EP 3
ルナミス帝国の帝都、その中心部にそびえ立つ豪奢なヴァレリウス侯爵邸。
その正門前に、文字通り「一陣の雷光」が降り立った。
「……ふぅ。ポポロ村から帝都まで、馬を潰さずに自らの脚で走り切れるとは。兄上の作ってくれた『ニラレバ炒め』の恩恵、凄まじいな」
息一つ乱さず到着したのは、青白い放電現象を全身に纏ったクラウス・クラインだった。
通常、馬を飛ばしても数日はかかる距離を、彼は溢れ出るマナを身体強化に全振りし、ほぼ音速のステップで走破してきたのである。
「たのもーっ! クライン公爵当主、クラウス・クラインである! ヴァレリウス侯爵に、領地の不当な関税についての直談判に参った! 門を開けられよ!」
生真面目すぎるがゆえの、真正面からの大音声。
だが、その声に応えて門が開くことはなかった。代わりに、侯爵邸の周囲を取り囲む石壁の上や、街路樹の影から、黒装束に身を包んだ数十人の暗殺者たちが音もなく姿を現した。
『……クライン公爵。侯爵閣下は、貴方のような青二才と話す舌は持ち合わせていないそうです』
「なんだと? 貴様らは、侯爵の私兵か!」
『ええ。そして、ここで「野盗に襲われて不運な死を遂げた」若き公爵の第一発見者となる者たちです』
暗殺者たちが一斉に毒の塗られた短剣を抜き、殺気を放つ。
侯爵邸のバルコニーでは、恰幅の良いヴァレリウス侯爵がワイングラスを片手に、獲物が罠にかかったのを嘲笑うように見下ろしていた。
「なんと卑劣な……! 対話のテーブルにすら着かず、暗殺で政敵を排除しようなどと、帝国貴族の風上にも置けぬ振る舞い! ノブリス・オブリージュの精神に反するぞ!」
クラウスは義憤に震え、愛剣の柄に手をかけた。
「手荒な真似はしたくなかったが……力ずくでも侯爵を引きずり出し、正論を叩きつけてやる!」
『やれ。骨一本残すな』
暗殺者部隊が、四方八方から同時に襲い掛かる。
死角を完全に潰した、プロフェッショナルによる不可避の同時攻撃。
だが。
彼らは知らなかった。目の前の愚直な青年が、現在「マナ回復量1000%増幅」という、神の領域のバフ飯(特製ニラレバ)を腹に収めていることを。
「我が剣は、迷いなき雷光ッ!」
クラウスが抜刀した瞬間。
彼の中に蓄積されていた莫大な魔力が、行き場を求めて一気に刀身へと流れ込んだ。
「――必殺! 『ライトニング・スプラッシュ』ッ!!」
それは、クラウス自身が最も驚く結果となった。
本来なら「周囲数十メートルに強力な電撃を放ち、敵を気絶させる」程度の大技である。
しかし、リアンの飯によって限界突破したその一撃は、もはや天災だった。
カッ……!!!
真昼の帝都が、純白の閃光に包まれた。
クラウスの剣から放たれた極太の雷の奔流が、放射状に広がり、襲い掛かってきた暗殺者たちを文字通り「一瞬で」消し炭一歩手前の黒コゲにして吹き飛ばした。
それだけではない。
余波の雷撃が、ヴァレリウス侯爵邸の堅牢な魔導防壁をガラスのように粉砕し、強固な鉄の正門をドロドロに溶解させ、前庭の美しい庭園をクレーターへと変えてしまったのだ。
「…………え?」
クラウスは、焦土と化した侯爵邸の前庭と、白目を剥いて全滅している暗殺者たちを見て、ポカンと口を開けた。
(な、なんだ今の威力は……!? 普段の十倍……いや、二十倍はマナが出たぞ!? 兄上のニラレバ炒め、恐ろしすぎる……!)
