EP 14
トトトトトトトッ……!!
朝の澄んだ空気が漂うポポロ村。
リアンが店主を務める定食屋『ポポロ亭』の厨房では、今日も小気味良い包丁の音が響いていた。
「よし、月見大根の桂剥き、完了。次は肉椎茸の仕込みだな」
リアンの手にあるのは、一見するとただの使い込まれた黒い洋包丁だ。
だが、その正体は持ち主の感情に呼応して威力が天井知らずに跳ね上がるという、伝説の神殺しの武具――『雷霆』である。
普段はリアンの調理器具として最適化されており、その切れ味は「大根の細胞を一切潰さずに切る」という、料理人にとっての究極の領域に達していた。
「シュコー……、シュコー……」
「ん、影丸。そっちの鍋の灰汁取り、頼むわ」
「……(コクン)」
リアンの隣で無言で頷いたのは、全身を漆黒の甲冑に包んだ禍々しい騎士――召喚スキル(中)の『影丸』だった。
相手を影から拘束し、無慈悲に貫く暗殺のスペシャリスト。だが今の彼は、ピンク色のフリル付きエプロンを身に着け、お玉を片手に器用に鍋の灰汁をすくっている。
影丸は手先が異様に器用で、暗殺だけでなくDIYから皿洗いまでこなす、リアンにとって最高の厨房アシスタントなのだ。
「……おはようございます、リアンさん。って、うわあああっ!?」
暖簾を潜って店に入ってきた医学生の中村優太が、厨房の影丸を見て悲鳴を上げた。
「なんだ、優太か。驚かせて悪いな。こいつは俺の助手(召喚獣)の影丸だ」
「じょ、助手って……どう見ても闇の軍勢の幹部クラスじゃないですか! なんでエプロン着て灰汁取りしてるんですか!?」
「人件費の節約だ。簿記1級を持ってる身としては、削れるコストは削らないとな。……さて、朝飯にするか?」
「あ、はい。お願いします」
優太がカウンターに座り、リアンが朝食の支度を始めようとした――その時だった。
『……ザーッ……おい、例の件はどうなっている』
リアンの右耳に装着された、極小の通信用魔導具から、くぐもった男の声が聞こえてきた。
ポポロ村の公園のベンチの裏や、村の出入り口など、あらゆる場所にリアンが仕掛けた『盗聴器』からの音声だ。
手を動かしながら、リアンは静かに耳を澄ませる。
『ルナミス帝国のクライン公爵領から来た傭兵崩れだ。すでに村の裏山に潜伏している』
『よし。自衛隊とかいう連中が油断している昼時を狙い、畑に火を放て。その混乱に乗じて、あの「人魚の娘」を攫うのだ。……あの娘が歌えば自衛隊から大量の物資を巻き上げられる。絶好の金のなる木だぞ』
『へへっ、承知しましたぜ。ポポロ村の独占状態も、今日で終わりだ』
……プツン。
音声が途切れる。
どうやら、ポポロ村が日本と不可侵条約を結んで潤っているのを妬んだ他領の悪徳商人たちが、傭兵を雇って嫌がらせと誘拐を企てているらしい。
(ルナミス帝国のクライン領……俺の弟の管轄か。あいつ、真面目すぎてこういう裏のドブ攫いは苦手だからな)
リアンは小さく息を吐き、手にしていた『雷霆(包丁)』をコトリとまな板に置いた。
「影丸。火加減見といてくれ。あと、優太に朝飯の塩むすびと豚汁出しといて」
「……(コクン)」
「リアンさん? どこか行くんですか?」
不思議そうに首を傾げる優太に、リアンはエプロンを外しながらニコリと笑った。
「ああ。ちょっと裏山に『粗大ゴミ』を捨ててくる。5分で戻るよ」
* * *
ポポロ村の裏山。
木々の間に潜伏していた傭兵団のリーダーは、ニヤリと下卑た笑みを浮かべていた。
「さあて、準備はいいか野郎共! まずは火の魔法で、あの鬱陶しい薬草畑を丸焦げに――」
スッ……。
傭兵の言葉は、最後まで紡がれなかった。
彼の首筋にチクッという痛みが走ったかと思うと、たちまち目の前が真っ暗になり、音もなく地面に崩れ落ちたのだ。
「……あ? どうした頭?」
周囲にいた十数人の傭兵たちが、異変に気づいて振り返る。
彼らの足元を、パラシュートを背負った3センチほどの極小の人形――『ミニ丸軍団』がカサカサと走り抜け、傭兵たちの足首や首筋に、致死量の一歩手前の強力な『睡眠薬』を次々と注射していた。
「な、なんだこのガラクタは!? ひぃっ、体が、動か……ッ」
バタバタと倒れていく傭兵たち。
その光景を、太い木の枝の上から見下ろしている影があった。
リアンである。
「『都市ゲリラ教本』の基本その1。敵に気づかれる前に、無力化すること」
リアンは音もなく地面に降り立つ。
手には、ネット通販で買った『玩具のリボルバー』が握られていた。ただし、そのシリンダーに装填されているのは、火薬を限界まで詰めた本物の357マグナム弾だ。
「き、貴様……何者だッ! 俺たちは魔導防壁を張って――」
辛うじて意識を保っていた副官格の男が、剣を抜きながら叫ぶ。
ダァンッ!!
