EP 10
ポポロ村の昼時。
定食屋『ポポロ亭』の前には、今日も長蛇の列ができていた。
迷彩服を着た陸上自衛隊の隊員たち、村の自警団、そして近所のオバチャンまでが、換気扇から漂ってくる「肉椎茸とマヨ・ハーブのハンバーグ」の暴力的な匂いに胃袋を掴まれ、大人しく順番を待っている。
そののどかな行列の最後尾に、凄まじい土煙を上げて『乱入者』が現れた。
「ここがポポロ村か! 空飛ぶ城の主とやら、我らレオンハートの牙とくと味わうが良い!」
黄金のたてがみを揺らし、身の丈2メートルを超える筋骨隆々の巨漢が吠えた。
レオンハート獣人王国の絶対君主、アーサー獣人王。その後ろには、近衛騎士団長ハガルをはじめとする、一騎当千の獣人エリートたちが控えている。
彼らの全身から立ち昇る『闘気』は、周囲の空気を歪ませ、ビリビリとした静電気のようなプレッシャーを放っていた。
「おいおい、なんじゃあの暑苦しい連中は。……ライオンの獣人?」
列の真ん中あたりに並んでいた坂上信長が、怪訝そうに振り返る。
「どけェッ! 弱者ども! 我が王の御前であるぞ!」
ハガルが鋭い殺気を放ちながら、列を強引に掻き分けようとした。
だが、自衛隊員たち――特に、空腹が限界に達している第一空挺団の面々は、その殺気を浴びても一歩も引かなかった。
「……あ? なんだおっさん、横入りする気か? 俺たち、朝の訓練終わってからずっとこのハンバーグ並んでんだよ。後ろに回れ」
「な、なんだと……!? 貴様ら、我らの放つこの闘気が恐ろしくないのか!」
「闘気より空腹の方が恐ろしいんじゃボケ! あと3人で俺の番なんじゃ、邪魔すんな!」
なんと、最強の獣人部隊の威圧が、「定食屋の行列の熱意」に完全に負けていた。
これにはハガルも面食らい、思わずたじろいでしまう。
「くっ……ははははっ! 面白い! 良い面構えだ、ヒヨッコども!」
アーサー王が豪快に笑い飛ばし、列の先頭――ポポロ亭の暖簾の前にズンッと立ち塞がった。
「だが、我は並ぶ趣味はない! おい、リアン・クラインとやら! いるのは分かって――」
バシィィィッ!!
アーサー王が怒鳴り込もうとした瞬間、店の奥から飛んできた『濡れタオル』が、王の顔面にクリーンヒットした。
「うるせえ。並べって言われてるのが聞こえねえのか、デカブツ」
暖簾を掻き分けて出てきたのは、白いエプロン姿のリアンだった。
その右手には、まだジュージューと音を立てている分厚い『鉄製のフライパン』が握られている。
「あ、兄上! そやつらはレオンハートの獣人王とその近衛です! まともにやり合っては――」
店内でハンバーグを食べていたクラウスが、顔を青ざめさせて立ち上がる。
だが、リアンは全く意に介さない。
「貴様……我が王の顔に雑巾を投げつけるとは、万死に値するぞッ!」
「待て、ハガル。手出しは無用だ」
激昂するハガルを制し、アーサー王は顔からタオルを乱暴に払い除けた。
その黄金の瞳が、獰猛な捕食者の色に染まる。
「貴様がリアンか。……なるほど、隙の無い立ち姿。空の城の主というのも頷ける。だが、我が拳は城の装甲ごと貴様を打ち砕くぞ!」
ゴオォォォォォォッ!!
アーサー王の全身から、先ほどとは比較にならないほどの爆発的な『黄金の闘気』が噴き上がる。それは物理的な衝撃波となって、周囲の看板をガタガタと揺らした。
「いくぞォォッ!!」
ドムッ!!
アーサー王が地面を蹴る。石畳が粉々に砕け散り、王の巨体が砲弾のような速度でリアンへと迫った。
闘気を極限まで圧縮した、必殺の右ストレート。まともに食らえば、大型の飛竜すら一撃で即死する威力の暴力。
――だが。
「『都市ゲリラ教本』基本その4。……敵の突進には、逆らわず『軌道』だけをズラす」
リアンは一歩も退かなかった。
代わりに、右手に持っていた鉄のフライパンを、絶妙な角度で傾けてアーサー王の拳の軌道上にスッと差し出した。
ガァンッ!!
王の拳がフライパンの底に激突する。
しかし、リアンは『マギー キッチン・サイエンス』の物理法則(力のベクトル分散)と、自身の卓越したCQC(近接格闘術)の歩法を完全に融合させていた。
フライパンを滑るように滑脱した王の強大な運動エネルギーは、リアンを殴り飛ばすことなく、そのまま王自身の体勢を前へのめり込ませる力へと変換された。
「な……っ!?」
空を切ったアーサー王の顔面に、リアンは一切の容赦なく、左手の手刀を叩き込んだ。
狙うは、獣人の発達した三半規管――耳の裏の急所。
ドガァァッ!!
