EP 6
深夜のポポロ村。
コオロギの鳴き声だけが響く静寂の中、定食屋『ポポロ亭』の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
「……うぅっ、ひっぐ……ッ。月人くん……尊い、尊すぎるのだ……っ」
「アンコールのアレ、反則よね……。私、もう一回世界を創り直せるくらい浄化されたわ……」
次元のゲートから這い出してきたのは、ボロボロに泣き腫らした顔の魔王ラスティアと、女神ルチアナだった。
二人の両腕には、朝倉月人の公式うちわ、マフラータオル、そして大量のアクリルスタンドが抱えられている。
「……お戻りなさいませ。そして、お願いですからその辺で『尊い』と念じるのはやめてください。村の重力場が歪んでます」
後ろから、両手に抱えきれないほどのグッズの入った紙袋(物販の戦利品)を提げたルーベンスが、死んだような目でため息を吐いた。
「お、帰ってきたな。ライブはどうだった?」
ポポロ亭の勝手口から、エプロン姿のリアンが顔を出す。
「リアン殿ぉぉぉッ!!」
魔王ラスティアが、鼻水をすすりながらリアンのエプロンにすがりついた。
「月人くんが! 我の方を見て、指を差してウインクしてくれたのだ!! あれは間違いなく我へのファンサだ! ああっ、この高ぶる魔力をどこへぶつければいいのだァァァッ!」
「バカ言わないでよ! あれは私の『ルチアナここ見て』って書いたうちわに反応したのよ! 私のファンサよ!」
魔王と女神が、店の前でガチの小競り合いを始める。
その光景を、店の中で水拭きをしていた弟のクラウスが、泡を吹いて倒れそうな顔で見つめていた。
「あ、兄上……。あの恐るべき魔力を放つ御方たちは……まさか、アバロン皇国の……?」
「ああ。ただの重度のオタクだ。気にしなくていい」
「ただのオタクで空間が歪むわけないでしょうがぁぁっ!?」
クラウスの悲鳴をBGMに、リアンはポンと手を叩いた。
「ほら、お前ら。叫びすぎて腹減ってんだろ。中に入れ。ライブ後の体にガツンと効く『サ飯(サウナ飯ならぬライブ後飯)』を作ってやる」
* * *
カンッ、カコンッ、ジュゥゥゥゥッ!!
深夜のポポロ亭に、中華鍋を振るう小気味良い音が響く。
リアンが強火で炒めているのは、大量の『米麦草』の白飯と、サイコロ状に切った『肉椎茸』。
だが、今回の主役はそれだけではない。
「影丸。ニンニク、マシマシで頼む」
「……(コクン)」
影丸が、すり下ろした強烈な匂いのニンニクと、極上の『ラード(豚神屋インスパイア)』を、惜しげもなく鍋へブチ込む。
最後に『醤油草』の特製ダレを回しかければ、暴力的なまでの香ばしさが爆発した。
「お待ち。リアン特製、『背脂ニンニクマシマシ・ジャンク肉炒飯』だ」
ドンッ、とカウンターに置かれた三つのどんぶり。
黄金色に輝く米粒一つ一つがラードでコーティングされ、焦がしニンニクと醤油の香りが、ライブで枯渇した彼女たちの本能(食欲)をダイレクトに殴りつける。
「……ッ!!」
ラスティア、ルチアナ、ルーベンスの三人は、無言でレンゲを手に取り、一心不乱に炒飯を掻き込み始めた。
「んんんんんッ!! 美味い!! この下品なまでの油とニンニクが、叫び疲れた五臓六腑に染み渡るのだァァァッ!!」
「カロリー! これ絶対カロリーやばいけどスプーンが止まらないわァァッ!」
「……ふぅ。胃薬より、この油の方が精神を修復してくれますね……」
魔王も女神も貴公子も、顔をテカテカに光らせながら、あっという間にどんぶりを空にしていく。
圧倒的なカロリー摂取による、強制的な多幸感。
