EP 2
アメリカ第七艦隊が「謎の影」に配線をズタズタにされて泣く泣く撤退した翌日。
日本の空の玄関口、成田国際空港は、かつてない異常事態に包まれていた。
「こちら第1ターミナル! 到着ロビー中央に、異常な空間の歪みが発生! 熱源反応、測定不能!」
「民間人の避難を急がせろ! 銃のセーフティは外すな、刺激するなよ!」
装甲車が空港を封鎖し、防弾盾を構えた機動隊と自衛隊が到着ロビーを半包囲する。
その厳戒態勢の中心で、空間がガラスのようにパリンッと割れ、漆黒の『次元の門』が開いた。
ゴオォォォォォォッ!!
ゲートから溢れ出す、空港のガラスというガラスをビリビリと震わせる圧倒的な魔力波長。
そして、その深淵から三つの影が悠然と姿を現した。
「ふははははっ! 見よ、この鉄の箱のような無機質な建造物を! ここが『チキュウ』か!」
先頭を歩くのは、漆黒のドレスに身を包んだ絶世の美女。
アバロン皇国を統べる絶対君主、魔王ラスティアである。彼女は傲慢に胸を張り、周囲を取り囲む銃口など全く意に介さず高笑いした。
「我は魔王ラスティア! 愚民ども、光栄に思うが良い! この我が直々に足を運んでやったのだ。今すぐ月人くんのライブ会場まで、レッドカーペットを敷け!!」
完全なる魔王の威圧。
その声だけで、訓練された機動隊員たちの膝が震え、その場にへたり込みそうになる。
「ちょっとラスティア、あんまり目立つと出禁になるわよ。……あー、腰痛い。次元移動ってエコノミークラスよりキツいんじゃないの?」
魔王の背後から、首をボキボキ鳴らしながら出てきたのは、ヨレヨレの芋ジャージに健康サンダルを突っ掛けた金髪の美女。
この世界の創造主である女神ルチアナだ。手には、なぜか成田空港の免税店で早速買ったらしい『東京ばな奈』の紙袋が握られている。
「……お二人とも、どうかお願いですから大人しくしてください。これ以上、他国で国際問題を起こされたら、私の胃に穴が開きます」
最後にゲートから出てきたのは、魔王軍の実質的CEOである貴公子ルーベンス。
彼は深いため息を吐きながら、右手に競馬新聞(もちろん丸めてある)、左手に胃薬を握りしめ、周囲の自衛隊員たちに「すいません、うちのポンコツが……」とペコペコ頭を下げていた。
魔王、女神、そして過労死寸前の中間管理職。
史上最悪のVIPたちの来訪に、現場の指揮官が青ざめながらメガホンを握ろうとした――その時。
「――ようこそ、日本国へ。長旅、ご苦労様でした」
凛とした、しかし一切の怯えを含まない女の声が、ロビーに響き渡った。
カツ、カツ、とヒールの音を響かせて機動隊の壁を割って出てきたのは、タイトなスーツに身を包んだ一人の女性。
日本政府・首席国際法務官の桜田リベラである。
「む? 貴様、我を前にして震えもしないとは、度胸のある女だな」
「お褒めにあずかり光栄です。私は日本政府の代理人として、貴方様の入国手続きを代行しに参りました」
リベラは微笑を浮かべたまま、バインダーに挟んだ紙とボールペンを、スッと魔王ラスティアの前に差し出した。
「まずは、こちらの『外国人入国記録(EDカード)』へのご記入をお願いいたします。出入国管理及び難民認定法に基づき、全ての方に義務付けられておりますので」
「……は?」
魔王ラスティアの表情が、ピシリと固まった。
「にゅ、入国記録だと? この我に向かって、そのような紙切れに素性を書けと申すか! 我は魔王ぞ! 次元を切り裂く力を持つ、絶対の――」
「ええ。存じております。ですが、ここは日本国です」
リベラは一歩も引かない。
元レディースの特攻隊長であり、数々の修羅場(法廷)をくぐり抜けてきた彼女の『肝』は、魔王の威圧すらも「ちょっと声の大きいヤカラ」程度にしか変換していなかった。
「たとえ神であれ魔王であれ、我が国の領土を踏む以上は、日本の『法』と『適正手続き』に従っていただきます。……それとも、字が書けませんか?」
「き、貴様ァァァッ!!」
煽りスキルMAXの一言に、ラスティアの頭に血が上る。
