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序章 一目惚れと黄金の旋律

「……あ」



 その瞬間、少年の世界からあらゆる雑音が消え失せた。崩れかけた石造りの家屋、黒く燻る木々の残骸、風が運ぶ生臭い焦げ臭さ。魔王軍の襲撃によって一夜にして滅びた廃墟の村。その惨状の真ん中に、彼女は立っていた。艶やかな銀髪を後頭部でひとつに束ね、白銀の甲冑を纏った凛々しい佇まい。手に携えた大剣の身には、返り血一つついていない。透き通るような青い瞳が、悲壮な戦場の中でそこだけ聖域のように澄み渡っていた。十二歳の少年アルファにとって、世界は常に「音」の色彩で溢れていた。風のそよぎは淡い緑、小川のせせらぎは透き透きとした水色、雷鳴は刺すような黄色。だが、目の前に立つ十八歳の女勇者リリアから立ち上る音の響きは、アルファが生まれて一度も聞いたことがないほど、優しく、澄み切った純白の旋律だった。



「だ、大丈夫かい、坊や……!?」



 リリアが駆け寄ってくる。甲冑の擦れる擦過音が、心地よい小鈴の音のように聞こえた。 彼女は驚いたように目を見開き、瓦礫の陰で立ち尽くすアルファの前に膝をついた。目線を低くし、心配そうにその小さな肩に手を置く。「怪我はない? 可哀想に……家族や村のみんなは……」優しい匂いが、ふわりとアルファの鼻腔をくすぐった。 両親を魔王軍に奪われ、絶望の淵にいたはずのアルファの心臓が、まったく別の理由でドクンと大きく 跳ね上がった。全身の血が頭登へと逆流し、頬が熟した果実のように熱くなる。(なに……この人。きれいだ。かっこいい。それに、すっごく澄んだ歌みたいな音がする……!)雷に打たれたようなショックだった。これが世に言う「一目惚れ」というヤツだと理解するのに、天才魔導士の頭脳を以てしても三秒の猶予を要した。「……ぼ、僕」「え?」アルファは小さく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握りしめた。擦りむけた膝の痛みも、一人取り残された孤独も、すべてが吹き飛んだ。目の前のお姉さんに「一人の男」として認識されたい。その一心で、アルファは精一杯の背伸びをして、胸を張り、リリアの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。



「僕はアルファ!十二歳!……見通しの甘い大人たちとは違う、将来有望な男だよ!」



「ふふ、元気があって良い子ね」



 リリアはくすっと愛らしく微笑むと、なんの警戒もなく、アルファの頭を優しく撫でまわした。「でも、ここはまだ危険だわ。お姉さんたちの保護下に入りなさい。大丈夫、私たちが絶対にあなたを守ってあげるから」「子ども扱いしないでよ!」アルファは撫でられた手を跳ね除けようとしたが、リリアの温かい手のひらの感触に一瞬で毒気を抜かれ、顔を真っ赤にしてフシャアと威嚇する猫のようになってしまった。「おいおいリリア、こんな廃墟に生存者がいたのか?しかもえらい威勢のいいガキじゃねえか」後ろからどかどかと歩いてきたのは、背中に身の丈ほどもある大斧を背負った巨漢の男だった。勇者パーティの前衛を務める「重戦士」だ。「おいガキんちょ、ここは魔王軍の飛行部隊が通過したばかりの戦場だぞ。鼻垂らして泣いてねえで、大人の言うことを聞いておきな」「鼻なんて垂らしてない!それに『ガキんちょ』じゃない、アルファだ!」アルファは重戦士を睨みつけると、くるりとリリアに向き直り、ビシッとその鼻先を指差した。「リリア様!僕を君のパーティに加えてよ!僕はただの子供じゃない。失われた『音声魔法』を独学で復元した超天才なんだ!君の役に立ってみせる!」「えっ……音声魔法……?」リリアと重戦士が顔を見合わせた。現代における魔法といえば、誰もが均一に記述し、効率的に発動できる「字形魔法」が主流だ。記号化された「文字」を媒体とし、定形の発動体を描くことで誰でも同じ威力を出せる便利な技術。だがその代償として、現代の魔法からは個人の感性や世界の色彩が失われつつあった。「歌が死に、文字という死体が広がった世界」それが今のこの世界の写し絵だ。自然の響きを自らの声で紡ぎ出す古の「音声魔法」など、もはや歴史の教科書かおとぎ話の中にしか存在しない、廃れた異端の術のはずだった。「まあ……ご両親を失って、ショックで気丈に振る舞っているのね……」リリアの瞳に、深い同情と慈愛の色が差し込んだ。完全に「可哀想な嘘つきの男の子」を見る目だった。「ち、ちがう! 本当なんだってば! 僕は本当に強いんだ!」「はいはい、わかってるわアルファちゃん。強がり言わなくてもいいのよ」リリアは包み込むような笑みを浮かべると、そのまま一切の躊躇なく、アルファの体をぎゅっとその胸の中に抱きしめた。ぎゅむっ。「――!?」