リアンは麦茶を出しながら、満足げにその食べっぷりを眺めていた。
「ガリッ、ボリボリッ」
――その時。
店の隅のテーブル席から、不作法に飴玉を噛み砕く音が響いた。
「……いやはや。魔王陛下のお口にも合って何よりです。ライブの余韻と極上の夜食を楽しんでいただけたのなら、日本政府としても鼻が高い」
そこに座っていたのは、いつの間にか入店していた経済交渉官・力武義正だった。
彼は口の中でコーヒーキャンディを転がしながら、鋭い鷹のような目でルーベンスを見据えた。
「さて、アバロン皇国筆頭内務官、ルーベンス殿。……『遊び(推し活)』の時間は終わりです。チケット代と、今後の我が国との『貿易協定』について、算盤を弾かせてもらいましょうか」
「……ええ、望むところです。力武特使」
ルーベンスがレンゲを置き、口元をナプキンで拭う。
先ほどまで疲れた中間管理職だった彼の顔が、一瞬にして冷徹な『魔族のCEO』のそれへと切り替わった。
「提供されたチケットの対価として、我が国はS級魔石の鉱脈の一つを日本国へ優先的に輸出する準備があります。しかし、関税ゼロというわけにはいきません。レートは……」
「金貨一枚につき日本円で一万、魔石の純度基準はこちらのISO規格(地球の工業規格)に準拠していただきます。それ以下は不良品として買い叩きますよ」
「ふっ、足元を見ますね。その規格では歩留まりが悪すぎる。ならば技術提供を……」
深夜の定食屋で、地球の経済の天才と、異世界の頭脳による、数兆円規模の国益を懸けた凄まじい舌戦が始まった。
飛び交う専門用語、マクロ経済学と魔法経済のハイコンテクストな殴り合い。
弟のクラウスは「な、何を言っているのか全く分からん……」と目を白黒させている。
だが、その張り詰めた空気を、リアンがポンと手を叩いてぶち壊した。
「おいおい。俺の店の中で難しい話をするな。……お前ら、魔石の取引をするってことは、『魔石のカス』が大量に出るってことだよな?」
「……え? ああ、はい。純度を満たさない残滓は、魔力が抜けたただの石ころですから、廃棄処分になりますが……」
力武が目を瞬かせると、リアンはニヤリと笑った。
「じゃあ、その『魔石のカス』、全部うちの村によこせ。砕いて畑に撒くと、ミネラルたっぷりの最高の肥料になるんだよ。……明日の『ハニーかぼちゃ』を極上に育てるためにな」
沈黙。
数兆円の貿易摩擦の真ん中で、定食屋の親父が「廃棄物のカスを肥料にくれ」と割り込んできたのだ。
「……ふっ、くくくっ! あははははっ!」
力武が、腹を抱えて笑い出した。
「いいでしょう! 魔石の残滓は、全てポポロ村へ無償提供する条項を付け加えましょう。……ルーベンス殿、異論は?」
「……ありません。廃棄コストが浮くなら、こちらとしてもありがたい」
ルーベンスも、毒気を抜かれたように肩をすくめた。
国家間の熾烈な覇権争いすら、この男の前では「明日の美味しいかぼちゃ」のための肥料作りに過ぎない。
「よし、交渉成立だな。お祝いに、デザートの『月見大根のシャーベット』を出してやる」
リアンが冷蔵庫を開ける音を背に聞きながら、力武は確信していた。
日本とアバロン皇国、二つの大国を結びつける最強の楔は、軍事力でも経済力でもなく、この『ポポロ亭』のカウンターなのだと。
「……さあて、日本とアバロンが手を結べば、焦るのは『太平洋に浮かぶ灰色の船』ですね」
力武はコーヒーキャンディを飲み込み、不敵に笑う。
静かな夜の裏側で、世界はリアンを中心に、さらなる激動へと舵を切ろうとしていた。