* * *
「ヒィィィィッ!?」
バルコニーからその光景を見ていたヴァレリウス侯爵は、ワイングラスを落とし、腰を抜かして震え上がった。
「ば、馬鹿な……! 我が金貨一万枚で雇った特級暗殺部隊が、たった一撃で……!? 防壁ごと吹き飛ばされただと!?」
「閣下! お逃げください! あれは人間の放つ魔法ではありません!」
騒ぎを聞きつけ、周囲の大通りには帝都の市民や、他の貴族たちが野次馬として集まり始めていた。
彼らの目に映ったのは、「無傷のクラウス」と「壊滅した暗殺部隊」、そして「半壊した侯爵邸」という圧倒的な光景だった。
「み、見ろ……! クラウス公爵だ!」
「侯爵が放った暗殺部隊を、たった一人で……しかも無詠唱で瞬殺したぞ!」
「あえて侯爵邸の門を吹き飛ばすことで、『貴様の陰謀など全てお見通しだ』という強烈なメッセージを送っているのだ……! なんという冷徹な計算、なんという覇気……! やはり雷光の公爵こそ、帝国最強……!!」
野次馬たちの間で、とんでもない「勘違い」が急速に伝播していく。
ただ単に「ニラレバの力が強すぎて手加減に失敗した」だけのクラウスが、帝都の人々からは『敵の陰謀を看破し、圧倒的な武力で示しをつける完璧な冷徹軍師』として崇められ始めたのだ。
「あ、いや、これはその……手加減を間違えたというか……」
クラウスが慌てて弁明しようとするが、その必死な態度すらも「あえて謙遜し、侯爵にトドメを刺さないことで恩を売る高度な政治的パフォーマンス」として受け取られてしまう。
「ひぃぃぃっ! ば、化け物め……ッ! 正論を叩きつけに来たなどと嘯きおって、最初から我が軍事力を削ぐのが目的だったのだな!?」
侯爵は恐怖に顔を歪め、這うようにして屋敷の奥へと逃げ込んでいった。
「待て! 私は本当に関税の話をしに来ただけで……ああっ、逃げてしまった!」
クラウスは呆然と立ち尽くす。
かくして、表舞台(帝都)において、「クラウス・クラインの武威」は、帝国全土を震え上がらせる絶対的なものとして確固たる地位を築いてしまったのである。
* * *
その日の夜。
半壊した侯爵邸の地下室で、ヴァレリウス侯爵は爪を噛みながら、自身の息子であるダリウス子爵に向かって怒鳴り散らしていた。
「おのれ、クラウスめ! あの若造、ただの正義感ぶった青二才だと思っていたが、とんだ食わせ物だったわ!」
「父上、どうなさいますか。このままでは我々ヴァレリウス派の威信が……」
「策はある!」
侯爵は血走った目で、机の上の地図――ルナミス帝国辺境の地図を指差した。
「ヤツがどれほど強大であろうと、必ず弱点はある。そう、ヤツが公爵位を継ぐ原因となった、無能で腑抜けな実の兄……リアン・クラインだ!」
「たしか、辺境のポポロ村とかいう田舎で、定食屋の真似事をしているとかいう、あの家の面汚しですか」
「そうだ! あの村は、現在他国との緩衝地帯として不透明な動きをしている。ダリウスよ、お前を『帝国特別視察官』としてポポロ村へ派遣する! 正規の兵を率い、適当な理由をつけてあの村を制圧し、リアンを人質に取れ!」
侯爵の口角が、醜悪に吊り上がった。
「クラウスの奴め……大事な兄を盾に取られれば、手も足も出まい。我が館を破壊した代償、たっぷりと払わせてやるわ!」
「承知いたしました、父上。辺境の村人など、私の権力と兵で徹底的に蹂躙してご覧に入れましょう!」
傲慢な息子は、己の破滅の道とも知らず、喜び勇んで出立の準備を始めた。
* * *
一方その頃。
彼らが「無能で腑抜けな兄」と見下している男は。
「――うん。最高の仕上がりだ」
ポポロ村の定食屋『ポポロ亭』の厨房。
深夜の静寂の中、リアンは三日三晩煮込み続けた『極濃・獣骨スープ』の味見をし、完璧な乳化具合に満足げに頷いていた。
「これなら、明日のランチは自衛隊の連中も村の奴らも、腰を抜かすほど喜ぶだろうな」
リアンは火を止め、スープの入った巨大な寸胴鍋に、ホコリが入らないように丁寧に蓋をした。
そこへ、足元の影から這い出してきた『影丸』が、スッと一枚のメモをリアンに差し出した。
「ん? 帝都に放ってた偵察用の『弓丸』からの報告か。……なるほどな」
メモを一読したリアンの瞳が、スッと温度を失った。
「クラウスの奴、やっぱりやりすぎたか。……で、侯爵のバカ息子が、俺を人質にするために兵を連れてこっちに向かってる、と」
リアンは、カウンターの奥に置かれた包丁を一瞥した。
「……ちょうどいい」
定食屋の親父の顔が消え、冷徹な『都市ゲリラの暗殺者』の顔が表出する。
「明日は、最高のラーメンを皆に食わせる大事な日だ。……店の周りに、腐ったゴミ(貴族)をうろちょろさせるわけにはいかないからな」
平穏なスローライフ(ラーメンの提供)を守るため。
リアン・クラインは、エプロンを外し、漆黒の外套を羽織った。
愚かなる侯爵の息子が、神の逆鱗――「絶対に怒らせてはいけない料理人」のスープの領域に足を踏み入れようとしていることなど、知る由もなかった。




