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EP 8

 ポポロ村の上空数百メートルに浮かぶ、全長600メートル超の空飛ぶ空母戦艦『轟丸ごうまる』。

 アメリカ第七艦隊を絶望のドン底に叩き落としたこの究極の戦略兵器の内部で、今、信じられない光景が繰り広げられていた。

「……はぁぁ〜っ、極楽じゃあ……。まさか異世界の空母の中で、総檜ひのき作りの露天風呂に入れるとはのう……」

 頭にタオルを乗せた坂上信長が、ブクブクと泡立つバイブラバスに浸かりながら、だらしない声でとろけていた。

 彼の隣では、赤城をはじめとする陸上自衛隊の面々が「隊長! サウナの温度最高ッス!」「水風呂もキンキンです!」とはしゃぎ回っている。

「信長殿……! 貴殿らは狂っているのか!? ここは国家を滅ぼすための『戦略兵器』の内部だぞ! そこでフルチンになって手足を伸ばすなど、騎士としての危機感が……ッ!」

 湯船の隅っこで、弟のクラウスが顔を真っ赤にしてガタガタと震えていた。

 彼にとって、この轟丸は『神殺しの要塞』と同義である。その中にある大浴場(なぜか富士山のペンキ絵まである)でくつろぐなど、神への冒涜のように感じられて仕方ないのだ。

「固いこと言うな、クラウス。いいか、俺の親父(出雲艦隊司令)が言っとった。『兵士は休める時に休まんと、地獄は歩けん』とな」

「しかし……」

「おーい、風呂から上がったら食堂に集合しろー。ピラダイが焼き上がったぞー」

 脱衣所のスピーカーから、リアンののんきな声が響き渡る。

「おおっ! 飯じゃ! ほらクラウス殿、お主も早く体を拭け! 兄君の飯が待っとるぞ!」

「あ、兄上の飯……! 行きます! すぐ行きます!」

 『リアンの飯』という最強の魔法の言葉により、生真面目な公爵当主の危機感は、わずか一瞬で胃袋への欲求に上書きされた。

     * * *

 轟丸の内部に設けられた、百人は収容できそうな広大な食堂スペース。

 そこに並べられたのは、こんがりと黄金色に焼き上げられた『ピラダイの塩焼き』だった。

「さあ、冷めないうちに食ってくれ。ピラニアみたいなツラしてるが、味は保証する」

 エプロン姿のリアンが、次々と大皿を運んでくる。

 信長とクラウスは、箸を使ってふっくらとした白身をほぐし、口へと運んだ。

「……ッ!! 美味ぁぁぁぁぁっ!?」

 二人の声が完全にハモった。

 凶悪な見た目からは想像もつかないほど、上品で深みのある白身。だが、噛み締めた瞬間にジュワリと溢れ出す強烈な脂の甘みは、地球の高級な鯛すらも児戯に等しいと思わせるほどの破壊力を持っていた。

「隊長! このパリパリの皮と、ほどよい塩加減がヤバいです! これ、白米(米麦草)が無限に消えていきますよ!」

「ああ……! 美味い、美味すぎる! アメリカ軍を追い返してくれた海の神様に感謝じゃあ!」

 風呂上がりの火照った体に、極上の塩焼きと、よく冷えた芋酒が染み渡っていく。

 そんな中、リアンは食堂の窓から眼下に広がるポポロ村の夜景を見下ろし、満足げに芋酒のグラスを揺らしていた。

 世界を揺るがす空母を召喚しようが、アメリカを屈服させようが、彼にとっては「最高の釣りをして、最高の飯を食う」ためのプロセスに過ぎない。

「……リアンさん」

 ふと、背後から声をかけられた。

 振り返ると、スーツ姿からラフな私服に着替えた内閣政務官補佐官・日野輝夜が立っていた。彼女もまた、日本政府の特使でありながら、ちゃっかり轟丸の恩恵(女湯)を享受していたのだ。

「輝夜さんか。風呂、どうだった?」

「最高でした。……まさか、空飛ぶ要塞で露天風呂に入りながら海を見下ろす日が来るとは、霞が関の誰も想像していなかったでしょうね」

 輝夜はリアンの隣に立ち、同じように窓の外を見つめた。

「アメリカの第七艦隊は、完全にこの海域から撤退しました。本国のペンタゴン(国防総省)は大パニックだそうです。……日本政府としては、あなたという絶対的な『盾』のおかげで、圧倒的優位な立場でアメリカとの交渉に臨むことができます」

「そいつは重畳。これでしばらくは、釣りの邪魔も入らないだろうしな」

 リアンはピラダイの塩焼きを突きながら、ふっと笑う。

「でも、リアンさん。あなたは気づいていないかもしれませんが……」

 輝夜は、横目でリアンの顔を見つめた。

 その瞳の奥には、彼に対する恐ろしいほどの執着と、熱狂的な信仰に近い光が宿っている。

「たった数日の間に、あなたは日本政府の胃袋を掴み、魔王と女神を飯で手懐け、世界最強の米軍を指先一つで追い払った。……今や、この世界アナスタシアと地球の運命は、全てあなたの『ポポロ亭』のカウンターを中心に回っているんですよ」

 国家間のパワーバランス、貿易協定、そして軍事力。

 その全てが、この『定食屋の親父』の機嫌一つ、いや、「明日の仕込みの都合」一つでひっくり返る狂った世界。

 だが、それこそが輝夜の求めていた『迷いのない世界』の完成形だった。

「ま、大袈裟な話はいいさ」

 リアンは窓を開け、夜風を食堂に招き入れた。

 空母戦艦の窓から見上げる夜空には、地球のものとよく似た、丸くて美しい月が輝いている。

「俺は、俺の周りの奴らが笑って、こうして美味い酒と飯を食えればそれでいい。そのためのチートだ。……それ以上でも、それ以下でもない」

「ええ。分かっています」

 輝夜は、リアンから芋酒のグラスを受け取った。

「あなたは、そのままでいてください。あなたが暗闇を照らす『月』である限り、私があなたの足元のドブ浚い(政治)を全て引き受けますから」

「……おっかない姉ちゃんだな、相変わらず」

 リアンは苦笑いしながら、輝夜のグラスに軽く自分のグラスを当てた。

 チンッ、と。

 空飛ぶ戦艦の食堂で、心地よいグラスの音が響く。

 太平洋に出現した異世界。

 そこにあるのは、魔王も、自衛隊も、エリート官僚も、等しく一杯の飯の前に平伏す、最高に美味しくて狂った『新しい日常』。

「よし、明日のランチは『肉椎茸とマヨ・ハーブのハンバーグ』にするか! 影丸、玉ねぎのみじん切り、100個頼むぞ!」

「……(ガッツポーズ)」

 究極の暗殺術と、圧倒的な無双兵器を隠し持ちながら。

 最強の元シェフ・リアンの異世界スローライフは、今日も最高潮の美味い匂いを漂わせながら続いていくのだった。

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