EP 13
日本の政治の中枢、霞が関。
先ほどまで世界大戦の危機にピリついていた首相官邸の特別会議室は、全く別の意味で異常な熱気に包まれていた。
「ガリッ、ボリボリボリッ!!」
経済交渉官の力武義正が、ものすごい勢いでコーヒーキャンディを噛み砕いていた。
彼が飴を噛む時。それは、損得抜きの「ガチの算盤」を弾き始めた合図である。
「……計算、終わりました」
力武はタブレットを机に叩きつけ、血走った目で若林幹事長を見た。
「朝倉月人の東京ドームVIP席チケット2枚、並びに公式グッズ全セット。転売屋から買い叩いたとしても、推定コストはせいぜい数十万円。対して、魔王軍第一艦隊を東京湾で迎撃した場合の弾薬費、艦船の出撃コスト、及び都市部の想定被害額は……軽く数兆円を下りません」
力武はネクタイを緩め、狂気じみた笑みを浮かべた。
「費用対効果(ROI)は天文学的数字です。……数万円のチケットで、異世界の超大国から『恩』を売り、平和を買える。これほど美味しいディールは歴史上存在しません。今すぐ、朝倉月人の所属事務所を買収しましょう!」
「待ちなさい」
力武の暴走を止めたのは、首席国際法務官の桜田リベラだ。
彼女は長い髪をかき上げ、六法全書を机にドンッと置いた。
「魔王が日本に入国する場合、外交官ビザの特例発行が必要です。それに、万が一ライブの熱狂で彼女たちが魔法(ブラックホール等)をぶっ放した場合、消防法違反どころか、ドームが消滅します。……警備の法的根拠と、免責事項の合意書を作成するまで、安易な入国は認められません!」
「リベラ先生、相手は魔王ですよ!?」
「だから何ですか。日本の地を踏む以上、私の『適正手続き』に従ってもらいます」
国益のためにチケットの確保へ走る官僚と、法治国家の意地を見せる修羅の弁護士。
「くっ、ははははっ!」
その光景を見て、若林幹事長が腹の底から笑い声を上げた。
「良いねぇ、実に良い! 我が国の頭脳は、魔王の推し活ごときでパニックにはならんということだ。輝夜くん!」
「はい、幹事長」
モニター越しに繋がっている日野輝夜が、ポポロ村から応答する。
「ポポロ村を通じて、アバロン皇国と接触したまえ。政府の特別枠で、最前列のド真ん中を用意すると。……チケット2枚で、世界地図を描き直してやろうじゃないか」
* * *
その頃、ポポロ村。
村の広場では、宴会がすっかり再開されていた。
「いやぁ、俺、マジで東京が火の海になるかと……」
「飲め飲め。あのバカ魔王は、推しの前で野蛮な真似はしない。グッズに血が飛ぶのを嫌がるからな」
青ざめた顔で座り込む信長に、リアンがドボドボと芋酒を注いでいた。
その横では、特A級AIエンジニアの蘭が「推し活の宣戦布告……つまり、これは高度な情報戦……?」と、ぶつぶつ言いながらタルトを齧っている。
と、その時。
広場の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
「ッ! 空間転移じゃ!」
信長が反射的に腰の拳銃に手を伸ばす。
歪んだ空間から現れたのは、漆黒のマントを羽織り、いかにも「魔族の高位貴族」といった風貌の、金髪の美男子だった。
「……あー、ポポロ村の皆様。並びに、日本国政府の皆様。夜分遅くに申し訳ありません」
魔王の側近にして、アバロン皇国の実質的CEO、ルーベンス。
彼は、誰もが畏怖するような魔力波長を放ちながら――深々と、そして痛ましく頭を下げた。
「先ほどの、うちの『バカ』による極めてお見苦しい放送……。心より、心よりお詫び申し上げます。あのポンコツババア共、マジで調子に乗りやがって……っ」
