EP 7
日本の特使と魔王の側近による数兆円規模の極秘会談が『ポポロ亭』で妥結した、翌朝のこと。
マンルシア大陸、ポポロ村の近海に、圧倒的な質量を持つ「灰色の壁」が迫っていた。
「……全艦、陣形維持。これより我が第七艦隊は、この海域を完全封鎖する」
米海軍の旗艦、揚陸指揮艦『ブルー・リッジ』の艦橋。
ジャック・フォークナー司令官は、血走った目で水平線の彼方――ポポロ村の海岸線を睨みつけていた。
昨日の『銀色の機械竜(空丸)』による一方的な武装解除は、米軍のプライドを粉々に打ち砕いた。
だが、最強国家の軍隊が、あんな正体不明のトカゲ一匹に尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。フォークナーはハワイの太平洋軍司令部から増援を引きずり出し、原子力空母、イージス駆逐艦、原子力潜水艦を含む『空母打撃群』をフル稼働させて、この海域に舞い戻ってきたのだ。
「武装を無力化されたなら、それ以上の数で押し潰すのみ。あの機械竜が現れたら、今度はイージスシステムと電子戦機のジャミングでシステムを焼く。……日本と魔族の独占など、絶対に許さんぞ」
大国の意地とメンツを懸けた、巨大な艦隊。
その威圧感は、海岸線に立つ人間からすれば、世界が終わるかのような絶望的な光景だった。
* * *
「……終わった。俺たち、終わったんじゃ」
ポポロ村の海岸。
波打ち際に置かれたクーラーボックスに座り込み、坂上信長が頭を抱えていた。
彼の横では、弟のクラウスが青ざめた顔で愛剣の柄を握りしめている。
「あ、兄上……。あの水平線を埋め尽くす鉄の船……。魔法の気配は微塵もしませんが、あれは間違いなく『国家を滅ぼすための暴力』の結晶です。いくら兄上でも、あれほどの軍隊を相手にするのは無茶です! ここは一旦退いて、ルナミス帝国の本軍を――」
「おいおい、退くわけねえだろ」
麦わら帽子にTシャツ、首にタオルを巻いた完全な『休日のおっさん』スタイルのリアンが、不満げに眉をひそめた。
彼の手には、立派なカーボン製の釣り竿が握られている。
「今日は最高の釣り日和なんだ。この海域で採れる『ピラダイ』って魚、知ってるか? ピラニアみたいに狂暴だが、鯛より脂が乗ってて、塩焼きにすると最高に美味いんだぞ。……今日のランチの目玉にする予定なんだから」
「い、いや兄上! 魚を釣っている場合では!」
クラウスの悲鳴をよそに、リアンはチッ、と舌打ちをした。
「あのアメリカの鉄屑ども……。あんなデカいエンジン音とソナーの波を撒き散らしながら近づいてきやがって。おかげでピラダイが全部岩陰に逃げちまっただろうが」
リアンの瞳の奥で、冷たい怒りの炎が灯る。
国家間のパワーバランス? 大国のプライド?
そんなものは知ったことではない。彼にとっての絶対悪とは、「今日の食材調達を邪魔する奴」である。
「影丸。クーラーボックス見とけ」
「……(コクリ)」
影丸に留守番を任せ、リアンは波打ち際のギリギリまで歩み出た。
そして、手にした釣り竿を砂浜に突き立てると、両手をだらりと下げ、深く息を吸い込んだ。
「目には目を。……空母には、空母だ」
リアンが虚空を睨みつけた瞬間。
マンルシア大陸の空と海が、文字通り「鳴動」した。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!!