リアンが引き金を引いた。
魔法の弾丸ではない。ただの物理的な運動エネルギーと化学爆発による、重さ数グラムの鉛玉。
「魔法攻撃」しか想定していない副官の魔導防壁は、物理法則の暴力(マグナム弾)を全く防げず、男の肩をあっさりと撃ち抜いた。
「がぁぁぁッ!?」
「基本その2。防壁には、概念の違う暴力をぶつける」
使い捨ての玩具リボルバーが、圧力に耐えきれず手の中でひしゃげる。
リアンはそれを無造作に投げ捨てると、腰から『銃口剣』……ではなく、黒い刃の短剣を抜いた。包丁から暗殺用ダガーへと形態を変化させた『雷霆』だ。
「な、舐めるなァァァッ!」
最後の一人が、闘気を全開にして背後からリアンに斬りかかる。
――ザシュッ。
リアンは振り返ることすらなく、流れるような動きで身を屈め、すれ違いざまに男の頸動脈を『雷霆』で正確に斬り裂いた。
血飛沫が上がる前に、男の意識は永遠の闇へと沈む。
「……掃除、完了。タイムは3分か。まあまあだな」
リアンはダガーの血振りをし、懐から一つの小さな水晶玉を取り出した。
彼が魔力を流し込むと、足元の地面がぐにゃりと歪み、そこから全長30センチほどの奇妙なワーム……召喚スキル(小)の『喰丸』が顔を出した。
「ほら、朝飯だぞ。武器も服も、跡形もなく食え」
キュイィィィ! と嬉しそうに鳴いた喰丸は、その小さな体からは想像もつかないほど巨大な口を開け、倒れた傭兵たちを装備ごと、文字通り「一瞬で」丸呑みにしてしまった。
異次元の食欲を持つ、完全無欠の証拠隠滅。
血の跡すら、喰丸が綺麗に舐め取っていく。
「さて、店に戻るか。今日は仕込みが多いからな」
リアンは背伸びをすると、自身の影の中へと沈み込み、ポポロ亭の厨房へと『影移動』で帰還した。
* * *
「……お待たせしました。ポポロ村名物、肉椎茸の塩むすびと豚汁です」
「わぁっ! ありがとうございます!」
何事もなかったかのようにエプロンを締め直したリアンが、カウンター越しに朝食を出す。
優太は目を輝かせて、出来立ての塩むすびに齧り付いた。
「美味しい……! やっぱり、影丸さんが作ったのとは一味違いますね!」
厨房の奥で、影丸が少しだけ落ち込んだように肩を落としている。
「ハハッ、影丸も料理の腕は悪くないんだが、最後に愛(塩加減)を込めるのは俺の役目だからな。……おっと、いらっしゃい」
カラン、と店のドアベルが鳴り、スーツ姿の日野輝夜が入ってきた。
「おはようございます、リアンさん。朝から素晴らしい匂いですね」
「輝夜さんか。朝飯、食べるか?」
「ええ、お願いします。……ところでリアンさん」
輝夜はカウンターに座り、リアンの顔をじっと見つめた。
「先ほど、村の裏山で微かな『発砲音』のようなものが聞こえたという報告が自衛隊からありましたが……何かご存知ですか?」
「さあ? 獣でも出たんじゃないか? 田舎じゃよくあることだ」
リアンは涼しい顔で茶を淹れながら答える。
輝夜は、リアンの首元に極小の血の飛沫(彼自身も気づかなかったほどの微小な痕跡)がついているのを、鋭い官僚の目で見逃さなかった。
(……なるほど。これが彼の『スローライフの守り方』)
国家の裏側を知り尽くした輝夜だからこそ分かる。
たった5分の離席で、この男は自衛隊すら気づかないうちに、村に迫る脅威を完全に「消去」してきたのだ。
「……ふふっ、そうですね。きっと、ただの獣でしょう」
輝夜は艶やかに微笑み、出された塩むすびを口に運んだ。
美味い飯と、圧倒的で無慈悲な暴力。
この完璧なギャップこそが、彼を最強の存在たらしめている。輝夜は、ますますこの奇妙な料理人に惹き込まれていくのを自覚していた。




