EP 3
むせ返るような森の夜気の中に、場違いなほど暴力的な「ダシの香り」が漂っていた。
「……毒、は入ってないだろうな?」
坂上信長は、手渡された木製の椀を前に、引きつった顔で尋ねた。
椀の中では、琥珀色の透き通った汁に浸かった巨大な大根と、肉厚な謎のキノコが、ほっかほかの湯気を立てている。
周囲を見渡せば、真っ黒な魔導防弾チョッキを着込んだ村の自警団たちが、銃口を下げて「いいから早く食えよ」と言わんばかりに彼らを囲んでいる。
この上なく異様で、絶望的な包囲陣。
だが、それ以上に――。
(……くそっ、胃袋が……俺の生存本能が「食え」と叫んどる……!)
極度の緊張と長時間の行軍で、自衛隊員たちの体力は限界に達していた。
信長は意を決し、割り箸で『月見大根』を半分に割り、口へと運んだ。
――瞬間。
「……っ!!」
信長の目が、極限まで見開かれた。
大根が、噛む必要すらないほど口の中でトロトロに溶けていく。
芯の奥の奥まで染み込んだ、魚介系の強烈な旨味と、上品な甘み。それが熱いダシ汁とともに、空っぽの胃袋へナイアガラの滝のように流れ込んでいくのだ。
「隊長! こ、この肉みたいな具、ヤバいです!」
隣で赤城が、涙目になりながら『肉椎茸』を頬張っていた。
「なんだこれ、キノコなのに極上のステーキ肉みたいに分厚い! 噛むたびに肉汁とキノコの旨味が爆発します! ……う、美味すぎるッ!」
「こっちの芋も最高ッスよ! ホクホクで、なんか太陽みたいなポカポカした甘みが……!」
精鋭であるはずの第一空挺団の隊員たちが、次々とライフルを地面に置き、無心でおでんを啜り始めている。
警戒心など、とうの昔に胃袋の底へ溶けて消えていた。
「どうだ? うちの村の特産品、『肉椎茸』と『太陽芋』の味は」
おたまで鍋をかき混ぜながら、エプロン姿の青年――リアンが、悪戯っぽく笑う。
「……完敗じゃ。こんな美味いおでん、親父の作ったカレー以来じゃわ……」
信長は、最後の一滴までダシを飲み干し、ふうっと深い息を吐いた。
不思議な感覚だった。
極上の食事を満喫した満足感だけではない。体の内側から、温泉に浸かっているような熱が湧き上がってくるのだ。
「……あれ? 隊長、足の豆が……」
「ん?」
赤城に指摘され、信長は自分の足元を見た。
行軍で擦り切れ、血が滲んでいたはずの踵の傷が、淡い光を放ちながら『一瞬で』塞がっていく。
それどころか、肩にのしかかっていた数十キロの装備の疲労感すら、嘘のように消し飛んでいた。
「な、なんじゃこりゃあ!? 傷が治っとる! それに、この漲るような体力は……!?」
「ああ、ダシの中に『陽薬草』を少し刻んで入れたからな」
リアンが、さも当然のように言う。
「太陽の光を浴びて育つ薬草なんだけど、疲労回復と怪我の治癒にめちゃくちゃ効くんだよ。ポーションの材料にもなるしな。まあ、肩こりにも効くから遠慮なく飲んでくれ」
「…………」
信長は、空になった椀と、リアンを交互に見比べた。
そして、静かに頭を抱えた。
(……この村、完全に狂っとる)
SWAT顔負けの近代戦術を使う自警団。
謎の光学兵器(魔導ライフル)。
そして、ただの「夜食のおでん」に、現代医学の常識を木端微塵に粉砕する『超回復のチートアイテム』がブチ込まれているという事実。
この村に武力で挑むなど、自殺行為以外の何物でもない。
そう、完膚なきまでの「敗北」だった。
「……参った。降参じゃ。完全に胃袋を掴まれた」
信長は両手を上げ、苦笑するしかなかった。
「俺たちは日本国・陸上自衛隊。……怪しいもんじゃない。ただ、突然現れたこの大陸の調査に来ただけじゃ」
「知ってるよ」
リアンはにこやかに笑い、空になった信長の椀に、新しいおでんの具をポンと入れた。
「まあ、ゆっくりしていけ。ここは『ポポロ村』。美味い飯と平和を愛する、ただの田舎村さ」
ただの田舎村、という言葉の説得力の無さに、信長たちは引きつった笑いを返すしかなかった。
こうして、地球と異世界の歴史的なファースト・コンタクトは、一滴の血も流れることなく、強烈なダシの匂いと共に幕を開けたのである。