 アルファの思考線が完全に焼き切れた。柔らかい感触。漂う甘い香り。耳元で聞こえる、トクン、トクンというリリアのあたたかな鼓動。甲冑の隙間から伝わる、十八歳の大人の女性の抱擁。「うっ……ぐ……っ!?」「よしよし、怖かったわね。よく頑張って生き残ったわ。もう大丈夫よ、私があなたのお姉さんになってあげるからね」「り、リリア様……離しっ……! 離してくださいっ……!」アルファは顔を血のように真っ赤にし、腕の中でジタバタと暴れた。心臓が爆発しそうだ。前髪の隙間から覗く耳の先までリンゴのように赤く染まり、目には涙すら浮かんでいる。「僕は子どもじゃないんだからっ……!お姉さんなんていらない! 僕は一人の男として君の前に立ってるんだ!」「えへへ、でも小さくて可愛いんだもん。抱き心地も最高だし」「~っ!!次に抱きしめるときは『男として』にしてよね!!」「はいはい、大きくなったらね~」「今すぐだよ!!」そのやり取りを見ていた重戦士は、腹を抱えて大爆笑した。「ギャハハハ! おいリリア、お前完全に骨抜きにしてんぞ!十二歳の坊主に本気でプロポーズされちまってんじゃねえか!」「もう、からかわないでください!アルファちゃんが恥ずかしがってるでしょう!」「恥ずかしがらせてんのはお前の無自覚なハグだろうがよ!」真っ赤になったアルファは、胸の奥でキーッと歯噛みした。(見てろ……!絶対に僕を子供扱いしたこと、後悔させてやるんだから……!)その時だった。空が、不気味な黒色に染まった。



キィィィィィィン――!!



 耳を刺すような甲高い金属摩擦音が、上空から降り注いだ。「なっ……何だ!?」重戦士が笑顔を消し、即座に大斧を構える。リリアもアルファを咄嗟に自分の背中へ庇い、大剣を抜き放った。見上げれば、雲を割って姿を現したのは、無数の翼を持つ魔王軍の飛行部隊ガーゴイル・スコードだった。その数、およそ百。全身を黒い鋼鉄の鱗で覆い、口からは猛烈な高熱の火球を吐き出す、一小隊を全滅させられる規模の残党勢力だ。「チッ、こんな群れが残ってやがったか……!リリア、迎撃するぞ! 街へ行かれたら大変だ!」「ええ! アルファちゃん、私の後ろから絶対に離れないで!」凛々しい顔つきに戻ったリリアが、大剣の身に「字形魔法」の術式を刻み始める。空中に浮かび上がるのは、無機質で四角く均一な黒い文字の輪。効率的で、冷たい「文字の死体」だ。「文字描画:キャスト――炎刃:フラム・ブランカ!」リリアが剣を振るうと、炎の刃が空へ飛び出し、先頭のガーゴイル数体を撃ち落とした。だが、敵の数は多すぎる。空を埋め尽くす黒い影が、雨のように火球を降らせてくる。ドドドドドンっ!地面が爆ぜ、衝撃波がリリアたちの体勢を崩す。「くっ……数多すぎるわ! 押し切られる……!」「リリア、後ろだ! 上空から挟み込まれるぞ!」頭上から、鋭い鉤爪を掲げた三体のガーゴイルが、リリアの死角へと急降下してくる。リリアは大剣を構え直そうとするが、先ほどの爆風で態勢が整わない。(しまっ――)リリアが歯を食いしばり、衝撃に備えたその瞬間。「邪魔だよ、雑魚」静かな、しかし凛とした少年の声が、戦場の騒音を切り裂いて響いた。リリアの視界の端で、小さな影が躍り出た。アルファだ。「アルファちゃん、ダメ! 引っ込んでて――」リリアの制止の声は届かない。 アルファの瞳から、それまでの子供っぽい照れや甘えが完全に消え去っていた。そこに宿っていたのは、深遠な理を極めた「絶対的な天才」の冷徹な眼光。アルファは軽く息を吸い込み、幼い唇を開いた。「風の旋律:ソプラノ、大地の低音:バス、空の残響:エコーズ――」それは、言葉ではなかった。歌であり、詩であり、自然そのものが奏でる奇跡の音色。アルファが優美な声を口ずさみ、空間にその響き(メロディ)を乗せた瞬間、世界が変貌した。



ピキィン!