「ぐぼァッ……!?」
脳が揺れ、視界が反転する。
アーサー王の巨体が、まるで糸の切れた操り人形のように、ポポロ亭の前の石畳に顔面から激突した。
ズズゥゥンッ……。
土煙が舞う。
沈黙。
自衛隊員も、ハガルたち獣人エリートも、そして弟のクラウスも。全員が顎を外さんばかりに目を見開いていた。
レオンハート王国最強の王が。
定食屋の親父が振るった『フライパンによるいなし』と『手刀の一撃』だけで、たった2秒で地に伏せているのだ。
「……お、王が……一撃で……!?」
「馬鹿な……闘気の防御を完全にすり抜けたというのか……ッ!」
ハガルが震える声で呻く。
リアンは、倒れ伏したアーサー王の背中の上に「よっこいしょ」と腰を下ろし、ため息を吐いた。
「お前なぁ。店の前で無駄に熱い闘気を撒き散らすな。……せっかく完璧な温度に保ってたフライパンの表面温度が、お前の熱で2度上がっちまっただろうが」
国家の危機よりも、フライパンの温度(料理のコンディション)。
リアンは、まだ意識が朦朧としているアーサー王の髪を掴んで強引に顔を上げさせると、フライパンの上に乗っていた『アツアツのハンバーグ』を、その口に強引に突っ込んだ。
「あぐっ……!? き、貴様……我に毒を――」
アーサー王が吐き出そうとした、その瞬間。
ジュワァァァァァァッ!!
肉椎茸の圧倒的な旨味と、焦がし醤油&マヨ・ハーブの悪魔的なコクが、獣人王の味覚細胞を容赦なく蹂躙した。
「…………ッ!!?」
アーサー王の瞳孔が限界まで開き、全身の毛がブワッと逆立った。
なんだこれは。
野生の血が、本能が、激しく警鐘を鳴らしている。
これ以上噛めば、この圧倒的な『美味さ』の奴隷になってしまうと。だが、獣の強靭な顎は、脳の命令を無視して勝手にハンバーグを咀嚼し始めていた。
「う……美味ォォォォォォォォッ!?」
アーサー王の目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
宮廷の肉料理など生ゴミに思えるほどの、ジャンクで暴力的な旨味。
彼は地に伏せ、リアンに馬乗りになられた状態のまま、口の周りをソースまみれにして「もっと! もっと食わせろォ!」と地面をバンバン叩き始めた。
「……我が王の、野生のプライドが……ハンバーグ一つで完全にへし折られた……」
ハガルが膝から崩れ落ちる。
最強の獣人部隊の心が、完全にポキリと折れた瞬間だった。
「ほら、食い足りないなら大人しく最後尾に並べ。ちゃんと順番通りに出してやるからよ」
リアンがアーサー王の背中から降りてエプロンの埃を払うと、獣人王は「は、はいッ! すぐ並びますッ!」と血相を変えて立ち上がり、自衛隊員たちの後ろへ猛ダッシュで列を作った。
近衛騎士たちも、慌ててその後ろに続く。
「……信長のおっさん。悪い、ちょっと騒がしくなったな」
「いや、もう慣れたわい……。しかし、アメリカの空母の次は、獣人国の王をフライパン一つで屈服させるとはのう」
信長が呆れたように笑いながら、自分の分のハンバーグ定食を受け取る。
ポポロ亭のカウンターでは、弟のクラウスが「兄上は……やはり神の化身だったのだ……」とブツブツ呟きながら、完全にリアンへの信仰を拗らせていた。
* * *
「……素晴らしい。武力による制圧からの、胃袋による完全支配。しかも、店の中(領土)を一切荒らさせない完璧な手際」
少し離れた場所で、内閣政務官補佐官の日野輝夜が、うっとりとしたため息を漏らしていた。
「これで、アメリカ第七艦隊に続き、レオンハート獣人王国のトップすらも、あの定食屋の『常連客(犬)』に成り下がりましたね。……霞が関の外交官が束になっても、リアンさんのフライパン一つに勝てないとは」
彼女の隣では、早乙女蘭が「獣人王の運動エネルギーを0.2秒で無力化した物理演算、ヤバすぎです……」とタブレットを叩きながら戦慄している。
地球の最新兵器も、異世界の最強生物も。
ポポロ村の定食屋の前では、ただの「腹を空かせた客」でしかない。
リアン・クラインの絶対不可侵のスローライフは、今日も香ばしい肉の匂いと共に、狂った世界の中心で回り続けていた。




