第一章 日常・前兆:甘いハグと「文字の死体」
「というわけで、王都へ向かう道中で僕の『男らしさ』を存分にアピールさせてもらうからね!」澄み渡る青空の下、王都へと続く一本道。 胸を張り、鼻息荒く宣言したのは十二歳の天才魔導士アルファだった。背中には自作の音響測定器が詰まった皮のバッグを背負い、一歩一歩踏みしめるように歩いている。「はいはい、頼りにしてるわよ、アルファちゃん」その隣を歩くのは、パーティのリーダーであり女勇者のリリアだ。昨日の今日で、アルファからの「結婚してください」という怒涛のプロポーズにひとしきり狼狽した彼女だったが、一晩明ければいつもの優しい「頼れるお姉さん」の顔に戻っていた。「……むぅ。『ちゃん』付けをやめてほしいって昨日から何度も言ってるのに」アルファが不満げに頬を膨らませると、後ろを歩く巨漢の重戦士が豪快に肩を揺らして笑った。「ガハハ!無駄無駄!リリアのやつ、照れ隠しで『可愛い弟』枠に逃げ込んでやがんだよ。坊主が昨日見せたあの化け物みたいな音響魔法見せられたあとじゃ、普通なら一目置くしかねぇんだがなぁ」「ちょっと、からかわないでください!私はただ、アルファちゃんが年相応にかわいいなって思ってるだけで……!」リリアは慌てて反論しながらも、ふと昨日の出来事を思い出して耳の先端をほんのり赤く染めた。空を埋め尽くす魔物の群れを一瞬で粉砕した、あの圧倒的な金色の旋律。そして、自分を見つめるまっすぐで真剣な眼光。(……あんな凄まじい魔法、見たことない。それに、あの真剣な目……)「リリア様? どうかしたの?」「あっ、ううん! 何でもないわ!」不意にアルファに顔を覗き込まれ、リリアは動揺を隠すように両手を叩いた。「そうだわ! アルファちゃん、昨日は本当に凄かったわね!あなたが無事で、私本当に嬉しかったの!」「え? あ、うん……まあ、僕にかかればあの程度の雑魚――」「本当によく頑張ったわ~!(ぎゅーっ)」「ぶふっ……!?」次の瞬間、アルファの視界はリリアの胸元で埋め尽くされた。リリアが無自覚かつダイレクトに繰り出した頑張ったご褒美のハグである。「んぐっ……! り、リリア様、離して!僕は子どもじゃないんだからっ……!(顔真っ赤&心臓バックバク)」柔らかい体温と甘い香りに包まれ、アルファの頭脳は瞬時にキャパシティを超えてパンクした。前髪の隙間から見える顔全体が、茹で上がったタコのように真っ赤になる。「えへへ、でも小さくて可愛いんだもん」「~っ!!次に抱きしめるときは『男として』にしてよね!!」アルファは腕の中でジタバタと暴れながら、背伸びした捨て台詞を叫ぶ。それを見た重戦士は「ひーっ!今日も絶好調だなぁ!」と腹を抱えて笑い転げるのだった。
やがて陽が傾き、街道沿いの森の開けた場所で、一行は野営の準備を整えた。パチパチと薪がはぜる小さな焚き火を囲み、干し肉と野菜のスープを煮込む。重戦士が豪快ないびきをかいて早々と仮眠に入った頃、アルファは少し離れた大木の根元に座り、ノートに細かな数式や音符のような記号を書き込んでいた。「アルファちゃん、まだ起きていたの? スープ、おかわりあるわよ」リリアが温かい木製スープカップを二つ手に、静かに歩み寄ってきた。「ありがとう、リリア様」アルファはノートを閉じると、受け取ったカップから立ち上る湯気をふーふーと吹き、スープを一口口に含んだ。「熱心ね。それは……魔法の勉強?」「うん。昼間の戦闘で使った《アリア・ゼロ》の波形データの調整。僕の『音声魔法』は、その場の空気の振動や自然音の調子によって毎回微妙に変化するから、常に補正しておかないと」アルファはそう言って、夜空を見上げた。 静まり返った森には、風が葉を揺らす音、夜虫の羽音、遠くの川のせせらぎが満ちている。「ねえ、リリア様。今の魔法使いって、みんな紙や空中に文字を描いて魔法を使うでしょ?」「ええ。『字形魔法』ね。均一で、誰でも練習すれば同じ効果が出せる……今の世界の基本よ」リリアが大剣の柄をさすりながら頷く。アルファは少しだけ切ない、大人びた瞳で自分の指先を見つめた。「僕はね、あの字形魔法のことを『文字という死体』って思ってるんだ」「文字の……死体?」リリアは意外な言葉に目を丸くした。「うん。昔はね、世界そのものが『生きている歌』だったんだって。風の音、雷の轟き、人の声……そういう生きた音の響き(波形)に心を合わせることで発動するのが、最古の『音声魔法』。