EP 3
ルナミス帝国の首都から、馬を飛ばして数日。
クライン公爵家の現当主であり、弱冠23歳にして帝国最強の雷属性魔法剣士と謳われるクラウス・クラインは、深い憂慮と共にポポロ村の入り口に立っていた。
「……兄上。どうかご無事でいてくれ」
ノブリス・オブリージュ(貴族の義務)を絵に描いたような、生真面目で正義感の強い美青年。
彼が公爵位を継いだのは、本来の嫡男である兄・リアンが「俺は定食屋をやってスローライフを送る」と言って、領地を放り出して辺境の村へ隠居してしまったからだ。
そのポポロ村が今、得体の知れない「チキュウ」なる異世界の軍隊に包囲されていると聞いた。
武芸百般に通じる兄とはいえ、未知の大軍を前にしては多勢に無勢。きっと村人たちを守るため、ボロボロになりながら孤軍奮闘しているに違いない。
「私が加勢しなければ……ッ!」
クラウスは愛剣の柄に手をかけ、悲壮な決意を胸に村の広場へと駆け込んだ。
そして、彼が目にした光景は――。
「おおっ! リアン殿、今日のカツは一段とサクサクじゃのう!」
「だろ? 揚げ油にちょっとだけラードを足したんだ。ほら、キャベツのおかわりだ」
真新しい暖簾が揺れる定食屋『ポポロ亭』のカウンターで、迷彩服を着た地球の軍人(坂上信長たち)が、満面の笑みでカツカレーを頬張っている姿だった。
その奥の厨房では、兄のリアンが白いエプロン姿で、鼻歌交じりにキャベツの千切りをしている。
「…………え?」
クラウスは、あまりの光景に完全に思考が停止した。
「お、いらっしゃい。……って、なんだクラウスか。領地の仕事はいいのか?」
「あ、あ、兄上……!? なぜ、異世界の軍隊と一緒に飯を食っているのですか!? ここは戦場では……!」
「戦場? 見ての通り、ただの昼時のランチ営業中だぞ。お前も腹減ってるだろ、座れよ」
促されるまま、クラウスはフラフラとカウンターの端に腰を下ろした。
目の前に、湯気を立てる『肉椎茸のカツカレー』がドンッと置かれる。
「……いただきます」
クラウスは混乱した頭のまま、スプーンでカツとカレーをすくい、口に運んだ。
――サクッ、ジュワァァァッ。
「ッ!?」
クラウスの瞳孔が限界まで見開かれた。
衣の完璧な歯ごたえの直後、肉椎茸の圧倒的な旨味と、複雑なスパイスの香りが脳髄を激しく殴りつける。貴族として王宮のフルコースを食い慣れている彼ですら、これまで味わったことのない暴力的で洗練された「美味」だった。
「う、美味すぎる……! 兄上、この香辛料の配合と肉のジューシーさは、帝国の宮廷料理長すら凌駕して――ハッ!?」
クラウスがカツカレーの美味さに現実逃避しかけた、その時。
帝国最強の騎士として鍛え上げられた彼の「感覚」が、背筋を凍らせるような微かな殺気を捉えた。
(……来る! 村の裏山から、複数人の気配……いや、気配を完全に消している!?)
それは、アメリカ海軍特殊部隊の精鋭たちだった。
ヘリの降下作戦を「謎の影」に阻まれた彼らは、今度は光学迷彩を纏い、完全なステルス状態で地上からポポロ村への潜入を試みていたのだ。
クラウスは即座にスプーンを置き、愛剣を抜刀した。
彼の全身から、チリチリと青白い雷光が立ち昇る。
「兄上、下がってください! 見えざる暗殺者の群れが店に近づいています! 私が『ライトニング・スプラッシュ』で裏山ごと吹き飛ばし――」
「バカ、店の中で雷魔法なんか使うな。最新の冷蔵庫(魔導具)がショートするだろ」
リアンはお玉でクラウスの頭をペチンと叩いた。
「いいか、お前は黙ってカツカレーを食ってろ。冷めると味が落ちる」
「し、しかし兄上! 敵はすぐそこまで――」
「影丸、ちょっと福神漬け出しといてくれ。……ちょっと裏のゴミ出しに行ってくる」
リアンはピンクのエプロンを着た影丸に厨房を任せると、サンダル履きのまま勝手口から外へ出た。
* * *
ポポロ亭の裏手、静まり返った森の入り口。
光学迷彩で完全に風景と同化していたシールズの隊員たちは、ハンドサインで連携を取りながら、ゆっくりと村へ近づいていた。
(よし。レーダーにも魔法探知にも引っかかっていない。このまま村の通信施設(ルナミス通信網)にジャミング装置を仕掛ける)
隊長が部下に指示を出そうと足を踏み出した、その瞬間。
――ツルッ。
「……っ!?」
隊長の足が、不自然なほど滑らかに空を切った。
地面に、極めて透明度が高く摩擦係数ゼロの『滑りやすい油』が、ピンポイントで撒かれていたのだ。
「ああっ!?」
体勢を崩した隊長が倒れ込んだ先には、目に見えないほど細い『ピアノ線のワイヤー』が張り巡らされていた。
それに触れた瞬間、木の上からマグナギアの『弓丸』が仕掛けていた超小型の閃光弾が炸裂した。
カッ……!!
