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EP 4

 翌朝。

 ポポロ村の広場は、夜明けと共に暴力的なまでの「食欲をそそる香り」に包まれていた。

「隊長! たまりません! 俺、昨日の夜からあの豚骨スープの匂いが鼻から離れなくて、一睡もできませんでした!」

「うむ……俺もじゃ。あれは合法の麻薬じゃぞ。早く一番乗りで並ぶんじゃ!」

 まだ薄暗いというのに、ポポロ亭の暖簾の前には、坂上信長をはじめとする自衛隊員たちや、早起きの村人たちが殺気立った様子で列を作っていた。

 今日はお待ちかね、『極濃・獣骨ラーメン』の正式な提供日である。

 厨房では、漆黒の外套からいつもの白いエプロンに着替えたリアンが、静かに寸胴鍋の火加減を調整していた。

「……フン。昨日の夜のうちに野営地ごと消し飛ばしてやろうかと思ったが、連中、軍用の『集団転移の巻物スクロール』を使って強行軍で向かってきやがったな」

 リアンの『影丸』の探知によれば、ヴァレリウス侯爵のバカ息子・ダリウスの率いる百名規模の兵団は、すでに村の入り口付近まで到達している。

 だが、リアンにとって最優先すべきは「最高の状態でラーメンを客に出すこと」だった。

 スープは今がまさに完璧な状態。ここで火から離れるわけにはいかない。

「まあいい。外で大人しく待ってるなら、後で適当に追い払ってやる」

 リアンがそう呟き、最初の麺を茹でようとお湯を沸かし始めた――まさにその時だった。

 ――ドガァァァァンッ!!

「な、なんだ!?」

「敵襲か!?」

 ポポロ村の入り口の木柵が、魔法の爆発によって乱暴に吹き飛ばされた。

 もうもうと立ち込める土煙の中から、完全武装したルナミス帝国の正規兵たちが、土足で村の広場へと雪崩れ込んでくる。

「ひぃっ!?」

「な、何をするだ! ここは不可侵特区だぞ!」

 悲鳴を上げる村人たちを兵士たちが乱暴に押しのけ、道を開ける。

 その中央を、これ見よがしな豪華な金糸の軍服を着込んだ高慢な青年が、馬上から見下ろすように進んできた。

 ヴァレリウス侯爵の嫡男、ダリウス子爵である。

「静まれ、辺境の薄汚い平民ども! 私は帝国の特別視察官、ダリウス・ヴァレリウスである! この村で帝国への反逆を企てているという、大罪人の身柄を拘束しに来た!」

 ダリウスは鞭を鳴らし、真っ直ぐに『ポポロ亭』の前へと馬を進めた。

「おい、自衛隊のおっさん! 邪魔だ、どけ!」

「あ? なんじゃお前ら。俺たちは昨日からこのラーメンのために並んどるんじゃ。視察だか何だか知らんが、最後尾に並べ」

 信長が不機嫌そうに睨みつける。アメリカの空母や獣人王を屈服させてきた彼らにとって、小国の貴族の私兵など、もはや「横入りしてくるマナーの悪い客」程度の認識でしかない。

「なんだと!? この私に向かって無礼な! ええい、構わん! 店に踏み込め!」

 ダリウスの命令で、十数人の兵士がポポロ亭の暖簾を強引に引きちぎり、土足で店内へと踏み込んだ。

「……おいおい。朝から騒がしいな」

 厨房の奥で、リアンが平ザルを持ったまま、冷ややかな視線を向けた。

「貴様がリアン・クラインだな! クライン家の面汚しめ。クラウスの野郎も、こんな無能を庇ってイキっていたとは笑わせる!」

 ダリウスは兵士を従え、ズカズカと厨房のカウンターにまで歩み寄る。

「貴様には国家反逆の容疑がかけられている。直ちに縄につけ! 貴様を人質にして、あの生意気な弟の首輪にしてやるわ!」

「……人質ねぇ。悪いが、今はこの『ラーメン』の提供で忙しいんだ。お前らの相手をしてる暇はない。帰れ」

 リアンはダリウスの言葉を完全に無視し、どんぶりに特製の醤油ダレを注ぎ始めた。

 その態度は、ダリウスの肥大した自尊心を最も逆撫でするものだった。

「き、貴様……! この私を無視して、そんな豚の餌みたいな下賤な料理を作っているというのか!?」

 ダリウスの顔が怒りで真っ赤に染まる。

 彼は、リアンが最も大切そうに火加減を調整していた、あの巨大な『寸胴鍋』に目をつけた。

「フンッ! こんなゴミを作るから、帝国貴族の誇りを忘れるのだ!」

 ダリウスは、躊躇することなく。

 リアンが三日三晩、徹夜でアクを取り、完璧な乳化状態にまで仕上げた『極濃・獣骨スープ』の入った寸胴鍋を――思い切り蹴り飛ばした。

 ガシャァァァァァァァァンッ!!!