彼女の手のひらにドス黒い魔力が収束し、周囲の空間がギシミシと悲鳴を上げ始めた。小さな『ブラックホール』の生成。空港の天井がメキメキとひび割れていく。
「撃て! いや、撃つな! どっちだ!?」
「ひぃぃっ! 空港が消滅するゥ!」
パニックに陥る現場。
だが、リベラはボールペンを差し出したまま、涼しい顔でこう言い放った。
「空港を破壊するのは構いませんが、不法入国およびテロ行為と見なし、政府が用意した『朝倉月人 東京ドーム最前列VIPチケット』は、ただちに破棄させていただきます。……もちろん、限定のサイン入りペンライトもです」
ピタッ。
ラスティアの手のひらから、ブラックホールが「シュン……」という情けない音を立てて消滅した。
「…………ち、チケットは、ダメだ」
「では、ご記入を」
「……はい」
魔王が、膝を屈した。
リベラからボールペンを受け取ったラスティアは、空港のカウンターの隅っこで、プルプルと震えながら入国記録カードに名前を書き始めた。
「ルーベンスぅ……『日本滞在中の連絡先』ってどこにすればいいのだ……?」
「ポポロ村のリアン殿が用意してくれた、都内の高級ホテルでよろしいかと。ほら、ラスティア様、職業欄は『アバロン皇国代表』にしてください。間違っても『魔王』とか『無職』とか書かないでくださいよ」
「ちょっとルーベンス! 私の職業はどうなるのよ! やっぱり『女神』かしら?」
ルチアナが東京ばな奈をモグモグしながら、横から口を出してくる。
「女神様はとりあえず『公務員』でいいんじゃないですかね……。もう、早く書いてください。開演時間に遅れますよ!」
圧倒的な力を持つ異世界のトップたちが、日本の入国審査カウンターでボールペンを握りしめながら四苦八苦している。
そのあまりにもシュールな光景に、周囲を取り囲んでいた自衛隊員たちも、完全に毒気を抜かれて銃を下ろすしかなかった。
「……素晴らしい。適正手続きの勝利ですね」
リベラは、無事に記入されたカードを受け取ると、ふふっと満足げに笑った。
武力ではなく、法と「推しへの人質」を使った完璧なコントロール。
日本政府の外交的勝利――と呼ぶにはあまりにも俗っぽい光景が、そこには広がっていた。
* * *
同時刻。
アナスタシア世界、ポポロ村の『ポポロ亭』。
「……アハハハハッ! マジかよ、あの魔王、本当に大人しく入国審査受けてるぜ!」
厨房の奥で、リアンは腹を抱えて笑っていた。
彼の手元には、蘭が置いていったタブレット端末があり、そこには成田空港の防犯カメラ映像がリアルタイムで映し出されている。(リアンが影丸を使ってハッキングのバックドアを開けさせたのだ)。
「リアン殿。なにやら面白い映像でも?」
カウンター席で、揚げたての『肉椎茸のカツカレー』をモリモリと掻き込んでいた坂上信長が、不思議そうに首を傾げる。
「ああ、いや。ちょっと知り合いが、日本の『お役所仕事』の洗礼を受けてるだけさ。……しかし、あの弁護士の姉ちゃんも大したタマだな。魔王相手に一歩も引かねえ」
リアンは愉快そうに笑いながら、カツを揚げる油の温度を調整する。
地球の最強軍隊(米軍)は、リアンが影から物理的に配線を切って追い返し。
異世界の最凶武力(魔王)は、日本政府が「チケット」と「法」でガンジガラメにしている。
この圧倒的な世界のパワーバランスの頂点(裏側)に立ちながら、リアンはただ、目の前の客に美味いカレーを出すことだけを楽しんでいた。
「さて、信長のおっさん。カツのおかわりはどうする?」
「おおっ! 頼む! ここのカツカレーを食わんと、午後からの訓練に身が入らんのじゃ!」
平和な定食屋の風景。
だが、リアンは知っていた。
魔王が日本に降り立ったということは、それを狙う『何者か』もまた、必ず動き出すということを。
(ルナミス帝国から、弟のクラウスもこっちに向かってるって手紙が来てたな。……東京ドームが、色んな意味で『火薬庫』にならなきゃいいが)
リアンは包丁を布巾で拭いながら、静かに目を細めた。
ライブの熱狂の裏で、もしものことがあれば――その時は、彼自身が『最強の裏方』として、東京の夜空に出向く必要があるかもしれない。