でも、昔のえらい魔法使い達は『それじゃ効率が悪い』『個人の感性に頼りすぎて不便だ』って言って、音を記号に切り取って固定化しちゃったんだ」アルファは拾い上げた小さな枝で、地面に『炎』という文字を描いた。「記号化された文字は便利だけど、そこにはもう『世界が生きている音』も『使う人の心』も乗らない。ただの無機質な記号。つまり、歌の死体なんだよ。効率と引き換えに、みんな世界の感性を捨てちゃったんだ」「文字という……死体……」リリアはアルファの言葉を噛み締めるように繰り返した。十二歳の少年の口から出たとは思えない、あまりにも深く、そして孤独な洞察。「僕の生まれ育った村でもね、この音声魔法は『変人の奇行』だってバカにされてた」アルファは自嘲気味に小さく笑った。「誰も僕の『聞こえている音の色彩』を理解してくれなかった。両親だって、僕の魔法を気味悪がってた節がある。……でも、僕は捨てられなかったんだ。自然が紡ぐ生きた歌が、こんなにも美しいんだから」アルファの横顔に差し込む焚き火の光。そこに浮かび上がっていたのは、天才ゆえに誰にも理解されず、一人で「死んだ世界の歌」を拾い集めてきた少年の、果てしない孤高と寂しさだった。(この子は……こんな小さな背中で、ずっと一人で戦ってきたんだ……)リリアの胸が、きゅっと締め付けられるように痛んだ。 単なる「強い子供」ではない。失われた世界の美しさを一人で背負う、傷ついた天才。「……アルファちゃん」リリアは優しく手を伸ばし、アルファの手をそっと包み込んだ。今度はからかうようなハグではない。一人の人間として、彼の孤独に寄り添うような温かい手だった。
「私は……あなたの歌う魔法、世界で一番美しいと思うわ」
「え……?」
アルファは弾かれたように顔を上げた。リリアの澄んだ青い瞳が、まっすぐに自分を見つめている。そこに嘘や同情はなく、純粋な賛美と温もりだけがあった。「私が守るわ。あなたのその『生きた歌』を、世界が踏みにじらせたりさせない」「り、リリア様……」アルファの胸の奥が熱くなり、顔が再び赤く染まっていく。だが今度は照れ隠しの暴言は出てこなかった。ただ、リリアの手の温もりにじっと耐えるように、小さな手を握り返した。「……だから、僕が君の騎士になって守るんだってば……」蚊の泣くような小声で呟いたアルファの言葉は、夜風にさらわれて消えた。二人の間の空気が、どこか甘く、静かに深まっていく。その静寂を、切り裂く音があった。
キーーーーーーン……
耳鳴りのような、不快な高周波が夜の森に響き渡った。「っ……!?」アルファが反射的に立ち上がった。ノートが地面に落ちる。彼の知覚する「音の色彩」が一瞬にして濁り、黒くドロドロとした不気味な記号の羅列となって世界を塗りつぶしていく。「何だこの音……!?空気の振動が……殺されている!?」「アルファちゃん、後ろへ!」リリアが即座に大剣を抜き放ち、前へ躍り出た。重戦士も異変に気づき、大斧を構えて跳ね起きる。「おいおい、なんだありゃあ……!街の警戒標識か!?」森の奥から、滑るように歩み出てくる影があった。全身に隙間のない黒い法衣を纏った男。その周囲には、まるで生き物のように蠢く無数の「黒い文字のホログラム」が浮遊していた。男が踏みしめる足元の草木は、触れた先から色を失い、無機質な灰色の記号へと変化していく。「ほう……なるほど。『生きている歌』とは、よく言ったものだ」男の声には抑揚がなく、まるで機械が音声を合成しているかのようだった。「だが、世界に不要なのは『生きた歌』などという不確定な曖昧さだ。必要なのは厳密な論理、解読可能な構造、そして支配だ」「あなた……魔王軍ね!?」リリアが剣を構え、警戒を強める。男は冷ややかな視線を勇者たちへ。いや、リリアの背後に立つ十二歳の少年へと注いだ。「我が名はアルファベト。魔王軍四天王が一角『論理の文字鎖』を統べる者」四天王。魔王軍の頂点に君臨する四人の幹部の一人が、なぜこんな場所に。「昨日の飛行部隊の全滅……まさか『音声魔法』の生き残りが存在していようとはな。未確定要素は早期に解析し、消去せねばならん」四天王アルファベトが細い手を掲げると、彼の周囲の黒い文字群が一斉に不気味な光を放ち始めた。「坊小児。貴様の『歌』の構造、見せてみよ」緊張感が、夜の森を支配した。




