第11話 研究室が欲しい
「FランクがBランクに勝ったらしいぞ」
翌朝、学院の廊下でそんな声が聞こえてきた。
誰のことだろう、と思いかけて気づく。
「……俺か」
「他に誰がいるのよ」
隣のセリアが呆れた顔をした。
「でも、勝ったっていうのは少し違うだろ」
「防御突破演習の規定では勝ったわ」
「ローディス先輩が本気で戦ったら、たぶん負けるよ」
「そこを理解しているなら問題ないわ」
昨日、俺はBランク《積層障壁》の内側へ波を通した。
移動中の障壁の下にできた隙間を使い、弱い波を回り込ませて標章を外しただけだ。
同じ相手ともう一度戦えば、今度は隙間を狙われないようにするだろう。
「次は塞がれるよな」
「間違いなく」
「困ったな」
「全然困っている顔じゃないけど」
実際は、昨日の攻撃をもっと安定させることの方が気になっていた。
研究棟に着くと、オルド先生が待っていた。
「おはよう。二人とも、昨日の記録をまとめてみたよ」
机には数枚の紙が並んでいた。
模擬戦場の記録魔道具を使い、俺がどこから波を撃ち、どの経路で障壁の内側へ通したのかが描かれている。
「すごい。こんなの作れるんですね」
「研究科には記録用の魔道具があるからね」
「欲しい」
「高いよ」
「……いくらですか?」
先生が金額を言った。俺は黙った。
「今の俺には無理ですね」
「でしょうね」
セリアが即答する。
貴族の三男とはいえ、自由に使えるお金が無限にあるわけじゃない。兄たちと違ってFランクと判定された俺には、高価な魔道具を買ってもらう理由もなかった。
「だから、研究棟を使わせてもらえるのは助かるな」
「そのことなんだけど」
先生が椅子に座った。
「君たちに一つ提案がある。正式な研究課題として《波魔法》を登録してみないか?」
「研究課題?」
「個人的な実験から一歩進んで、学院の許可と管理の下で研究するんだ。設備が使いやすくなるし、成果によっては予算もつくよ」
「予算!」
思わず身を乗り出した。
「そっちに反応するのね」
「木板もコップも無料じゃないんだぞ」
「それはそうだけど」
セリアが先生へ尋ねる。
「条件は何ですか?」
「目的が明確なこと。手順が記録されていること。それから、同じ術者が条件を揃えて繰り返した時に、一定程度再現できることだね」
「……再現性」
嫌な予感がした。
「昨日のあれ、もう一回やれる自信ある?」
「……五回やれば一回くらい?」
「正直でよろしい」
先生が笑った。
「だから、そこから始めればいい」
俺たちは昨日と同じ実験区画へ向かった。
透明な障壁を再現する魔道具と、動く鉄板がある。昨日の標章に似た訓練用の標的も用意されていた。
俺は構える。
床反射。下端の隙間。回折。そして波を重ねる。
バシッ!
標章は外れなかった。
「……あれ?」
二回目は隙間へうまく通らず、三回目は内側へ届いても標章に当たらなかった。
「……難しいな」
「昨日だって簡単じゃなかったでしょう」
「そうなんだけど」
昨日、本番でうまくいったせいで、もう使える技になったつもりでいた。
でも安定していない。
五回目、ようやく標章が少し揺れた。
「お」
「記録したわ」
俺が振り向く前に、セリアが言った。
「さすが」
「次は床の状態も見て」
よく見ると、昨日の模擬戦場より床がざらざらしている。
「反射する時の広がり方が違うのかな」
「可能性はあるわ。でも障壁の隙間も少し違う。まずどちらか一つだけ変えましょう」
「了解」
俺は発射位置を揃え、タイミングだけを調整した。
失敗。
また失敗。
でも、少しずつ標章の揺れが大きくなる。
九回目。
パチンッ。
「……!」
標章が外れた。
「当たった!」
思わず拳を握る。
オルド先生が頷いた。
「昨日の成功は偶然だけではなかったようだね」
「でも九回目ですよ」
「だから研究する意味がある。条件が分かれば、成功率を上げられるかもしれない」
外れた標章を拾い上げた。
昨日の勝利は嬉しかった。でも今の一回も、同じくらい嬉しい。
誰も倒していない。観客もいない。
それでも、分からなかったことが少しずつ分かり始めている。
「先生。研究課題、やりたいです」
「そう言うと思ったよ」
「私も参加します」
セリアが続ける。
