」
「なんなりと! 私にできることなら、どのようなことでも!」
「俺はこの街で、自分の料理の屋台を出したいんだ。……だが、余計な役人の横槍や商業ギルドの面倒な手続きで時間を食うのは御免でね。良い出店場所の確保と、ギルドへの根回しを頼めるか?」
「ええ、それでしたらまさに我が商会の本領です! 大通りの一等地、あるいは港前の好立地……商業ギルドの最上級認可を含め、すべて私が責任を持って手配いたしましょう!」
クラエス会長が胸を叩いて即答する。さらに会長は気を利かせるように言葉を続けた。
「食材の仕入れも、我が商会の独自ルートから最高級の肉や魚介を卸させますが――」
「いや、仕入れは断る」
エンマは即座に掌を向けて遮った。
その瞳に宿る、妥協を許さない料理人としての鋭い光に、クラエス会長がハッと息を呑む。
「食材の目利きまで他人に任せたら、料理人なんざ看板を下ろした方がマシだ。肉も魚も、俺が自分の目と手で直接確かめて仕入れる。……だからあんたには、プロしか入れねえような『魚市場や食肉の卸問屋の競り』に出入りできる通行証か紹介状だけ用意してもらいたい」
「たびたび失礼いたしました。本物の職人であられたのですね」
クラエス会長は深く敬意を込めて一礼した。安易に融通を利かせようとした己の浅はかさを恥じるように、しかし表情には確かな信頼と高揚が浮かんでいる。
「承知いたしました。商業ギルドへの特例申請、特等地の出店許可証、そして『港湾卸売市場の全エリア通行証』――明日の朝までには、すべて完璧に揃えてお届けいたします!」
「届けると言われても、街に来たばかりで宿も決めてない。でっかい馬もいるし探すのは少し大変そうだが⋯⋯。」
「ならば我が商会が懇意にしている宿を紹介しましょう!もちろんこちらが支払います。」
「紹介だけにしてくれ、金はあるし交換条件はもうしただろ?
ついでに屋台職人も紹介してくれるか?市場を見てから決めるから急がない。」
どこまでも余計な施しを嫌い、自分の足で立ち、自分の銭で払う。
あまりに徹底した職人気質と清々しい線引きに、クラエス会長はまたしても目を丸くした。だが、今度は無理に金を押し付けるような真似はせず、心底からの感服の笑みを浮かべて頷いた。
「……承知いたしました。そこまで筋を通されると、商人としてもこれ以上野暮なことは言えませんね。では、紹介状だけご用意いたしましょう」
会長は懐から上質な羊皮紙の手帳を取り出し、サラサラと推薦の言葉を書き殴ると、二枚の封書を手渡してきた。
「宿は中央広場から少し港側に下りたところにある『潮風の錨亭』をお勧めします。元冒険者の頑固親父が営んでおりましてね、飯の味は無骨ですが、敷地が広く大型の魔獣や軍馬を預かる厩舎も完備されています。あそこの頑丈な馬房なら、貴方の立派なお馬さんでも広々と休めるはずです」
「そいつはありがたい。パティーが狭いところで暴れたら、宿ごと壊しかねねえからな」
「もう一通は、腕の立つ腕利きの屋台大工、ドノバン宛ての紹介状です。少々偏屈なドワーフの爺さんですが、腕前はドルフ一番。細かな注文にも嫌な顔一つせず、完璧な移動厨房を仕立ててくれるでしょう。市場をご覧になった後、気の向いた時に訪ねてみてください」
「助かるよ」
エンマは二通の手紙を受け取り、上着の内ポケットへと滑り込ませた。
これで、今夜の宿、パティーの居場所、そして屋台作りの足がかりまでが一気に整った。
異世界の人種ドワーフに会えるのが楽しみだ。
「では、書類一式は明朝、その『潮風の錨亭』へ使いの者を走らせます。……エンマ殿、改めて、弟と甥を連れ帰ってくださり、本当にありがとうございました」
「おう。弟さんたち、ちゃんと送ってやれよ」
軽く片手を上げて背を向け、エンマは中庭を後にした。
店先へ戻ると、繋ぎ柱の横でどっしりと鎮座していたパティーが「ヒヒィン!」と嬉しそうに鼻を鳴らす。
「待たせたな、パティー。宿が決まったぞ。でかい部屋があるらしいから、そこでお前もゆっくり休め」
「ブルルッ!」
「マリ、宿に行く前に、もう少し美味いもん食ってくか?」
「食べるにゃ! さっきの甘いお菓子、もういっこ食べたいにゃ!」
両手をあげてはしゃぐマリの頭をぽんぽんと撫で、エンマたちは活気あふれるドルフの大通りへと再び歩き出した。
肩の上のディーが、エンマの耳元でプルンと震えながら小さくささやく。
『主。一連の交渉における損得勘定の甘さは依然として看過できませんが……結果的に、最も面倒な行政手続きと生活基盤の確保を最短ルートで達成した点については、及第点を与えましょう』
(うるせえよ。損得だけで生きてたら、美味い飯なんざ作れねえんだよ)
心の中で相棒に憎まれ口を叩き返し、エンマは西日に染まり始めた空を見上げた。
明日は早朝から港湾の卸売市場だ。異世界の見たこともない魚介や肉、未知の食材たち、それを想像するだけで、料理人としての血が静かに、しかし熱く滾り始めていた。
お読みいただきありがとうございます!