 鈍い音と共に、巨大な寸胴鍋が床に倒れ込む。

 黄金色に輝く、奇跡のようなバランスで仕上がっていた極上のスープが。

 無惨にも厨房の床にぶち撒かれ、排水溝へとドロドロと流れ落ちていった。

「…………あっ」

 店内にいた村人たちが、息を呑んだ。

「あ、ああ……俺たちの、ラーメン……俺たちの生きる希望が……ッ」

 信長が、赤城が。

 自衛隊の猛者たちが、床に広がるスープを見て、絶望のあまり膝から崩れ落ちた。

「あははははっ! 見ろ、いい気味だ! 貴様らのような下層民には、お似合いの光景だな!」

 ダリウスが下品な高笑いを上げる。

 その瞬間だった。

 ――ギリリリリリリリッ!!!

 店内の空気が、凍りついた。

 物理的な温度の低下ではない。純粋で、濃密すぎる『殺気』。

 信長たち自衛隊員が、目から光を失い、無言のまま腰のホルスター(実弾入りの拳銃)やアサルトライフルに手をかけたのだ。

「隊長……。撃っていいスか。俺、もう我慢の限界っス。あいつら、ただの肉塊ミンチに変えていいスか」

「……許可する。骨の髄まで鉛玉をぶち込んでやれ」

 アメリカ軍すら生かして帰した彼らが、本気で、完膚なきまでに目の前の貴族を惨殺しようとしていた。

 食い物の恨み、それも「リアンの作った究極の飯」を目の前で台無しにされた恨みは、彼らにとって国際法よりも重いのだ。

「ま、待て! 貴様ら、何をする気だ!」

「……待て。やめろ、信長のおっさん」

 引き金が引かれる寸前。

 低く、地を這うようなリアンの声が、自衛隊員たちの動きを止めた。

「リアン殿! しかし、こいつらは!」

「俺の店だ。……俺の店を、これ以上汚すな」

 リアンは、平ザルを静かにシンクに置いた。

 そして、床に広がるスープを、布巾で無表情のまま拭き取り始めた。

 その横顔には、一切の感情が浮かんでいない。

 怒りも、悲しみもない。

 ただの『絶対零度』。

 それは、激昂する自衛隊員たちの殺気よりも、遥かに恐ろしく、底知れぬ深淵を感じさせるものだった。

「は、ははっ! そうか、腰抜けめ! 自分の無力さを悟ったか! ならば良い。おい、この村を包囲しろ! 一匹のネズミも逃がすな! 明日までに降伏しなければ、村ごと火の海にしてやる!」

 ダリウスはリアンの不気味な静けさに一瞬怯んだものの、虚勢を張って捨て台詞を吐き、兵士たちと共にポポロ亭から出て行った。

     * * *

 静まり返った厨房。

 リアンは最後のスープの一滴まで綺麗に拭き取ると、血の滲むような力で布巾を絞った。

「……リアンさん」

 カウンターの隅で一部始終を見ていた日野輝夜が、静かに声をかける。

「あれほどの侮辱を受けながら、なぜ手を出さなかったのですか? あなたの力なら、あの場で全員の首を刎ねることも容易かったはずです」

「……あんなゴミ共の血で、俺の厨房のまな板を汚したくなかっただけだ」

 リアンは白いエプロンを外し、ハンガーにかけた。

 そして、魔法ポーチから、漆黒の外套と、無数の刃物が仕込まれたタクティカルベルトを取り出し、身につけ始める。

「それに、『都市ゲリラ教本』の教えに反する。……敵の土俵で戦う必要はない。敵が最も安心し、油断している夜の闇の中で、全てを刈り取るのがセオリーだ」

 リアンの瞳が、暗殺者の色――完全なる漆黒に染まった。

 彼にとって、アメリカ海軍や魔王の襲来は「ちょっとしたアクシデント」だった。

 だが、このヴァレリウス侯爵の愚息が犯した罪は違う。

 三日三晩、丹精込めて作った『客に食べさせるはずだったスープ』を、悪意を持って踏みにじった。

 これは、料理人にとって最も許されざる『万死の罪』である。

「……影丸」

「……(スッ)」

 足元の影が這い出し、黒騎士が冷たい殺気を放って立ち上がる。

「弓丸とミニ丸軍団、全員に実戦装備(致死毒)の許可を出す」

 リアンは、神殺しのダガー『雷霆』を腰に帯びた。

「今夜、村を囲んでいるあのゴミ共を……塵一つ残さず、この世から『消去』する」

 最強の料理人が、真の怒りの沸点を超えた。

 ルナミス帝国の高慢な貴族たちは、今夜、人類がかつて経験したことのない『理不尽で完璧な絶望』を味わうことになる。

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