 空間に、眩いばかりの「金色」の光が弾けた。アルファの歌声に反応するように、彼の周囲の空間へ、精密で繊細、そして息をのむほど美しい幾何学模様の「金色の音響魔法陣」が次々と展開されていく。文字ではない。音の波形、光の音符、優雅な幾何学が交差する、芸術品のような魔法陣だ。「な……何だありゃあ!?文字じゃねえ……魔法陣が、歌ってる……!?」重戦士が目を見開き、顎が外れんばかりに驚愕した。「言葉は歌となり、歌は世界を書き換える」アルファは背伸びをするように右手を高く空へ掲げた。彼が指先で空を弾くと、空中に描かれた無数の金色の魔法陣が一斉に回転を始める。「広域音響展開――奏曲:アリア・ゼロ」アルファの口から漏れた一小節の美声。直後。



ズゥゥゥゥゥゥン!!



 音が存在しない「絶対の衝撃」が空を穿った。アルファの手から放たれたのは、黄金の光で描かれた幾何学の音波。それが波紋のように空全体へと一瞬で広がり、百頭を超えるガーゴイルの群れを根こそぎ飲み込んだ。空を埋め尽くしていた黒い影が一瞬で静止する。 次の瞬間、金色の音響波が空間そのものを振動させ、魔王軍の飛行部隊を一頭残らず、分子レベルで「音もなく爆砕」させた。パラパラパラ……空から降ってきたのは、追撃の炎でも血でもなく、光の粒となって消えていく黒い灰だけだった。わずか一秒。勇者パーティを追い詰めた百頭の魔物群が、十二歳の少年が口ずさんだ「一小節の歌」によって、跡形もなく消滅したのだ。静寂が支配する廃墟。雲の隙間から差し込む日光が、残った金色の魔法陣の残光を照らし出し、幻想的な光景を作り出していた。「な……ななな……」重戦士は大斧を落とし、開いた口が塞がらない。「うそ……だろ……? たった一撃で……飛行部隊を全滅させただと……!?冗談だろ、あいつホントに十二歳かよ!?」リリアもまた、大剣を握りしめたまま完全に固まっていた。目の前に立つ小さな背中。そこから放たれた魔法は、彼女が知るどんな大魔導士の「字形魔法」よりも美しく、圧倒的で、そして洗練されていた。「音声魔法……本当に、実在していたの……?それを、この子がひとりで……?」ふわり、と風が吹き抜け、アルファの黒髪を揺らす。背中を向けたまま立っていたアルファは、ゆっくりと振り向いた。先ほどまでの圧倒的な大魔導士の威風は、どこへやら。「はぁ……はぁ……! ど、どうだ!!」アルファは顔を真っ赤にし、息を荒らせながら、胸を張ってリリアをビシッと指差した!その目には、期待と、緊張と、そして一途な情熱が並々ならぬ熱量で宿っていた。「見たでしょリリア様!僕は強いんだ!君を守れるくらい、すごーく強いんだから!」「あ……ええ、本当にすごかったわ、アルファちゃん……」未だ衝撃から抜け出せないリリアが呆然と頷くと、アルファはこほんと一つ咳払いをして、すっと背筋を伸ばした。そして、夕日を背に受けながら、耳まで真っ赤にした顔で、まっすぐにリリアの手を取った。



「約束通り、全滅させたよ」



「え……? 約束……?」



 首を傾げるリリアに対し、十二歳の天才少年は、世界で一番大好きな十八歳の女勇者の目を見つめ、堂々と告げた。「僕を子供扱いしないで、一人の男として見てほしい!だから」アルファは一瞬だけ言葉を詰まらせ、限界まで顔を赤くしながら、大声で叫んだ。



「勇者様、僕と結婚してください!!」



「えええええええええっ!?」



 夕暮れの廃墟に、十八歳の女勇者の悲鳴のような絶叫がこだました。大人びた圧倒的な強さから一転、あまりにも直球で甘酸っぱいプロポーズ。重戦士が腹を抱えて地面を叩いて笑い転げる中、リリアは真っ赤になって「え、えええっ!? だってあなたまだ十二歳だし、それに私とあなたじゃ六歳も離れてて、っていうか結婚って!?」と大パニックに陥っていた。「年の差なんて関係ない!僕は本気だ!!」「〜〜〜っ!もう、アルファったら意味の分からないこと言わないのっ!(ぎゅーっ!)」「ほぎゃっ!?だから『子供扱いのハグ』はダメだって言ってるでしょーっ!!」世界を揺るがす「音声魔法」を持つ天才少年と、それにタジタジになる凛々しくも天然な女勇者。二人の世界を越える恋と戦いの旅は、こうして賑やかに幕を開けたのだった。


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