ギリッ、とルーベンスの奥歯が鳴る。
その右手には、丸められた競馬新聞(ジオ・リザード競走)が握りしめられていた。
「ル、ルーベンス様……?」
アバロン皇国を知る自警団のイグニスが、信じられないものを見る目で呟いた。
冷徹で皮肉屋と名高い魔族の貴公子が、まるで謝罪会見に引っ張り出された中間管理職のように、疲弊しきった顔をしている。
「……ご苦労だな、ルーベンス」
リアンが、呆れたように声をかけた。
「おお、リアン殿。ご無沙汰しております。……実は、日本政府の皆様に、これを」
ルーベンスは懐から重そうな皮袋を取り出し、ドサリとテーブルの上に置いた。
袋の口が開くと、中から眩いばかりの輝きが漏れ出す。
地球の純金レートで計算すれば、数十億円は下らないであろう、最高純度の『S級魔石』の山だった。
「うちの魔王が要求したチケットの『代金』です。……これで、なんとか丸く収めていただけないでしょうか。これ以上、奴が勝手に国庫から『投げ銭』をすると、国家予算がパンクするのです」
切実すぎるルーベンスの訴えに、信長たちは完全に言葉を失った。
(……魔王の側近が、チケット代を前払いで持ってきた……? しかも、めっちゃ腰が低い……)
「……わかった。日本政府の輝夜さんが、最前列を用意するってさ。とりあえず、座れよ」
リアンは苦笑しながら、丸太の椅子を勧めた。
ルーベンスは「助かります……」と呟きながら、ドカッと椅子に座り込む。
「リアン殿。いつものアレ、頼めますか。……もう、胃に優しいものは受け付けません。油で、胃壁をドロドロにコーティングしたい気分です」
その声は、完全に「仕事帰りの疲れた親父」のそれだった。
「はいよ。特別に油たっぷりでな」
リアンはすぐに中華鍋を取り出し、強火で熱し始めた。
投入されるのは、細かく刻んだ『肉椎茸』と『太陽芋』、そして大量のラード。
ジャァァァァァァッ!! と、食欲を暴力的に煽る音が広場に響き渡る。
「へい、お待ち」
数分後。ルーベンスの前にドンッと置かれたのは、米のひと粒ひと粒が油でテカテカに光り輝く、『超・背脂肉炒飯』だった。
「……いただきます」
ルーベンスはレンゲを手に取り、炒飯を大きくすくって口に運んだ。
瞬間、ガツン! とくる強烈なラードの旨味と、肉椎茸から溢れ出す濃厚な肉汁が、彼の疲労しきった脳髄を直撃する。
「ッ……美味い……! この暴力的なまでの油が……俺の、削られた精神を修復していく……!」
魔族の貴公子が、ボロボロと涙を流しながら炒飯を掻き込んでいる。
その横で、信長がそっと、ルーベンスのグラスに芋酒を注いだ。
「……アンタも、苦労しとるんじゃな。狂った上司を持つと、現場が割を食うのは、どの世界も同じじゃ」
「……分かってくれますか、自衛隊殿。あいつら、俺が徹夜で組んだ予算案を、平気でアイドルのガチャに溶かすんですよ……。しかも『経費で落とせ』とか抜かしやがって……!」
ルーベンスは芋酒をグイッと煽り、信長と硬い握手を交わした。
地球の軍人と、魔族の側近。
決して交わるはずのなかった二人が、「中間管理職の悲哀」と「リアンの美味い飯」という最強の絆で結ばれた瞬間だった。
「ふふっ……」
少し離れた場所で、日野輝夜はその光景を見つめながら、静かに笑みをこぼした。
「魔族の最高幹部すら、一杯の炒飯で懐柔してしまう。……リアンさん、あなたという人は、本当に底が知れませんね」
圧倒的な力で敵を粉砕し、圧倒的な美味さで世界の胃袋を掌握していく。
ポポロ村を中心とした、全く新しい狂った世界の秩序が、確かな産声を上げていた。