「グァァァッ! 目が……ッ!」
「アホか。光学迷彩で姿を消しても、地面を踏む足音と『匂い』は消えてねえんだよ。……特に、うちのネギ畑を踏み荒らした匂いはな」
閃光で視界を奪われた隊員たちの耳に、恐ろしく冷たい声が響いた。
頭上から音もなく舞い降りたリアンは、手にした『注射器』を流れるような動作で振るう。
特殊部隊のCQC(近接格闘)など、暗殺の極致に達しているリアンの前ではスローモーションに等しい。
リアンは隊員たちの防弾チョッキの隙間、頸動脈が通る首筋へ、致死量ギリギリの『超強力睡眠薬』を次々と打ち込んでいく。
「バ、馬鹿な……我々のステルスが……っ」
「『都市ゲリラ教本』基本その3。ハイテクには、極上のローテクと地の利で対抗する」
わずか10秒。
音を立てることもなく、完全武装の特殊部隊は全滅し、白目を剥いて地面に転がった。
「やれやれ……アメリカさんの部隊は、どうしてこう血の気が多いんだか」
リアンは注射器をしまい、彼らの光学迷彩マントをペリペリと剥がしていく。
「お、この生地、保温性が高くていいな。冬場の野菜の霜除けに使えそうだ。ネット通販で買うと高いんだよな、こういうの」
最強のステルス装備を『農業用ビニールシート』代わりに回収すると、リアンは何事もなかったかのように勝手口へと戻っていった。
* * *
「……兄、上……?」
勝手口から戻ってきたリアンの姿に、クラウスはスプーンを口に咥えたまま固まっていた。
リアンの手には、新鮮なネギの束と、謎の迷彩柄の布が抱えられている。
「あー、クラウス。悪いが、そこの窓から裏の様子を見てみてくれないか?」
言われるがまま、クラウスが店の裏手を覗き込むと――。
そこには、パンツ一丁に剥かれた屈強な男たち(アメリカ軍の精鋭)が、綺麗にピラミッド状に積み上げられ、スヤスヤと眠っていた。
「…………ひっ」
クラウスは、声にならない悲鳴を上げた。
抜刀して雷魔法を準備していた自分が恥ずかしくなるほどの、圧倒的で一方的な蹂躙劇。
わずか数十秒の間に、気配すらさせずに完全武装の暗殺部隊を全滅させ、身包みを剥いできたというのか。
「……どうした、クラウス。カツカレー、冷めるぞ?」
リアンはにこやかに笑いながら、剥ぎ取った迷彩布を洗濯籠に放り込んだ。
(あ、兄上は……領地を離れてスローライフを送るうちに、ますます人間をやめたバケモノになっておられる……ッ!)
真面目な弟クラウスの心に、畏怖と尊敬がさらに深く刻み込まれた。
地球の最新鋭ステルス部隊すら、彼にとっては「畑を荒らす害獣」程度の認識でしかない。
「さ、最高です、兄上……! このカツカレー、帝国に持ち帰って騎士団の正式メニューにしたいくらいです!」
クラウスは涙目になりながら、カツカレーを無我夢中で掻き込んだ。
ポポロ村の平穏(とランチ営業)は、今日もリアンの圧倒的な暴力と美味い飯によって、誰にも知られることなく守り抜かれたのである。