「な、なんじゃ!? 地震か!?」
「海が……海が割れていくッ!?」
信長とクラウスが尻餅をつく。
リアンの前方の海面が、莫大な魔力の干渉によってモーセの十戒のごとく左右に割れ、巨大な水柱が天を突いた。
そして、割れた海の底(次元の狭間)から、凄まじい轟音と共に『それ』が浮上してきた。
アメリカの最新鋭原子力空母を遥かに凌駕する、全長600メートル超の超弩級装甲。
甲板には、あの米軍を絶望させた銀色の機械竜『空丸』が、ズラリと10機も着艦している。
側面にびっしりと並ぶのは、迎撃用CIWS、対艦ミサイルVLS、そして対潜魚雷の発射管。
だが、最も常軌を逸しているのは――その巨大な鉄の要塞が、青白いプラズマの炎を噴射し、重力を無視して『空中に浮遊』していることだった。
召喚スキル(極)――空飛ぶ空母戦艦『轟丸』。
『ブォォォォォォォォッ!!』
轟丸が、天を震わせるような重低音の汽笛(?)を鳴らす。
「あーあ、出しちまった。こいつ、デカすぎて掃除が面倒くさいんだよな……。特に大浴場のカビ取りとか」
リアンは首をポキポキと鳴らすと、足元の影に沈み込み、次の瞬間には上空に浮かぶ轟丸の艦橋――その真上に転移していた。
* * *
『…………は?』
米軍第七艦隊旗艦、ブルー・リッジのCIC。
レーダー手は、計器のバグだと思って何度も画面を叩いた。だが、メインモニターに映し出された映像は、残酷な現実を突きつけていた。
「し、司令官ッ……! ポポロ村の沿岸に、未確認の超巨大艦艇が出現! 全長600メートル以上、しかも……空に、空に浮いていますッ!」
「馬鹿なッ!? 空母が空を飛ぶだと!? どこのSF映画だ!」
フォークナーが絶叫する。
だが、絶望はそれだけではなかった。
「か、甲板上に熱源反応! 昨日、我々の兵装を全滅させた『銀色のドラゴン』が……10機です! 10機搭載されています!」
「……っ!?」
フォークナーの心臓が、恐怖で鷲掴みにされた。
あの一匹だけで艦隊を無力化できるバケモノが、10匹。
それを艦載機として運用する、空飛ぶ巨大要塞。
アメリカが誇る空母打撃群など、あのバケモノの前では「ただの浮かぶブリキ缶」に過ぎないということを、彼らは本能で理解させられた。
『――あー、あー。テステス。聞こえてるか、星条旗の兄ちゃんたち』
突如、米軍の全艦船の通信ジャックされ、さらに空に浮かぶ『轟丸』の外部スピーカーから、耳を劈くような大音量の日本語が響き渡った。
『お前らのスクリュー音とソナーのせいで、今日のランチに使うピラダイが逃げちまっただろうが。釣りの邪魔だ。1分以内にその鉄屑を反転させて帰らないと、お前らの船、全部「魚礁(海の底)」にするぞ』
フォークナーは、その声に耳を疑った。
地球の覇権国家たるアメリカ海軍を壊滅させるほどの戦力を持ち出しながら。
このふざけた要塞の主は、ただ「釣りの邪魔だからどけ」と言っているのだ。
「……司令官。どう、しますか……?」
副官が、震える声で尋ねる。
フォークナーは、モニターに映る空母『轟丸』と、その艦橋の上で腕を組んで立つ、麦わら帽子姿の青年を睨みつけた。
彼我の戦力差は、もはや「戦争」すら成立しない。アリと神の戦いだ。
「……全艦、直ちに機関反転」
フォークナーは、血の滲むような声で命令を下した。
「一隻残らず、ハワイまで撤退しろ……! 我々は……『触れてはいけない領域』に足を踏み入れたのだ……ッ」
* * *
数十分後。
波一つない穏やかなポポロ村の海に、平和な潮騒の音が戻ってきた。
「いやー、すまんすまん。ちょっと脅かしすぎたかな。ほら、釣れたぞ。特大のピラダイだ」
何事もなかったかのように砂浜に戻ってきたリアンが、クーラーボックスに巨大な魚を放り込んだ。
彼の背後の上空には、いまだに『轟丸』が圧倒的な存在感を放って浮遊している。
「あ、兄上……。あの空飛ぶ城は、一体……?」
クラウスが、震える指で轟丸を指差す。
リアンは「ああ、あれか」と軽く笑った。
「俺の召喚獣の『轟丸』だ。中に広いキッチンと、大浴場が付いててな。昔はよくあの中で仕込みをしてたんだが、デカすぎて出すのが面倒で最近使ってなかったんだよ」
「だ、大浴場……? あの神の兵器のような城に……?」
「おう。せっかく出したんだ、信長のおっさんも後でひとっ風呂浴びていくか? サウナも付いてるぞ」
リアンが気さくに笑いかけるが、信長は完全に魂が抜けた顔で、砂浜に正座していた。
「……神じゃ。俺は今、神と同じ空気を吸っとるんじゃ……。出雲艦隊の親父よ……あんたが相手にしとったのは、チートとかそういう次元の存在じゃなかったわい……」
最強の国家権力を、究極の兵器(轟丸)で、極めてくだらない理由(釣り)のために屈服させる。
世界の頂点に立つ男は、釣り竿を肩に担ぎ、夕日に向かって歩き出した。
「さあ、帰って塩焼きの準備だ。美味いピラダイと、冷えた芋酒が待ってるぞ!」
圧倒的な力と、圧倒的に美味い飯。
ポポロ村の定食屋の親父の恐るべき真の姿は、こうして世界に「最強のトラウマ」として刻み込まれたのであった。