「それなら、研究計画書を作ろう。目的、方法、予算、必要な設備、想定される危険を書いてもらう」
「……多いですね」
「正式な課題だからね」
「私が手伝うわ」
「助かる」
「ただし今回は、あなたにもちゃんと書いてもらうから」
「……はい」
楽しい実験の裏には、大量の書類があるらしい。
その日の午後、俺たちは研究棟の施設案内を受けた。
材質別の壁を揃えた区画。魔力量を測定する装置。複数の標的を動かせる実験場。
使いたいものばかりだ。
「ここ全部使えるんですか?」
「許可の範囲内ならね」
「いいな……」
「顔が怖いわよ」
セリアに言われた。たぶん、かなりにやけていたと思う。
案内の最後に、オルド先生が奥の廊下を指差した。
「この先は学生研究室の区画だよ」
「学生研究室?」
「学生が自分たちで課題を進めるための部屋だね。専用の作業台や保管棚がある」
扉には札がかかっていた。
『高位火属性制御研究』
『氷結魔法の精密構築』
『複合魔法陣開発』
どれも立派そうな名前だ。
「……こういう部屋、俺たちも使えるんですか?」
「正式な研究班として認められればね」
「研究班!」
「まだ決まったわけじゃないわよ」
セリアが釘を刺す。
「ただし、専用研究室の正式な割り当てには条件がある」
「何ですか?」
「指導教員と研究計画に加えて、原則として所属学生が三名以上。それから研究成果と安全管理の審査も必要になる」
「……三名?」
俺はセリアを見る。
セリアも俺を見る。
「一、二……二人しかいないな」
「数えなくても分かるわ」
「先生は?」
「教員は学生の人数に入らないよ」
「ですよね」
オルド先生が笑う。
「当面は共同実験の許可を取って、空いている作業区画を時間ごとに借りることはできる。正式な専用室を目指すなら、もう一人仲間を見つける必要があるね」
「もう一人、か」
俺は少し考えた。
何も魔法が強い人である必要はない。セリアの氷魔法は十分強いし、俺の《波魔法》はFランクだ。
それより、面白い疑問を一緒に追いかけてくれる人がいい。
「研究を好きな人、見つかるかな」
「魔法の適性にこだわらないなら、探し方はありそうね」
「例えば?」
「まずは学院の研究課題の掲示板を見てみたら?」
「そんなのあるの?」
「あるわよ。あなたが訓練場の壁ばかり見ている間にも、学院は動いているの」
「……なるほど」
ぐうの音も出ない。
廊下の奥には、札のない古い扉があった。塗装が剥げかけ、取っ手には埃が積もっている。
「あそこは?」
「以前は学生研究室だったけれど、今は使われていない。設備の点検も必要だし、正式な割り当てがなければ専用にはできないね」
俺はその扉を見つめた。
小さくてもいい。実験用の机があって、木板や紙を置いておける場所。いつでも続きを始められる、俺たちだけの部屋。
「……セリア」
「何?」
「いつか、あそこ使いたいな」
「だったら研究計画書と、三人目ね」
「うん」
セリアは少し笑った。
「あなた、研究仲間を探す時まで魔法のランクで決めたりしないでしょうね」
「まさか」
俺は即答する。
「俺自身がFランクだぞ。それに、面白い使い方が分からない魔法なんて、まだいくらでもあるだろ」
《波魔法》だって、最初は威力2しかなかった。
でも集束して、反射して、重ねて、回り込ませることで、できることが増えた。
他の魔法だって同じかもしれない。
「……そうね」
セリアは研究計画書を受け取る。
「じゃあ、まずは申請書を完成させましょう」
「研究課題名、どうする?」
「《波魔法》の特性研究でいいんじゃない?」
「普通だな」
「普通でいいのよ」
俺はペンを取り、『《波魔法》の基礎特性および応用研究』と書き込んだ。
魔法を授かった時は、ただ自分の能力が弱い理由を知りたかっただけだ。
でも今は調べたいことが多すぎる。一人では足りないくらいに。
研究室が欲しい。
そして、そのためには仲間が必要だ。
「よし。まずは一個ずつ片づけよう」
「珍しくまともなことを言ったわね」
「ひどくない?」
笑いながら廊下を戻る。
帰りに研究課題の掲示板を見てみよう。
強い魔法じゃなくてもいい。誰にも注目されていない魔法だっていい。
まだ誰も使い方を知らないだけかもしれないのだから。




